単行のカナリア

感じて想する

19.書いているというか、書かされているという感じ

 書いているというか、書かされている。脳の活動が亢進している。言葉がぽろぽろと溢れだしてくる。書かないと余計に溢れだすから少しうっとおしい。躁ではない。躁のようななにかになっていてブログを書きつづけている。抗うつ剤双極性障害の処方しては禁忌で、俺は双極性障害ではない(と診断されているし、気になっていくつかの本を読んでみても違うと思われる)ので抗うつ剤を飲んでいる。たまに飲むを忘れる。たまに喉奥にひっついて激痛に襲われる。一回、その激痛のあまりパニック発作が起きて、これじゃあ元も子もないなとひとりごちてた。俺が薬の服用量が多いのは、それだけ精神状態が深刻ってことでは決してなく、ただ薬への感受性が低いから。みんな辛いようで人によっては怒りで本まで書いちゃう抗うつ剤の副作用すら俺には全然たいしたことなかった。ただ発現しやすい副作用のひとつの性欲の消滅はあったが、ほんとうにそれくらい。かつての繊細という自己像はもう持っていない。あいかわらず怖いもんばっかで、不安にさい悩まされる日々なのは変わらないけど。自立支援医療制度を利用して、低価格の抗うつ剤を購入している。自立支援医療制度を利用すると一か月分でも五百円でお釣りが来るぐらい安いから、驚き。セロトニン格差社会。web archiveで削除されたテキストサイトを読むときと、ブログで下書きの記事を間違って公開してしまったときに、「吐いた唾は飲めぬ」ということわざを思いだす。俺はなにを書いているんだと恥ずかしくなるときはあるが、俺の口から母の願望を発していたことに比べて恥ずかしいことってそうないし、気にできない。睡眠時間を削ってまでブログを書いているの、絶対に間違っているし、そのうち多分ぷつんと力尽きて、また数年更新しなくなるか、一生更新しないか、もしくは野垂れ死ぬことになる。更新停止して、あっさりと忘れられる。と思うけど、「数年後ふと思いだして訪れてみたら更新していて~」みたいなコメントが過去に数回あり、たまに思いだしてもらえることもある。これに関しては、俺が記事で取りあげた曲や漫画を良いと思っている人が、つい「その曲や本が良い」と書いている俺の文章までも「良い」と勘違いしてしまったのだろう。そのようなものでしかないが、それくらいにはなるのはとても誇らしい。俺は、年に数回、いや一年に一回くらいか。躁のようなにかになって睡眠時間が短く行動的になるときがある。この現象がひどいときは尼崎から三宮まで終電から始発までの間、国道を沿いをずっと酒を飲みながら歩いたこともあった。途中、六甲道のずっとやってるカラオケ屋で『ダニー・ゴー』を酒飲んで声枯れてるといい感じに歌えるのだ。今がその躁のようななにかの時期のようで、この時期は集中力が高まっているから、読書かブログが捗る。読書とブログは平行できない。読むと書くでは、集中力の使われ方が決定的に違うような気がする。睡眠導入剤、特に非ベンゾジアゼピン系は服用したあとにベッドに入って目をつむらないと効果が表れにくいから、最高血中濃度に達するまでにベッドで転がるべきなのだろうが、俺はいまブログ書いてる。もういい加減、書いているというか、書かされている気持ちにすらなってきた。『Forest』というエロゲである「私たちは思いついているの、それとも思いついているの」って台詞みたいに。エロゲといえば、いい感じのセリフと出会ったらスマホで撮るの俺だけじゃなくて、やってる人けっこう多いのかも。PCでスクショは手間かかるもんね。俺デュアルモニターだからスクショしたら範囲指定または切り取りしないといけないってのもある。最近はもうエロゲやってないけど、『パルフェ』のリメイクとかswitch版もでたからやりたいが、読みたい本のほうが多い。そしていまは書くせいで読めていない。また生きていれば、またそういうターンが来るのだろう。最初にあるセリフ写真は、『CROSS†CHANNEL』の「自分に必要なものは、自分の分析から来るものなのに」で、最後は『乙女理論とその周辺』の「実際、好きなものをどれだけ好きか語る時に、大抵は相手に引かれないことを意識して喋るだろう、その殻を破れ。気持ち悪い人になれ」だった。こういう改行分けすらできないような、脳内転記しているような文章を書いているとき、ほんとうに書かされているとしか思えない。でもいまはわりと楽しいのでべつに問題ではない。でも、引きつづき、やはり根本的な問題は解決されません、になってしまうわけですが、まあ。