単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

51~67

 つづき。

 

51.邦楽ロックのアルバムにあるハードコアちっくな曲いろいろ知りたい

ブログはツイッターより検索されないし読まれません。答えが返ってくる可能性は低いです。しかし、2年間更新停止をしていたブログにコメントが付くことがあります。だから今回はインターネットの海に聞いてみることにします。

 

 わたしは以下の特徴に当てはまる曲を探しています。

・邦楽ロックのアルバムに収録されている

・再生時間が比較的短い

・サイドボーカルの担当パートが増えている

・ボーカルにエフェクトがかかっている、もしくはシャウトしている

・そのバンドの曲にしてはうるさい

 といった曲です。一つや二つくらいは当てははまらなくても問題はありません。そのバンドらしさを兼ね備えつつも、うるささという点でそのバンドの最大風速に達するような曲を探しています。

 

 具体例を挙げてみますと、

 

蜘蛛の巣/cinema staff


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 何度かアニメの主題歌を担当したことがあるcinema staffの曲。 

 

Kill the CLUB DJ/VELTPUNCH


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 一度だけアニメの主題歌を担当したことがあるVELTPUNCHの曲。

Young Lust/MO'SOME TONEBENDER


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 一度だけアニメの主題歌を担当したことがあるMO'SOME TONEBENDERの曲。

I.O.U/SuiseiNoboAz


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YOUTHFUL ANGER/きのこ帝国

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 いろいろと例を挙げてみましたが、分かってもらえたか自信がありません。卑近な言い方をしますと「急に見た目がハードになったしあんま見かけない人とつるみだしてどうしたんだろう。普段からすばらしいけどこういうのもとてもいい」といったもの。おそらく上に挙げた曲だけを聞いてもそのバンドが普段どのような曲を作っているかを知らないと分かりづらいかもしれません。

 

 より正確にわたしが言いたいことを理解してもらうために、そうではない曲の例も挙げてみます。

 まずシングルに収録されている隠しトラックは対象外で、アルバムのなかで堂々と表記されていることは絶対条件になります。また、サイドボーカルの担当パートが増えている点では、クリープハイプの「かえるの唄」や「火まつり」、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの「嘘とワンダーランド」がこれらに該当しますが、普段と比べて短くもうるさくもなく選考から外れます。the cabsの「sarasa」や銀杏BOYZの「犬人間」は短くうるさいのですが、そもそもがそのバンドにしてはうるさくて普段とそう変わりがなくこれもまた選考外。

 普段はそこまでそうではないという文脈が重要で、ただ短くてうるさい曲が聞きたいわけではないのです。分かりますか? 俺にもよく分かってない。

 

52.変わりたい二十代、生きているのか三十代

 懐かしい気持ちは便利なもので、過ぎてしまったことは僕に苦痛をあまり与えないから、もう終わったことだからという理由で、安全に思いを馳せることができる。
  
 僕のいまはいつか思い出に変わり、いつかの僕はそれを懐かしむことができるだろう。そのときにたっぷりと懐かしむであろうと予期している曲が二つある。

 ひとつはハヌマーンの「幻によろしく」。この曲の「20何年間も同じ顔と名前 誰かさんのように狂ったふりをすることもできず」というフレーズに共感する。せめて外側の部分だけでも変わらないかと願うことがある。それが顔であって、名前である。その二つは、自分よりも他人が見たり言ったりすることのほうが多い。所与のものとして生まれた時から与えられたもので、基本的には死ぬまでずっと付き合っていかなければならない。たとえ気にくわなかったとしても。別段、僕は整形も名前変更もしようと思ったことはないけれど、これまでもこれからもずっと自分が自分でありつづけるのにうんざりしているので、自分が自分のままでありつづけるのはうっすらと嫌な気持ちになる。そういった気持ちがこの曲の「20何年間も同じ顔と名前」に表されていると思う。


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 もう一つはSyrup16gの劣勢。「30歳になるまでに生きてるのかおれ」ってフレーズで、まあ僕はその頃もおそらくは生きているだろう。20代前半のときは苦痛の真っただ中にいて、12mmのクレモナロープで予行練習に精を出したときもあったが、現在はそういった気持ちもなくなった。生誕のときから背負わされてきた重圧からもするっと逃げ出すことができたし、いまの苦痛はしいていえば金がないことで観念的なものではない。だから僕はきっと30歳まで生きていることだろう。ただ、いざというときはやったてる、という気持ちと手段は準備しているので、30歳になるまではこの曲を懐かしむことができるかはわからない。

 


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 そのとき、その時期しか楽しめないものがあったとしても、おそらくそれは取るにたらないものだろう。いや、そうであってほしいと願う。20歳になるまで親の洗脳下にあり、自分の気持ちすらまともに分からなかったあのころに、僕が手にできなかった多くのことは取るに足らなかったと願いたい。懐かしといえば何だって懐かしいし、思い返すことさえできるならばクソみたいな日々だって懐かしいだから、その内実はともかく僕はちゃんと懐かしめることができるのが少しだけ嬉しい。それだけでいい。

 

53.『自閉症スぺクトラムはなぜ空気が読めないのか』のメモ

そもそも、空気を読むとはどういった行為なのか。

まずそもそも「空気を読む」とはどういう行為なのか?
それは、人々の複雑に絡み合った「利害と感情の構造」を読むということだ。
「リアルタイムでダイナミックに変化している、人々の利害関係と感情関係の構造の状態を瞬時に読み取る」という行為だ。

「おまえも空気の奴隷になれ」って?「空気読め」の扱い方次第で人生台無し 


 つぎに、感情の構造を読むとはどういった行為なのか。

 自分の感情や態度を知る為に、私たちは無意識的に2つの手がかりを自動的に参照しています。一つは、内観的に自分の内面を感じ取るという意味での『内的な手がかり』であり、もう一つは、自分の行動や周囲の状況、他人の反応という『外的な手がかり』です。『内的な手がかり』は、自分の内面に生起する感情や変化ですから自分以外の他者がそれを窺い知ることは出来ませんが、『外的な手がかり』は、外部から観察可能な行動や表情、他者との反応ですから自分以外の他者もその手がかりを参考にしてその人の心理状態を推測することが出来ます。
 べムの自己知覚理論と認知的不協和理論

 
 
 自閉症スぺクトラム者は、他人の感情を読む際に、外的な手がかりと、内的な手がかりを見落としてしまう頻度が高い。

 外的な手がかりとは、外部から観察可能な行動や表情で、いわば他人の表情や身振りなどの非言語コミュニケーションである。自閉症スぺクトラム者は、コミュニケーション時において、他人から注意が逸れやすいことが知られている。それによって、コミュニケーション時に得られる外的な手がかりが少なってしまう。

 内的な手がかりとは、自分の内面に生起する感情や変化である。人間は、自身の表情から情動のフィードバックを得られることが分かっている。他人とのコミュニケーションにおいて、人間は他者の表情を見ることでミラーニューロンが働き、それによって自身の内面から相手の感情を読みとることができる。自閉症スぺクトラム者は、そのミラーニューロンの働きが弱いことが知られており、それによってコミュニケーション時に得られる内的な手がかりも少なってしまう。

