スキップしたくなりそうなギターソロがあるVELTPUCNHの「Your corolla」
ギターソロが始まるとスキップする若者多いらしい。言われてみると確かにライブハウスでそういうノリの若者をよく見かける。ライブ中にギターが前にでてきてマイクスタンドに足かけてこれ見よがしにソロを弾くときとか歓声すごくて、フロアは熱狂、さらに禁止とアナウンスされているのに興奮した若者ダイバーが降ってくることすらある。スキップしたくならないときは「前にギターソロのときミスってらしいけど今日はうまく弾けるのか?」とハラハラして見守るときくらいだ。
俺がスキップしたくなるギターソロといえば、VELTPUNCHの「Your corolla」だ。3分間もギターソロが鳴り響きつづける。この曲をライブで聞いたときはギターソロ部分でステージに突然うさぎの着ぐるみを着た人がでてきてうまい棒をばら撒いていた。そんくらい長い。
いやそれにしてもほんとギターソロ長いな。この混沌としたギターソロおよび間欠的な絶叫はいったいいつまで続くんだろうか、と不安になってきた頃くらいにサビに帰ってくる。おかえりなさい。今日の帰りは遅かったですね。失われた秩序を取りもどし、そこでようやく俺は正気にかえる。
で、インタビューでこのやたらと長いギターソロについて解説があった。
長沼:"これでもか!"って言うくらい、とにかくギターを弾きまくりたかったんですよね。メンバーは嫌がってましたけど(笑)。あのソロはある種の不快感を表現したかったと言うか、轟音の渦に呑み込まれてなかなか抜け出せずにもがいているイメージなんですよ。どれだけ耳障りなギター・ソロでも短い時間なら割とすぐに抜け出せるし、聴く人も"これくらいで終わるだろう"と予想するじゃないですか? だからその予想よりもとにかく長く弾き倒したかったんです。聴く人がだんだんと不安になってきて、曲を飛ばしたい衝動に駆られる。それでもまだまだ終わりそうにない...そんな不安な気持ちにさせたかったんですね。最後はその長いトンネルを突き抜けてカタルシスを得る感覚を聴く人に味わって欲しくて。
「Your corolla」、長いトンネルを突き抜けてカタルシスを得る感覚と言われるとそんな気がしてくる。なるほど。この感覚、パニック発作になってうずくまって不安の嵐が過ぎさっていったときのような、家から会社いってウワーーーってなって家に帰ってきたみたいな、ギターソロのあとのサビにホッとする心地になるのはそういうことなのか、と納得した。
曲の最後は「こんな音楽、二度と聴かなくていい!!」で締められる。これについてもインタビューで解説していた。
仮に心から愛すべき魅力的な女性が自分にいるとしたら、こんなオルタナティヴ・ロックよりももっと流行りの音楽を聴いて欲しいわけですよ。(中略)だから僕の思い描く理想の女性にはこんな音楽なんて聴かずに、みんなで盛り上がれる楽しい音楽だけを聴いていて欲しい、っていう。
さすがにそれは読み取れないって!
こういう風に、作者のインタビューを答えあわせ的に引用してしまうと、曲の受け取りかたが一意的になる恐れがあってあまりしないが、今回は別。だって面白いし。アーティストはだいたい口を揃えて「受けとり方は自由」という。そのとき、今回のようなどのような狙いがあったのか分かったほうが俺には面白いときもある。面白くないときや自分の感性と合わないときは見なかったことにすればいいだけ。それがとても難しいのは重々承知しているが。ここからロラン・バルトのテキスト論・作者の死とかあれやこれについて俺の聞きかじった浅薄で長いソロトークが始まり終わってつぎの話へ。
で、俺は狙いを分かったうえでもやっぱり「Your corolla」のギターソロ長っ!となって、ギターが歪んでて長くてぐちゃぐちゃになっていく感に引き込まれるから飛ばせずにいるから、まんまと乗せられている。それが面白く、また心地よい。とにかく「Your corolla」はギターソロが歪んでる長いシャウトがうるさい三拍子が揃っていておもわずスキップしたくなるいい曲だ。
ネタをいちいち説明するのもどうかと思うが一応。
ギターソロが始まるとスキップする若者が多いの「スキップ」は飛ばすということらしい。これには疑問の声も多く俺はよく分からなくて、単にアニメやドラマの主題歌が聞きたくてTV size ver.的な聞き方をしているだけかもしれないし、それエビデンスレベルどれくらいなの?そういうケースを聞いたってくらいのⅤ?という話かもしれないし、哲学者が危惧するコミュニケーションの全面化現象の一つの実例かもしれないし、俺にはよく分からない。俺はスキップはしないが、そもそも俺は若者でもない。