単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

下書きを怒鳴りつける

 俺のブログには、公開された記事と同じくらいの量の、書いたが公開されなかった記事が眠っている。

 こういう。 

 そのとき記事を公開しなかった理由はいろいろあったのだろう。書いたけどなんか自分でもよく分からなくなったとか、読みかえすことができなかったとか。だからって「ブログをはじめて十周年たったようで」みたいな記事が三つもあったのを見たときには、「え、十周年について三回も書いたの?」と唖然とした。だからいい加減下書きを怒鳴りつけて公開することにした。なので今後、下書きが大量に投下される。 

 「どうせたいして読まれねえだろ」と「誰か一人くらいは読んでくれる」は両立する。これからもずっとたいして読まれないだろう。しかし、その時々で人は入れ替われど、一人くらいは読んでくれるだろう。

 それにもし誰も読まなくても、十年後の俺は読んでくれる。この十年間ほど(計四年くらいは放置していたけど)ブログを更新して分かった。十年間やってはじめて気づけたことだった。最近は十年前の下書きを読み返して、いかがでしたか系文体で自己啓発本の感想を書いていたのに苦い気持ちになったり、また、頻繁に更新していたときはブログ流行っててけっこう読まれていたから、当然批判コメントがあって、それに傷ついてああだこうだと泣き言を書いたこともあった。

 それについて下書きから抜粋。2012年ごろに書いた。

ブログで「もうブログやらないほうがいいんじゃない」というコメントを受け取ったときはどう対応すればいいか相当に悩みました。そのコメントは文章は丁寧だったのでなおさらどうすればいいのかと。結局は「コメントありがとうございます」と穏便に返事をしましたが、今でも後味が悪い出来事になりました。

 ということがあったようで。面白いしまったく覚えていない。むしろ、忘れるために書いたのかもしれない。

 関内関外日記の「ひたすら少数の者のために手紙を書くがいい」で出てきた「十年後に、十年前の自分を振り返ることのできる、ただその権利のためだけに書きなさい」の言葉が身をもって分かった。

 こうして、書いたり書かなかったり読んだり読まれなかったりして、もう十年。十年らしいです。

 

 

 

 ……という記事が下書きにあった。画像はさっき撮ったスクショだが、文章そのものは二年前の下書きになる。この下書きが公開されなかったことから分かるように、このあと特に他の下書きを大量に投下することはなかった。つまり上の文章は「下書きを公開すると宣言した下書き」のようで。俺は「え、十周年について四回も書いたの?」と唖然とした。だからいい加減下書きを怒鳴りつけて公開することにした。なので今後、下書きが大量に投下される。はず。