 こうして、自閉症スぺクトラム者は定型発達者と比較すると、他人の感情を読む際において、外的な手がかり、内的な手がかりが共に不足してしまう。特に、ミラーニューロンによる内的な手がかりは、感情を直接的に読みとることができる機能ゆえに、それが上手く働かなくなると感情を読むことが困難になってしまう。
 
 自閉症スぺクトラム者が「空気が読めない」ということの内実は、その「利害と感情の構造」の「感情の構造」を読むことが難しいということである。そして、なぜ「感情の構造」を読むことが難しいというと、感情を読む際の情報量が不足しているからである。
 
 
 とかまあ、本を読んでいて思いました。俺は昔から「空気を読む」のが苦手だったんですが、「利害の構造を読む」のはそれほど苦手ではありませんでした。というか、むしろ得意な方だったので、リーダーとかの利害を調整するまとめ役みたいなものをやらされていました。

 今思えば、俺は感情を読むことが難しかったから利害を読んでどうにかやりくりしていました。小学生の頃から「人間関係は利害関係にしか過ぎない」とか思ってたんですが、勿論そんなわけはなくてその思考ではうまくいかないことが多りました。恋愛とか、遺伝子的な利害に関係しているのか?と思ったんですが、なんかもういろいろと分からなかった。

 なんか子供のほうが「勘定で動いている」ってイメージがあるらしいですが、でも、俺は仕事をし始めてから、人間の感情を読むことの重要性を知りました。つか、仕事では関係性複雑になりすぎて利害を読むことができなくなったからでしょうね。そういうときって利害が分からなくても、感情を読んで悪い方向に進まないようにすればそんなたいした問題は起きなません。取りあえずは、ですが。その取りあえずが、超大事。が、俺にはそれこそが難しいから人間関係がまったく難しくなったのかもしれません。小さいころは誰もが得するように振舞っていれば問題ないし、実際にそれが達成できたかどうかは分かりませんが、そう実行するのに問題はありませんでした。特に先生にとっての利害ってのは本当に読みやすくて、委員会とかやっていて上手くやれていました。
 
 いや、ほんとコミュニケーションって難しいですよね。感情なんてどうでもいいし利害を読んでさえいればいい、なんてクールな生き方をしたいけれど、そういった高度なことは高卒の俺の頭ではまったく不可能でした。なんというか、感情を読むって問題回避のために本当に便利なんだなーと思います。自然に相手の顔を見て、自然にミラーニューロンが働いて、自然に相手の感情が分かる。なるほど、そうやって空気を読むことができるのか。なんだそれ、便利すぎるだろって。

 じゃあ、どうすんのかよって、めんどうなことしか考えつかない。ミラーニューロン的な内的な手がかりは未来の科学に任せるとして(オキソシンを鼻から摂取するアレをはやく完成させて)、外的な手がかりは意識して訓練すればマシになるだろうし、まあ頭が悪くても利害を読むのも意識して訓練すればマシになるだろうし、そうやってマシにしていくしかない。めんどうくさいが、めんどうくさいから、死ぬのもありだ。死ぬことは確かに難しいが、死ぬことが不可能な訳でもない。そもそも失敗者も多いし難しいって分かってるんだから、いっぱい本を読んで体験談読んで知識を身につけて、それこそ意識して訓練するくらいはしないと。


 まあ、これは睡眠に関してもだけど、いい感じにみんな頑張っていてあと数年で革新的なお薬が発明されるっぽいので、 俺は気長に待つことにします。100回に1回くらいしか騒動できないレアキャラなのにステータスがカスみたいって虚しいけど、タマムシデパートでドーピングアイテム買えばそれなりに戦えるし、レベルが高ければちったあマシになるんじゃねえの。金はねえけど、時間はあるしさ。そしてあと二年後には、俺たちを手持ちのパーティに加えないといけない義務が発生するし、そうなればさらに生きやすくなるんじゃないかと思っているんだが、さてさてどうなることやら。

 

54.Syrup16gのオススメしにくい曲を挙げるフリしてオススメする

 Syrup16gのサブスクが解禁されて私たちの生活がすこし豊かになるで書いたように、Syrup16gのオススメ曲を挙げるのは難しい。一番よく知っている過去の自分にならオススメできないこともないが、不特定多数にオススメすることは難しく感じる。

 とりあえずのオススメを挙げてみようと試みる。
 かねてから名曲と名高い「Reborn」や「翌日」はどうだろうか。しかしSryup16gは生活の苦痛をポップにパッケージしているのも魅力だから「吐く血」や「生活」をオススメしたほうがいいのでは?と思う。でも音楽好きなら「リアル」の3ピースで突きつめた表現力を味わってほしいし、「天才」のクソかっこいいバンドサウンドを体験して欲しくもある。
 一方で、人によっては一生ものの曲になる可能性がある「末期症状」や「明日を落としても」だって外すことはできない。精神安定剤を服用しているならそれらを文字った「デイバス」や「空をなくす」が興味の入り口になってくれるかもしれない。個人的なオススメなら「真空」を聞いてぶちギレて欲しい。もしくは「テイレベル」の適当さとマジさの絶妙なバランスを知ってほしい。でも「Reborn」がやはり取っつきやすいか?
 
 つまり、Syup16gの曲をオススメすることは難しい。

 オススメすることが難しいならば、この際はじめて聞く人にオススメしない曲を挙げればいいのでは?と考えた。世の中には逆張りが趣味のひともいる。このブログではずっとオススメしてきたわけど、今回はあえてオススメしない曲をあげて逆張り好きな人にオススメしてみたい。

1.もったいない
あなたがもし悲しい曲が苦手ならばオススメできない。

Syrup16gは「暗い」とか「うつ曲」とか言われることある。でもただなにかしらの感情が一辺倒になっていることは案外少ない。だからといって救いや希望があるわけでもないのだが、まだもがきつづけるための一行や、詞は絶望が滲みでていてもバンドサウンドは快活であることが多い。

もったいないは別。「虚無感」という表現が大げさではなく、負の感情が突きぬけて無にまで至ろうとしている。「君を待っている」と救いのような一行はあるにはあるが、それ以外の詞が重々しくそして何もない。バンドサウンド、メロディーこそはいいけれどかえって詞の虚無さが浮き彫りになっている。
しかしとびっきりの悲しい曲を聞いてみたいならオススメできる。



生きているよりマシさ
自分のことを歌われていて被害妄想が悪化する恐れがあるからオススメできない
自分のことを歌われていて共感と安堵する可能性もあり、その場合はオススメしたい。再結成時にバンドやる楽しさを詰めたというバンドサウンドは聞いていて嬉しくなる。

 
手首
もしあなたが痛いのが苦手ならばオススメできない。

Syrup16gの楽曲のなかでも随一の「痛さ」がある。「早く働けよ 無駄にいいもんばかり 食わされて腹出てるぜ」はあまりに生々しいし、サビの「手首切る気にねれないなあ もうだって両手はとっくに血まみれのままさ」はあまりに痛々しい。

「心配するな」とは言ってくれるものの、それは「誰もお前を気になどしてはいない 身代わりならうなる程いる」との理由で、代替パーツが自惚れるなよという話。

じわじわと熱を帯びていくよう、ギターのブリッジミュート音を基調とするシンプルな音像が展開していく様はオススメしたくなってしまうが、その熱量によって痛い言葉たちを生き生きとさせている。痛さが真に迫ってしまっている。

