単行のカナリア

感じて想する

13.

  「観測範囲」という侮蔑語がある。

 この言葉は良くないインターネットの語彙のひとつで、きつめの侮蔑の意味が込められていない。例えば、「お前がそう言えるのは、観測範囲が狭いからだ」と知識・体験不足を指摘するときに使用されていた。より分かりやすくいえば、「お前がそう言えるのは、お前の人生経験が貧困で、知識は皆無で、おまけに節穴で、お前が見えていないだけ。目が悪いし、頭も悪い」といったものだろう。俺は使ったことはないが、使われたことがあって知った。

 便利な言葉だと思う。もし俺が「死にたい死にたいと言ってる人は死なない」という意見を目にしたら俺も「観測範囲が狭い」と思ってしまうだろう。「死にたい死にたいと言ってる人の自殺既遂率は死にたい死にたいと言ってる人に比べて低い傾向がある」という意見を目にしたら、俺は「観測範囲が偏っている」と思うだろう。

 観測範囲がどうのこうのって、ようは、見てきた世界のことで、それが狭いとか偏っているとか他人に対して向けるのは、攻めている。なるべく関わらないようにしたい。でも「死にたい死にたいと言ってる人は死なない」とか言う人がいたら、やっぱり観測範囲が狭いし偏っていると思ってしまうのだ。この言葉が、ぴたりと当てはまる。

 こういった観測範囲的問題を、俺は、このブログでやらかしまくっているのだろう。だから俺は「俺は」「思う」となるべく主語から始めて、感想で終わるよう心掛けている。そうしておけば「それって個人の感想ですよね」と言われたとき「そう書いてるのがわかんねえのかよ」と堂々と返せる。実際にできているかは分からない。

 俺は、ありもしない批判を先取りして、すでに防御態勢を取っているのが、ほんと馬鹿馬鹿しい、と思っている。