単行のカナリア

感じて想する

6.

  酒はコミュニケーションを円滑にするという。するか? するような。するならどのように?

 酒はコミュニケーションを円滑にさせなくする要素を抑制する。その結果、コミュニケーションが円滑になる、ことがあるかもしれない。そのとき酒というかアルコールは「失礼なことを言ってないか」「奇妙なふるまいをしてないだろうか」等のためらいやつまづきを抑制することで、話している人間は気にせずにぺらぺらと口が開くようになる、のような。

 これ、酒で酔っ払って開放的になる生理的理由が同じく、アルコールが脳の中枢神経に作用し、抑制する機能を抑制することにあるように。いわゆる脱抑制というやつで、これが、時々コミュニケーションの場においても発生する。ときがある。

 酒は理性を抑制しコミュニケーションを継続させ、内容はどうであれ帰りの電車のなかで「話が弾んだな」と思いかえせる。運がいい(悪い?)とアルコールの影響で記憶に定着せずになんか変なこと言ってなかったかな系反省会すらないときもある。

 

 「コミュニケーションの全面化」という概念がある。

 以前読んだ「言語が消滅する前に」という本にあった。いわく、LINEスタンプのように情動の伝達だけさえできればよくなり、言葉がただの道具になってしまっている。すべてがコミュニケーションに支配されて交換可能、変換可能となり、言葉が言葉である理由がない、といったことが「コミュニケーションの全面化」として危惧されていた。なんというか、そもそもがコミュニケーションを不得意としていて、業務上の最低限のやり取りで一日が終わる俺のような人間にとって、その問題は遠い。言うならば、コミュニケーションの貧困化。それなら俺も危惧している。

 この前職場で俺があまりに寡黙で優しい人が心配していることを知ったとき、なんとも言えない苦い気持ちになった。こういうときは大体他者にコミュニケーションのコストをかけている。心理的安全性が俺という存在で少しだけ損なわれている。スモールトークで自分が集団に帰属していることをアピールできない。だから、異物になっちゃう。でも俺はべつに地元やパチンコの話をしたくないしできないときていて、必要なのはきっと酒よりも共通の話題と社会的資質、なにより他者への関心なんだろうが、俺はそれを持っていないからやっぱり優しい人の顔を曇らせてしまうのだろう。ちゃんと挨拶はする、業務上のやり取りもハキハキとする、しかし雑談はまだ。

 と言いつつも、建築業界(朝に朝礼があってラジオ体操するようなとこではなく店舗改装や個人住宅が主なのでこう表現している)で現場監督として働いていたときは、休憩時間に喫煙所で交わされる会話は卑猥かつ刺激的だったから──たとえばシンナーで光線バトルとしたとか、クライアントの年配の女性と寝たとか、昔は俺もワルだったというレベルではなく前科持ってるニュースにもなったよとか、家族の写真見せて貰ったりとかで──俺は喜々として聞いていた。だから現場監督とかいう俺がこの世でもっとも向いてなさそうな職が多少はつづいたし、Lineを交換するほど仲良くなった職人に「超図々しいこと頼んでいいですか? 今日この後外せない予定があるんではやめに終わらせていただけると嬉しいんですが、どうにかなりませんか。いやほんと今日だけなんで」「なんだ女とデートでもするのか? べつにいいけど工具運ぶの手伝えよ」「うっす」みたいな日もあった。基本的に現場監督の立場で残業交渉する際は、職人に頭を下げてお願いしてその雇用主に電話かけてまたお願いして、そもそも新人の俺には交渉材料がないので頭下げつづけるしかなくてひたすらにしんどかった。雑談を通じて人間関係できていれば「頼みます」「ったく今回だけだぞ」で済む。零細建築企業周りには一人親方が多く、その人の裁量でどうにかなることが多く、特定の職人に依頼することが多く顔ぶれが変わらない、という特殊な条件下だったことは補足しておく。

 

 酒で酩酊して適度になるコミュニケーションもあるという話だったが、それ以前の問題で円滑にならないコミュニケーションのほうが圧倒的に多いから、俺のコミュニケーションの貧困化がいま俺に絶賛危惧されているのだった。

 はじめの記事タイトルは「グラスに注いだ毒で会話を回る」だったが、そんなに回ってないと気づいて取りさげた。でもいい曲なので動画を張っておく。演奏ハヌマーンで「ワンナイト・アルカホリック」


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