しかしあなたがもし痛いのがそう苦手でもないならオススメできる。

変態
あなたがもし「変態」というタイトルで拒絶してしまうならオススメできない。

曲そのものはすばらしい。オススメできる。変態は、生物学用語の「変態」であって変な意味はない。
「いまはまだ待っているだけでいつか俺は蛹のように」と自己を蛹に例え、いつか変態することを夢見ている曲。そのわりにはバンドサウンドは憂いを帯びていて、高音のカッティングギターは聞きどころで、しだいに開放的になっていく様はまさに変態するときのような感覚がある。

しかし変態というタイトルを拒絶しないならばオススメできる。

ex.人間
もしあなたがお腹が空いているのに物を食べられない状況下にいるならオススメできない。
蕎麦を食べたくなるから。




正常(HELL-SEE収録版)
あなたがもしイントロが長い曲が苦手ならオススメできない。

特に間奏のベースラインのメロディアスに聞き浸ってほしい。正常という言葉の無意味さを歌いあげたあとに、ぼんやりと美しい音像を裏でベースが歌いだすのは感動的ですらある。

しかしイントロが長くてもいいし、動脈に収録されている正常のほうはカットされているのでオススメできる



テイレベル
あなたがもし速水という苗字でしばかれたことがあるならオススメできない。

「自分はまだ未熟」を「テイレベル」と表現し、テイレベルさを強調するかのように適当に言葉を紡いでいくのがおもしろい。闊達なオルタナティブロックサウンドと、ローファイな音像のなかでベース音が際立っていて聞き応えは十分。一発撮りみたいな荒々しさとテクニカルさが両立している。

テイレベルと認識に立つことによって、まだレベル上げができると希望がつまった曲でもあるし、人生やってるのに経験値が足りなくてテイレベルであることを悲しむ曲でもある。

しかし「速水がしばかれる」というフレーズになんとも思わないならオススメできる。



4

番外編.パープルムカデ
もしあなたがムカデが苦手ならばPVを見るのはオススメできない。曲はオススメできる。



オススメ
 「オススメしない体でオススメしよう」とアイデアが浮かんでそのために曲を振りかえってみたけどオススメしたくなる曲ばかりで選ぶのにずいぶん苦労した。そもそもがオススメできないわけがないから。

 

55.自分語り(いっつもいっつもこんなことばっかり書いていて俺よく飽きねえな)

せめてインターネット上くらいでは、いい感じの自分を演じたい。黙ることが許される、好きな時に好きなことだけに顔を出せるインターネット上では、そうでないときと違ってうまくやればいい感じの自分を演じることができるんじゃないかって。そう思ってしまっても無理ないでしょう。でもそんなこともなかったな。

 頭の一部、主に前頭葉らへんがあまりよくないおれには、口と耳を使ったコミュニケーションでは言い間違いと聞き間違いによってうまくいかないわけですが、言葉をベースにして制限時間もないとくればやりようはあると思ってしまいました。勘違いでした。やっぱりおれは頭が悪かった。

 お酒を多量摂取しているとき、何かしらの枷が外れた脳は、死にたいと訴えます。かなり大きな声で「死にたい、楽になりたい。もう苦しいのはいやだ」と叫び続けています。一方、おれは「その気持ち、めっちゃわかる」と同意しています。そうであるならば、部屋の段ボールに入ってるロープに身を任せないのはなぜなのだろうと不思議な気分です。

 私たちにはやってはいけないとされることは多くありますが、おれとしては自殺をほのめかすことが他者に何かを要求する、ということはやってはいけないことランキングの上位になるほどやってはいけないと思います。要求された人間は精神の大部分に致命的なダメージを受けます。特に親が小さい子にそれをやってしまうと、その子はその欲求に縛られることになり、どのような治療を施してもその腫瘍を取り除くことが困難です。実体験です。ずっと自殺をほのめかすくらいなら、さっさと自殺してほしかったです。そうすれば、あるいは。というのは仮定の話で、まあ今ではその教訓にのっとっておれがそうしましょう、という話です。死にたいならば何も要求せずにひっそりと死にましょう。でも、辛すぎたら要求してもいいですが。本当。俺の家庭から引きだせる、たったひとつの教訓。


 好きな音楽というものは変わるもので、最近のおれは身体性がないクラブミュージックをよく聞いています。具体的には、WARP RECORDS周辺です。もう体を動かすのも面倒だし、脳にダイレクトに影響する酒や薬を接種して、寝転がってその手の音楽を聴くのに限ります。ライブハウスとかパニック発作起こしてから行くまったくなくなったし、部屋のなか一人で聞く音楽以外はノイズが多すぎて脳がちゃんと認識できない。


 二十年くらい親の天才的な洗脳の下で生きてきて、それの洗脳から三年くらい必死こいてがんばって逃げることができて、そんでその後どうしようもなくなって、いまのおれは一体どうしたいんだろうと思う。このブログは洗脳期から、それからの逃亡期、その後の時期を共にしていました。おれは洗脳期の自分が殺したいほど憎いし、それと同時に抱きしめてやりたいほど可哀想だと思っていますが、いずれにせよその時期の自分が発した言葉が恥ずかしてたまらない。望んでない洗脳をされているやつにインターネットを与えてはならない。訳分からないほどの罪悪感を背負っているやつにインターネットを与えてはいけません。ネタにもクリーニングにもできない感情がこぼれて醜悪な染みがついてしまうから。

 おれはクソみたいな現実から逃避するために様々なことをやってきました。その中にはよくないこともそれなりにありました。そのよくないことを受け入れることはたいへんつらいです。ほんと、すいませんでした。と謝罪をしても、許されることではありません。おれが手にしている免罪符は親からの攻撃を防ぐ効果しかありません。


 人生、どこで間違ったのかなと考えたとき、やはり親を殺さなかったことであり、奈良自宅放火母子3人殺人事件から教訓を学ばなかったことであり、つまりそれは不可能だったということです。親を殺したくてたまらなかった数年間をむだにしてしまったことは、おれの人生においての大失敗です。いまのおれはもう恨みや怒りをガソリンとして使えない。枯渇してしまった。疲れてしまった。

 「この苦痛や恐怖や屈辱にはもう耐えられない、自分の生活環境をすべて破壊してこの状況から脱出したいという感情により、自宅に放火した」という供述に共感してしまう。ただ彼は放火し、おれはパニック発作を起こしたと表現型が異なり、それは決定的な差となった気がします。

 それが良いと分かっており、そのための準備もしています。だが、まだおれは生きている。まったくもってこの状況は間違っているし、おれはやはり根性がないようです。勢いがほしい。勢いが足りない。自分で自分が望んだことをやる、というのは禁忌であったおれには難しいようです。難しい。人生はあまりにもむずかしい。

 

56.生き恥

 もはやこれ以上は恥をかきたくない。私はあまりにも恥をかきすぎた。その恥というのは、頭が悪い人間が頭が良いと振舞うような類の恥で、誰であっても容易に失笑することができる恥であった。分かりやすゆえに人からたびたび指摘されることもある恥だった。それが自分の意思で招いた恥ならば受けとめる術もあるけれど、他人に強制された恥だったのでいまだにどうしようもない。そのせいか、昔の私を知っている人間の存在はそれだけで私にとっては怖いものである。

 そして、今日もまた恥をかいた。血の気が引いた。

 

57.人生に影響を与えた45曲のメモ(2012に書かれた)

 当時、有名なバンドのメンバーガ45曲紹介するのが流行っていた。メモ。決められるわけがない。表記間違いを探せ!

