単行のカナリア

感じて想する

9.問題は解決されません

もし事故や病気などによって大きな出費があって、肉体労働(基本的には物の移動)できなくなったら、いまの生活は破綻するだろう。この状況で、不安を抱えているのはまったく正常な反応だろうし、その不安をどうにかするためには、まずその背景にある根本的な問題のどうにかしなければならない。なのに、俺の足りない脳みそを振り絞っても本を読んでも、以前は何度か公的福祉機関に頼ったこともあるが、どうにかする方策は立たないから、不安が繁殖する。一定量を超えるとパニック発作のトリガーになることを恐れ、ここ数年は不安を抑え込むためにSSRI抗不安薬や服用しつづけている。あと睡眠導入のための3mgのエスゾピクロン。それでも眠れないときは合法的に取りよせたハイプロン。酒。最後は諦め。結果、不安はいくらかは改善される。生活に持続性はなく、破綻がすぐにやってくるだろうが、おかげで不安過多というわけでもないのだ。『アルコールとうつ・自殺』という本に、「抗うつ薬には抗借金効果も抗失業効果もありません。やはり借金や失業といった根本的な問題を解決しなければ、問題は解決されません」とあって、まったくだ。むしろ脳が正常に機能しているからこそ不安が生じるのだろう。正しい不安。健やかな悩み。一体何が問題なのだろう。当然じゃないか。俺みたいなやつにとってこの状況は、と思う。そうである以上、これを疾患と名付けるのならば(自立支援医療制度と精神障害者保健福祉手帳の申請のために便宜上は名付けられたことがあるが)、生活を取りまく環境そのものに病を抱えているといえるし、そうなる環境に身を置かざるえなくなった過去もまた病の原因で、俺が決定論を認めるならば、家庭環境を鑑みると生まれてしまったことが発症の原因とまで言ってしまえる。でも、俺はそこまでいくのは原因を遡及しすぎなようも気がする。こうでない今が想像できないから後悔もままならない。自分が立っている場所からはそれ以外の選択肢があるようには見えないのだ。なるようになったというか、与えられたカードでやってみたらまあそうなるわなって感じで。変わったこともあって、それは三環系抗うつ薬SSRIに移行したってくらいのもの。これ、適応しつつあるのといえるのだろうか 一方でエスゾピクロンが1mgから3mgに増量したのを考慮すると、やはり適応は違うのかもしれない。自分のなかでは折りあいはついている。しかしそれこそが決定的な間違いのような気がしている。このままでは破綻するとは俺の頭が不安になり、その不安でおかしくなるから薬でごまかす。根本的な問題がある。根本的、って俺が俺として生まれてしまったこと以上に? 自殺を前向きな問題解決策の一つであるかのように紹介しないこと、とは報道ガイドライン。やってはいけないこと以外で問題を解決したい。