イエロウ/syrup16g
明日を落としても/syrup16g
stan/eminem
Megalomaniac /incubus
続・腐食/tha blue herb
ドロップ/THEE MICHELLE GUN ELEPHANT
未来は俺らの手の中/tha blue herb
let me know ya/TOKONA-X
鍵盤のない、/people in the boc
killer smile/veltpunch
no thank you/coaltar of the deepers
souvenirs Dun aut/alcest
コバルトブルー/the back horn
ガリバー2/七尾旅人
silky heart/堀江由衣
百合の咲く場所で/dragon ash
RUNNIN/2pac
Wanderland/9mm Parabellum Bullet
Ize of the World/stokes
ベガ/キセル
サーチライト/筋肉少女帯
The Strokes - Reptilia
 ZEGEN VS UNDERCOVER/Number Girl
忘却の空/SADS
ラストシーン/Asian Kung-Fu Generation 
Only Shallow/My Bloody Valentine
人間発電所/budda brand
グレートアマチュアリズム/ライムスター
日本引きこもり協会のテーマ/
juice/ozrosaurus
修羅場/東京事変
on and on/ozrosaurus
ディズニーランドへ/BLANKEY JET CITY
おはよう日本/般若
生命賛歌/エレファントカシマシ
ハッピーエンドに憧れて/the back horn
生命線/the back horn
youthful days/mr children
優しいうた/mr children

ヘルプミーヘルプミーヘルプミー/清竜人
Saeglopur /Sigur Ros
Stay Gold/steady&co
out there/dinasour jr
飛べない翼/lily chou chou
Farewell to words/envy
強く儚い者たち/cocco
スマトラ警備隊/相対性理論
天体観測/bump of chiken
対象a/annina
magia/kalafina
気い狂て/INU
空色days/中川翔子
シューゲイザー/LUNKHEAD
Titan arum/psysalia psysalia psyche
william,It was /the smiths
ケテルビー/特撮
赤い戦車/yapoos
透明少女/number girl
In The Aeroplane Over The Sea/neutral milk hotel
where is my mind/pixies
yumegiwa last boy/super car
末期症状/Syrup16g


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58.頭も悪いし、耳が悪い

おれは俗にいう神経症ってやつで、とくに耳が神経症の根幹をなしている。俺は耳が良い。っていうか聴覚過敏ってやつだ。

 知人と会話しているとき「携帯が鳴ってるよ」「噓?あ、ほんとだ」みたいなことがよくある。

 俺がいまの能力を有して戦国時代に生れ落ちていたら、正直いって警戒兵としてそこそこ活躍していただろう。神経症ってまでに発達したおれの聴覚は、いかなる状況においても不穏な音を聞き逃すことはない。常に自動で機能している。眠っているときも酔っているときでさえだ。これは担当医のお墨付きだ。

 そしておれの耳が優れているのは、不愉快な音の音域を記憶して、その音域の音にたいして極端に過敏になることだ。おれは絶対音感を持っているわけではないが、不愉快な音の音域への精度はかなりのものなのだ。この性質も使いようによっては役に立つだろう。

 とまで書いてまで思った。やっぱり俺は活躍できない。俺が戦国時代に生れ落ちていても、日々の不安のなかで幻聴を捉えることになるのだろう。その想像が用意にはできる。なにせ今ですらときどき幻聴があるのだから、死が隣り合わせにあった時代では尚更すぐに頭がおかしくなってしまうのだろう。麻薬かなんかで対処療法をしても多分それでも頭がイカれていた。


 それに。それにだ。俺が生きているのは現代だ。どう考えても警戒兵なんて必要がない。機械のほうがおれの数百倍耳がいい。だからこの現代において多少耳が良いってことはたいしたメリットになっているわけでもなく、むしろデメリットばかりでそれを数える上げるのに苦労しない。

 俺は夜は必ず耳栓をして寝ている。ちょっとした物音で目が覚めてしまうからそのための自衛策。冷蔵庫もうるさいから始末した。耳栓がないと不安でしょうがないし、もはや体のパーツの一部だすら思う。なぜ人間は耳を閉じることができないのかと分相応な苛立ちすらある。

 それだけでなく他人の生活音で気が狂いそうになるから部屋の中でも外でもヘッドフォンが外せないのだ。そのとき聞く音楽はシューゲイザーがもっともいい。おれはシューゲイザーを騒音相殺音楽と勘違いしている節がある。もっともよくないのは、曲間で数秒くらい間がある作品。あの数秒で俺の耳は不愉快な生活音を拾い上げてしまう。

 
 完全防音のアパートに引っ越したい。よくそのことを願う。そこには自分しか存在していないと錯覚できるほどの静かな部屋。耳栓もヘッドフォンもしなくて夜を過ごせる部屋。しかし、またしても現実は家賃三万円のボロアパート。救いがあるとすれば、あまりにボロいからあまり人が住むことなく、住んだ人もすぐに引っ越すことくらいなもんで。そんなボロアパートに高級マンションのチラシがよくポスティングされている。まったくなんの嫌がらせなのだろう。

 もしくは、世界がノイズで覆われていたらいいのにって思う。「終末の音」っていう現象がおれの上空にだけ降りそそぎ続いてほしい。おれは他人の生活音が嫌いなだけであって、車が行きかう音や工事現場の音は好きだったりする。ホワイトノイズもピンクノイズも好きだ。だから世界がノイズに覆われていたら多分おれは耳栓をする必要がなくなる。おれはハッピーになって生活が好転してホワイトな企業に就職できる。

 おれは騒音で死ぬほど苦しんでいたときに、ふとちょっとした難聴になればこの苦しみから解放されるのでは、と思いたって大音量で音楽を聞きつづけたことがあった。その当時のおれは頭がおかしくなりかけていたから本気でそう思って実行したのだった。

 そんで思ったのが、でかい音で音楽を聞くと気持ちいいなってことだった。騒音は辛いけど、音楽を聞けなくなるのはもっと辛いなって思って辞めた。おれにしては賢い選択だった。

 

59.ゆっくりと痩せる(死ぬ)ライフハック

 わたしが試したことがある最強で最速のダイエット方法を伝授します。

 やり方は簡単です。メシを抜いて冷凍庫でキンキンに冷やしたウォッカを飲んで泥酔してたくさん水を飲んで寝る。それと同時に、ハイチオールCのような二日酔い対策になるサプリメントを摂取する。これを休日にひたすら繰りかえすことです。

 こうすれば、摂取カロリーが基礎代謝の消費カロリーを大きく下回ることになって、目に見えてガリガリと痩せていきます。オマケに肝臓にもダメージが蓄積されていきますが、痩せるという一点に関してはその効果だけは保証できます。

 ビールや日本酒、梅酒、リキュールではダメです。あなたはウォッカを飲むのです。これらの酒には糖質が含まれているので下手すれば腹だけ膨れて某グレイみたいなエイリアン体型になってしまう危険性があります。そこで、もっともアルコール以外のカロリーが低くて安いウォッカを飲むのです。 

 ウォッカは冷凍庫にいれるとトロリとした液状になってたいへん飲みやすくなります。ちょっとくらい酒に弱いとしてもロリとしたウォッカはぐいぐいと飲めます。さらにいまのような寒い季節ですと、空腹時にショットグラスでグイってやると体も温まっていい塩梅になれることを保証します。

 そのウォッカですが、個人的にはストリチナヤ、アブソルート、グリーンマークをお勧めします。手に入りやすさでいえばスミノフが一番でしょうが、あれは臭みがけっこう強いので慣れない人にはお勧めできません。個人的に好きではありません。

 何も食べなかったらお腹がすくじゃん。って意見があるでしょうが、食欲は過度に投下されたアルコールによって簡単にごまかせます。空腹のつらさは酩酊によってかき消されるのです。このダイエット方法の根幹は食欲をアルコールで誤魔化すってところにあります。

 睡眠時には筋肉よりも脂肪が優先的に消費されることはあまたの研究によって知られています。このダイエット方法がただの飢餓常態ではないと言えるのは、酩酊して睡眠をとることによってかろうじて脂肪を燃焼するために効果的であるからです。
 
 まあ、誰でも気がつくように、このダイエット方法は健康には良くありません。もはや良くないってレベルでもなくて、消極的な自殺ってくらいには危険でしょう。なので、それでも痩せたい、たとえ死んだとしても痩せたいって人にのみこのダイエット方法を推奨します。

 この方法では当然ながら筋肉も減少します。そして、胃腸と肝臓にダメージを与えます。二日酔い対策のアセトアルデヒ消化促進アプリを摂取すれば臓器へのダメージを軽減ができますが、それでも悪影響であることはまちがいありません。

 わたしはこの方法をダイエット目的ではなくて、それこそ消極的な自殺を目的とした人体実験として試したことがあります。効果覿面、数日の試みだったのにも関わらず、体重がビックリするくらい減少していました。もとからBMI18アンダーのわたしでもビックリするほど痩せることができたのです。つーか、衰えたといったほうが的確かもしれません。具体的に言えば、3kgぐらいは痩せました。たった数日で。


 このダイエットには苦痛はありません。心地よい酩酊と睡眠、また減少する脂肪と筋肉があるだけです。ほんと簡単。明日なんてどうでもよくて今この瞬間だけの美醜を大事にしたいならばこれほど簡単なダイエット方法はありません。ほんとに簡単です。そんで、超心地よい。

 このダイエット方法のコツがあるとすれば、酒を飲みすぎて二日酔いになってしまうと怠いので、眠気を誘うくらいのアルコール量で止めておくことでしょう。そうすれば、ひたすら楽しくごっそりと痩せることができます。

 あえて強調するまでもなく、このダイエット方法はたいへん危険であります。それを分かったうえで痩せたいって人は試してみてはどうでしょうか。

 なんていうのはまったくの噓で、こんなのまったく効果ないよ。だってまとめブログがソースだもん。

 どうせ死んだらみな汚物になるわけだし、それならちっとは綺麗な体で死にましょうよ。どこかのテロリストに処刑されるときに脂肪で肥えていたら様にならないよ。火あぶりにされたら脂肪でよく燃えて、体を刻み込まれたら脂肪が溶けだすって、ちょっと想像しただけでも汚らしいでしょう?そんなの見にくく過ぎてプロパタガンタにすら利用されねえよ。どうせ死ぬならちっとは綺麗に死のう。そうしましょう。それがいい。

 

60.要は、技術か?

pegmapの新譜を聞いて救われると感じたのですが、よく考えみると、ただ俺が勝手にすがりついて勝手に救われたと宣言しているだけで、それは「感傷」という自分以外には癇に障ってしまうアレな感情だと気付きました。でもそんな感情でも、オマケとしてオブラートに包めば受け入れてもらえるし、運がいいときはそれでも評価されることもあったりするので、感情そのものはべつに悪いもんでもないようです。もちろん、きもちわるいと思われるリスクだって当然あるんですけど。そこは書き方次第、ようは技術の問題なのでがんばるだけですね。

   
 感傷とか、自己憐憫とか、そういった感情の扱いって難しいですよね。そのままではあまりにも毒性がつよくて害となる感情なので、こうしてこねくりまわしてなんとか受け入れられるようにいじってます。そういうことずっと繰り返してきたので、今ではずいぶんと上手くなりました。でも、他人に見せるとなるとまだまだなのでなるべくは控えたいですが。それもまた技術の問題。


 話は変わって。
 なんでブログをやっているかについてたまに考えるんですが、最近になって思い付いたことが、もしかすると俺は「耳を傾けてもらいたい」という気持ちが強いのかもしれません。そのまま自分だからこそという理由で、そのままの自分の言葉に、耳を傾けてもらいたいのかなと。いわば承認欲求の一種ですよね
 
 しかし、そんなの無理なんです。親でにさえもそういった体験がないのに、ましては利害関係抜きで他人に耳を傾けてもらえるなんてありえない。願うならば金を払ってカウンセラーに行けって話で。それはなんか嫌。でもやっぱり「耳を傾けてもらいたい」という気持ちがあるので、その代替行為としてブログをやっているかなーとおもいました。耳を傾けてもらえないのならば目を寄こしてほしいといった感じで。


 それに気づいてしまってからどうもうまくいかなくなりました。
 じっさいに読んでもらえるのはレビューとか考察とかそのままの自分ではないです。いやまあレビューとか考察を書いているおかげか、ついでに自分語りとかも少しは読んでもらえるのですが、それを利用して「耳を傾けてもらう」ってのは卑怯じゃないかと。つーか、時々はレビューや考察そのものが自分語りになっていたりするし。そもそも目的がそれって色々な方面に失礼じゃないかと。自分の欲望を分かったうえで今度もつづけるのかという問題にぶち当たりました。


 でもねー、やっぱり耳を傾けてもらいたんですよね。しかも、俺が言っているというその理由だけで。その気持ちは確かなんですよね。いくら否定しても拒絶しても、やっぱり確かに心の中にある。じゃあどうするのっていうと、ちゃんとしたことを言うか、ちゃんとした俺になるかってこと。たぶんその二つ。

 「ちゃんとしたことを言う」ために作品を利用するのはどうも失礼な気がするんですが、その意思そのものは悪いことでもないのかもしれません。というのも、たぶんこれは技術の問題で、意思の問題ではないのではと。他人から見たらどうなるかが大事で、「このレビューはレビューだ」と捉えらればそれでいい。そしてなにより書き手の意思は結局は「書きたい」につきるし、目的がどうであれ書きたいから書くだけなんです。それ以上を考慮しても意味ないんじゃねーかって。あと、かりに作品を語って集客してから自分語りをしたとしても、ブログという読まないことを容易に選択できる媒体においては別に問題ないってのも。


 耳を傾けてもらいたい。自分の中では嫌悪する気持ちがありつつ、それ以上に渇望する気持ちがあるので、それを否定しても仕方ないですし。そうなると、やるべきことはただ一つでひたすら技術を磨くしかない。技術さえあれば、自分語りもレビューも同じレベルで、読み応えがある参考となる文章に仕上がるのでしょう。

 
 ほんと、「耳を傾けてもらいたい」ってのもまた取り扱いが難しい願望だとおもいますね。
 とにかく、ここでがんばればちょっとは満たされることが分かったので、まだブログはつづけていきます。なんだかんだでブログ書いていて楽しいですし。というか楽しいからやるってのが一番の理由というのはいずれせよぶれないです。


 要は、技術の問題でしょ?って話でした。そして、その結論は「とにかく書け」しかありません。

 

61.2015年にブログで立てた目標

突然ですが、ここで2015年に自分がブログで設定した目標を見てみましょう。

 さっそくながら計画というか目標として、Syrup16gの新曲数+ライブの開催数+ハンターハンターの連載数を上回る量の更新することを決めました。
 2015年のはじまり


 2015年の目標を達成できているかチェックしていきます。さっそく目標を達成するために必要な数値を調べてみました。結果はどうなっているのでしょうか。

 2015年のSyrup16gの新曲数は5曲、2015年のSyrup16gのライブの開催数は4回、ハンターハンターの連載数 0回です。これらを足しますと合計で「9回」です。一方、私が2015年にブログを更新した回数は合計で「12回」です。
 
 お見事! 無事に目標を達成することできました。This is 有言実行。これが正しい目標設定というものでしょう。PDCAが秩序をもって回転していき、もう自己啓発本を読み漁る必要もない。だが、それにしても達成感がまったくない。一体なんだこれ。なぜ自分はこんな目標を立てたんだ。


 という冗談はさておき、またブログをやっていこうかなーと思っています。いやね、いつもの思いつきなんかではなくて、もちろんキッカケはあります。それはあるブロガー(もういない)の文章を模写していたときに見つけた文章に感銘を受けたからです。なぜ模写していたかというとそれはいつもの思いつきですが。

 「過剰な私」について、徹底的に語り倒し、深い納得をもって、その過剰さを安堵させてやること


 この一文を書き写していたときに、「あーそういや俺って、自分の過剰さについてなんとも思わなくなったなー」と気づきました。過剰な私というのは、どのように代弁されたところで「誰とも共有することができない、したくない」部分ってやつで、私にもそうした思いは確かにあるはずなのに特に気にならなくなりました。ひとことでいえば、鈍感になってしまったのでしょう。

 で、なぜ鈍感になってしまったかといえば、簡単な話で、まあ生活が苦しいんですよ。敵わんのです。色々と。数年前までは精神的なことでたっぷり悩むことができたけど、いまではそれに加えて金の問題まで加わってしまったからさあ大変。問題は加速し勢いをつけて私にぶつかってきます。それが痛いし、苦しいってわけです。

 そういう日々を送っていると、なんかもう精神的なことがどうでもよくなる。酒を飲んで逃げるコマンドを連打して苦しみから逃げていたら一年が経ってしまった。あっというまだったのに、同時にすごく長く感じていた。多分そんな感じでこれからもしばらく続いて、突然ぷつりと終わってしまうのだろうと思っていました。

 そうしたとき、上記の文章を模写してから、上の言葉が頭の中から離れなくなった。

 なんつーか、私が文章を書いている理由って、好きなことについて書くときも、とりとめのない雑記だとしても、そもそもが「自分を納得させること」が動機になっているような気がします。

 例えば、好きなことについて書くときは、あえて好きなことをここで叫ぶことで、自分に「人生は勘定は釣り合わないが、少しでも加算していくことはできるから」と無理に納得させているんです。辛いことや苦しい事ばっかでマイナスに傾きすぎた勘定を、好きなことを好きと書きつづけることで少しでもプラスに持っていって納得しているわけです。辛いことならそれを吐きだすことで、そういうものだと納得させる。

 まあ納得の有無に関わらず、終わるときは終わるわけなんですけど、それでも私は納得することを諦めたくないたくないんです。そうずっと思ってきたことを思いだしました。どのような人生であったとしても納得できれば最低ラインはクリアって感じで。ってか、もうそこしか狙えるような立ち位置ではないので、積極的に狙っているわけでもあるんですが。消化試合だったとしても消化したいし。とにかく、私は納得したいってわけです。


 そのために、文章を書くことは有意義でした。特に「あー、それって私も分かるわー」みたいに安易に共有されることがない過剰な気持ちを綴ることで自分を納得させることができました。ただ、他にも文章にすることで納得したい気持ちがつぎつぎと溢れだして収集つかなくなってもういいやって放置してしまうこともありましたが。

 
 で、何が言いたいかというと、うまくまとまっていませんが、とりあえず私は書くことによって私を安堵させることができ、また納得させることができるようなのです。人生、とにかく納得させて及第点に達したいわけなので、やっぱまたブログやろうかなーとか思いつつ、この文章を書いたのは一年前でいまさら公開するのかよと思いつつ、なんかもうおしまい。

 

62.2022年にブログで立てる目標

 自分語りを控えるか、書くのをやめて、精神衛生に悪影響を与えない。

 

63.そろそろハンターハンター再開してほしい

そろそろハンターハンター再開してほしい。

 ぼくのもとにやってくる月曜日は鋭利なアイスピックみたいなもんでぼくの脳天にずっぷりと刺さる。やる気が大量出血する。無気力だけが残る。ハンターハンターが連載しているときは少年ジャンプが盾になって月曜日からぼくを守ってくれる。やる気はかすり傷程度の出血で済む。

 なぜならハンターハンターはすごい才能がある冨樫義博が集中してがんばって書いていて、それでおそらく念が込められて強固なって盾になってくれるからだろうな。堅状態ってやつだ。そのときは数十ページの薄っぺらい紙切れだって立派な盾になりうる。だからそろそろハンターハンター再開してぼくを鋭利な月曜日から守ってくれ。


 分かってる。ぼくも腰を怪我して大変な思いをしたことあるから。腰の調子がよくないときは休息をたっぷりとったほうがいい。これからのことも考えればそっちのほうがいいに決まっている。それくらいはわきまえている。

 そうなんだけどさ。しかしもうぼくにはあまり時間が残されていないような気がする。ぼくがダメになってしまったら、いくらハンターハンターがすばらしいからといってそれをぼくをエンジョイできない。エンジョイには享受するって意味もある。まあぼくが死ぬってことにはならないにせよ、もう楽しく漫画を読めなくなってしまうような精神状態になっても同じことだ。そっちは近いような気がする。もういろいろと限界がきている。分かってる。これはぼくの都合でしかない。でもぼくはハンターハンターの連載を楽しんで享受したいんだ。本当にそう思っている。

 漫画は書く人がいないと読めないし、読む人がいないと読まれない。いまはまだ書く人は生きているし読む人もたくさん生きている。でも多分そういう人は一週間で一人くらいは死んでいる。「ハンターハンター、最後まで見届けたかったなあ」って口にするのがそろそろぼくの番のような気がしてならないんだよ。ぼくはハンターハンター禁断症状がでてポエムを書いてしまうくらいには追いこまれている。ご自愛ください。でも、そろそろハンターハンター再開してほしい。

 

64.twitterのスパムアカウントの雑さが気に食わない

 実話。そのときツイッターの通知が光る。桜Trick♡キャッキャウフフさんにフォローされました。アニメアカウントの人かなって覗いてみたら、ただのスパムアカウントだった。脊髄反射でスパムブロックをした。それは刹那のごとき所作だったと言われている。俺に。

 なんつーか、ほんと雑だわ。まったく雑すぎる。桜Trick♡キャッキャウフフってアカウント、アフィリエイトリンクと他で拾った桜Trickの画像を交互でツイートしている、まあよくあるスパムアカウント。それにしてはアフィリエイトリンクばかりをリツイートしすぎだし、餌の部分の桜Trickのツイートがさっそく重複している。ネタ切れはえーよ!

 せめて冒頭には餌のツイートを固定しようよ。餌、大事だよ? 「どんなアカウントかな?ってスパムアカウントかよ!」ってまでの間が短すぎる。針だけ剥き出し状態。そりゃ俺はキャッキャウフフ成分に飢えているけどさ針だけに食らいつくほどバカではない。

 そもそもさ、「キャッキャウフフな画像でまったりとつぶやきます。」ってなんなの。そんなのgoogle画像検索で「桜Trick」って打ちこめばそれくらい簡単に見ることができるし、セーフサーチを外せばもっとキャッハウフフしてる画像すら見ることができるくらい知っているんだよ。「キャッキャウフフな画像でガッツリと稼ぎます。」ってほうがいくらかは好感が持てる。それでもスパムブロックするけどさ。
 
 あっ、そうか。もしかして仲間意識でフォローされると考えたのかな? なんかねー、それも雑だわ。桜Trickの視聴者って古兵の集まりって気がする。多分このtogetterの影響による偏見だけど。あのアニメは強靭な胃袋を持つものでないと消化不良を起こしてしまうくらいカロリーめっちゃ高いって感じがある。俺はニコニコ動画のノイズコメントでうすめることでどうにか視聴できたくらいだったし。それでも胃もたれしたからね。無駄な深読みに長けている俺ですらOPの空飛ぶ自転車はいまだに解読不可能です。あとでそもそも意味がないって知って胃がもたれて一週間寝込んだ。

 だから誰もフォローするわけないだろ、ってフォロワー欄を覗いてみたらなんか100人くらいいるし……。

 まあ、業者同士のフォローが大半だろうし、そうでなくても世の中にはスパムアカウントだとしてもフォローしてもらった以上はフォローを返す優しい人がいるからね。でも、人の優しさの上にあぐらをかくようなマネはよくないってお前の関係者一同がけっこう悲しんでると思うよ。少なくとも俺は悲しんでるからね。

 
 お前は数打てば当たるってノリでやっているだろうけど、さすがに的を狙うくらいはしろよっていいたい。無作為すぎる。それと同時にそもそもスパムアカウントやるなよって言いたいし、つーか働け。いやね、俺も労働だいきらい人間だから気持ちはわかるよ。俺だってもしそれで簡単に稼げるならスパムアカウントやっちゃうかもしれない。だから気持ちわかるけどさ、だからこそちゃんとやんなきゃって話なんだよ。


 あと、お前は俺を傷つけた。俺は悲しいことに承認欲求の奴隷なわけよ。ブログだって毎日アクセス解析見ているし生ログだってよく確認しているし拍手とかコメントとかあったらめっちゃ喜んでるからね。ツイッターも好きにやってるので反応を気にしていませんしフォローも返しませんって顔してやってるけど、フォロワーが増えたら即座にチェックしている。それがかりにウォッチャー目的だったとしても、俺は数パーセントの好意の可能性を読みとって喜ぶことができるのに、スパムアカウントだったらその可能性がまったくないじゃん。ゼロじゃん。そしたら俺は傷つくじゃん。だからやめろ。

 ってかさ、かりにも作品を利用するからには敬意を持ってほしい。お前が桜Trickをちゃんと見たことあるかは分からないけど、まあ多分だけど一話くらいは見たんじゃないの?それなら最低限の敬意は持ってもいいんじゃないのと思うわけよ。いや、そもそも敬意とかそういう話以前にやんなよって話だけど。つーか、俺をフォローするな。

 俺は人の気持ちが分かるときもある優しい人間だから、わざわざ有限の時間を使ってお前に断言してあげよう。お前はスパムアカウントが向いていない。今すぐ辞めろ。諦めてハローワークにGO! まあ行ったところで仕事はほとんどないけどね……。辛いよね。分かる。お互いがんばろう。

 俺は「お前」に該当する人間が読まないことを承知で書いている。俺はビビりだから面と向かってお前に「文句あるの?」って言われたらすぐに謝罪する。その可能性を考慮して先に謝っておく。ごめんなさい。でも今すぐ辞めろ。俺をフォローするな。

 

65.ヒップホップの兄弟分紹介的セリフ、すごいな

この記事、数か月前に書いたものだけど、かなり酔っているときにしか公開できないレベルだと思うのでこの機会に公開することにします。昔、ヒップホップばかりを聞いていた俺がとても肝っ玉が小さい話をします。

 Eminemの「Without Me」という曲がある。その曲は「Obie Trice name no gimmicks」という言葉から始まるんだけど、このObie TriceというのはEminemのレコード会社からデビューしたラッパーだ。曲の冒頭でほんの数秒だけで兄弟分を登場させている。HIPHOPではこういったように兄弟分や親しい人物を登場させたり紹介することがけっこうある。

超売れた曲。当時はずっとラジオでかかっていた。

  
 で、ほんと肝っ玉が小さい話になってしまうんけど、こういう曲はもし仲違いしたときはどうするんだろうって心配してしまう。人間関係なんてひょうなことがあったら簡単に崩壊する。兄弟分だろうが愛弟子だろうが、人間の関係である以上は非常にもろい。(と俺は思う。金が絡めば尚更。)
 
 事実、俺が心配した出来事が起きたこともある。DJ HAZUとILL-BOSSTINOの「野良犬」という曲で「紹介するぜ オレの五分の兄兄弟分 PEACE TO ILLな街 尾張 MARIACHI」とILLMARIACHIというユニットを紹介するフレーズがある。PVでは数秒だけど彼らの写真も出している。このユニットは同じくDJ HAZUとTOKONA-Xからなっているんだけど、なんとこのTOKONA-XILL-BOSSTINOはあるとき対立していたことがあった。ヒップホップの用語を使えばビーフってやつだ。かなりのガチのビーフだった。TOKONA-Xなんてある曲でめちゃくちゃディスりまくっている。そのせいか、「野良犬」の兄弟分を紹介するところ、以前に俺がライブで聞いたときはそこは歌っていなかった。俺が持っているDVDでもそうだった。そういうことがある。

 まあこれは今はもう和解しているから昔の話なんだけど。というか、すでにTOKONA-Xが亡くなっている。 ちなみに彼らはどっちも日本で一、二位を争うほど好きなラッパー。まずオススメするならこの両者。時点でOZROSAURUS。

これはTOKONA-XがILL-BOOSTINOをディスった曲。こんなんされたらめっちゃ怖い。



 かりにもヒップホップにどっぷりとハマっていたものとして、マジで肝っ玉が小さいことを書いているのは分かっている。でも、俺は「兄弟分を紹介する」みたいなフレーズを聞いたときにどうしても心配せずにはいられないのだ。それ、そのうちキツイことになるんじゃないかって。あれだ、テレビで芸人や素人がタダ滑りしているのを見るときの感じに似ている。まったく無関係なのに勝手にそわそわしてしまう感じだ。

 「それよりもディスる曲のほうが問題だろ」って思われるもしれないが、ディスくらい振りきっているならそう問題ないと思う。ディスがある曲ってのは大抵はそれ目的の曲だから、それなら和解した後は「あれはもう過去のことだ」とか公言して封印すればいい。ディスはやってることが分かりやすいから昔の話って分かってもらいやすいし。しかし、「兄弟分を紹介する」というフレーズはわりと色々な曲にほんの少しだけあることが多いから判断がやや難しくなると思う。もし仲違いしてしまったときは、そのフレーズだけを省略するのか、もう曲自体を封印するのか、とか。別にディスってるわけじゃないから気持ちの問題になりそうだし。たった数秒のためになかなか難しい判断を強いられることになる、と思う。その微妙さが難しいんじゃないかというわけ。

 などというまったく無関係の俺が勝手に心配してしまうという話。ほんとうに肝っ玉が小さい話であるのは承知しているし、奴らには覚悟があると言われてしまえば納得するだけの話でもある。好きな人の名前を犬に付ける、とか似たような話かもしれません。いやこれと一緒にしたらさすがに失礼かもしれないから撤回しときます。 まあ肝っ玉に関していうならば、こうしてブログで無知と勘違いを晒しつづけているお前はどうなんだという話ですが、ブログはすぐに削除や訂正ができることもあってあんまり深いことは考えてやっていません。人間、図太さと繊細は兼ねそなえていて、どこにそれを発揮させるのかって問題だけなのかもしれません。

 

66.Syrup16gの歌詞をひたすら書き込むスレ

xxx:名前はいらない:2022/5/24(火) 00:03:01 id:xxxxxxxxx
寝れねぇ もう遅ぇよねぇ 

 

67.『「社会心理学講座」〈閉ざされた社会〉と〈開かれた社会』』のメモ

つまり自分が恋する相手が何者であるかはわからない。根拠が隠蔽されるおかげで、恋という心理現象が可能になる。

収支の不均衡を積極的に受け入れられる状態を信頼関係と呼ぶのです。

歴史は実際に生じることでしか、その姿を明らかにしない。

ここには自由意志などない。あるのは自由の虚構です。

権利・義務が完全に明示化できれば、人間の世界に信頼は要りません。しかしそれは同時に、人間が人間たることをやめる時です。

 学問研究の本に対する感想として不適切かもしれないが、この本の感想は「かっこいい」に尽きる。言葉が、あまりにもかっこいいのだ。

  『「社会心理学講座」〈閉ざされた社会〉と〈開かれた社会』は、大学で修士課程の学生を対象に行った講義を基に構成された、社会心理学から科学や哲学を批判的に検討する本……なのだが、慎重に展開される考察のなかで、かっこよすぎる言葉が飛びだしてくる。私、責任、時間といったテーマを実験を基に考察していく文章は、緻密に論を追っていく必要があり、俺のような門外漢にとっては俗にいう「難解な本」に当たるのだが、それでも突如でてくるかっこいい言葉に打ちのめされる。

 あとがきに「学問の背景には人生がある。考察の陰に感情や苦悩あるいは叫びが隠されている」とある。「どうせ人文・社会科学を勉強しても世界の問題は解決しません」から、はては「人々の幸せに貢献したいから哲学を学ぶ、社会学や心理学を研究すると宣うひとがいます。正気なのかと私は思います。そんな素朴な無知や傲慢あるいは偽善が私には信じられません」とまで言い放つ。

 本人は負のエネルギーで書いてはいないとあるが、はたして本当なのだろうかと疑問いすら思う。この本のかっこよさは、キレている人間のそれに酷似している。それもあってか、この本のレビューを読むとたまにキレられていて面白い。

 あまりにかっこいいから気に入った断章を抜粋していく。

〈私〉とは社会心理学現象であり、社会環境の中で脳が不断に繰り返す虚構生成プロセスです。

 私を虚構生成プロセスと言い切る力強さよ。

 行為の内在的性質──殺人はAという理由で悪である──によって犯罪性は決まらない。犯罪は単に社会からの逸脱を意味します。

そもそも記憶は何か。何からの力を媒体に加えて変化を生じさせた後に、当該の力を除去しても変化が消失せずに残存する現象、これが記憶の一般的定義です。

階層上昇が可能であるか、あるいは実際にそうでなくとも、可能だという幻想がある時、不平等の現実にもかかわらず社会構造自体の是非は問われない。貧富の原因が各人固有の能力に帰されるからです。

科学的心理とは科学者共同体のコンセンサスにすぎない。それ以上の確実性は人間には閉ざされている。

距離が近くなればなるほど、境界を保つために差異化の力学がより強く作用する。

閉鎖系全体の状態は均一化に向かうのみで、その逆は起きません。

変化を質的と規定するか量的と判断するかは、我々が採用する観察次元の違いによることがわかります。

 あまりにカッコいい断章の数々。力強さと、その定義や結論に至るまでの論証の細やかさが、よくわかんないレベルで成りたっていて、あまりにカッコいい。

 

67.こんなにじぶんのことばかりでくるしまないやうにうまれてきます

 中学生のとき「永訣の朝」を知って動揺したときにこのままずっと俺は自分のことばかり考えたり語ったりするようになるのだろうか、と思った。まだ、そうなりそう。

うまれで くるたて こんどは こたに わりやの ごとばかりで くるしまなあよに うまれてくる

(こんなにじぶんのことばかりでくるしまないやうにうまれてきます)

宮沢賢治 「永訣の朝」(『心象スケッチ 春と修羅』より) | 春夏秋冬・四季の詩~有名詩人のおすすめ作品集~

 ブログを読み返したときに「俺」「俺」「俺「俺」「俺」「俺」「俺」「俺」「俺」「俺」「俺」「俺」「俺」「俺」「俺」「俺」「俺」「俺」「俺」「俺」「俺」「俺」「俺」「俺」「俺」「俺」「俺」「俺」ばっかりでもう飽き飽きしてきた。

 薄めたかったはずなのに、濃くなってきている。

 一定の場に留まると、自分濃度というような瘴気のようななにかが濃くなってきて、その場所から去りたくなる。twitterはそういう理由で何度も衝動的に消してしまった。これまでは何とかバランスを保てていたが、最近は自分語りが多くなってしまったせいで加速的に濃くなり、いよいよ耐えきれなくなってきた。

 いつになったら自分の中から出てくる言葉が嫌でなくなるのだろうか。ほとんど誰かの言葉の借り物であるのに、意図して言葉がそうなるようにしてきたのに、それが自分の中から出てきたと認識してしまったら、もうそれで嫌になってしまう。

 嫌になってしまった。何かを良いと書くにしても、何かについて考えて書くにしても、結局それは、自分の中から出てきたなにかではないか。そう思うと、やる気がなくなる。

68.~

 67でおしまい。俺の言葉で終わりたくないので、唐辺葉介の『電気サーカス』からかっこいい文章を引用して、2022年5月ずっとやっていた謎の数字タイトル自分語り記事はおわり。 

見たまえ。僕らのサーカスはここに終わりを告げた。猛獣もピエロも役割を終えて店じまいをしている。色鮮やかなテントは畳まれ、まっさらな跡地には風が吹いている。僕の知らない場所ではもう新しいショーが始まっているのかも知れないが、それを楽しむのは、まだそれを見たことがない、新しい人々だ。僕らの、知らない、若々しい人々だ。

『電気サーカス』