ここ最近、90年代悪趣味カルチャーの亡霊に取り憑かれているような気がします。気のせいでしょうか。
公開したブログを読み返すと、なにやら死、薬物などの物騒な言葉が目につきます。まるで高橋源一郎『ジョンレノン対火星人』に登場する、死についてしか言葉にすることができない「すばらしい日本の戦争」(というキャラクター名)の方のようでして、文字をタイピングしていると、勝手に90年代悪趣味カルチャー的言葉が飛びだします。1990年、わたしはまだ生まれてすらいませんでした。
『90年代サブカルの呪い』ではこのように説明されています。
90年代サブカルにおける悪趣味系というのは「価値のないもの、取り上げるに値しないものと見なされているものを、俎上にのせ再評価していくこと」をポップな文脈で楽しむという行為と、薬物、死体、殺人者などの情報を即物的に楽しむという行為の二つが混合されたムーブメントです。」
ポップな文脈で即物的に楽しむ、という自覚はありません。そのカルチャーの担い手になりたいとは微塵も思いません。が、書いている内容だけを取りだしてみれば、90年代悪趣味カルチャーに共通するものがありそうです。以前、ブックオフで面白そうだと購入した、『危ない一号』と『危ない薬』はその文化を象徴するアイテムだと知りました。
かりに亡霊だとすれば、どうすればいいのでしょうか。母の知り合いに霊能者がいましたが(実話、公式サイトや名刺などはなく閉鎖的な土地の人間関係とクチコミに生息しているクズ)、はっきりいって胡散くさく、信用に値しないような気がします。一体どのような了見をもってすれば、チープな数珠をそのような値段で母に売りつけるのでしょうか。わたしが実家からはじめて引っ越したときに段ボールに入っており、すぐに捨てました。実話。
何かないかと、足場がないほど物が散らかった部屋を探索してみたところ、霊験あらたかそうなブッダマシーンを見つけました。ブッダマシーンをご存じない方に説明すると、念仏を唱える呼び込み君のようなものです。わたしが持っているものは、攻殻機動隊ARISEが劇場放映されたときにの記念コラボ商品で、タワーレコードで販売されていました。二千円くらいしました。
このブッダマシーンに収録されているのは、念仏ではなく、攻殻機動隊ARISEの劇伴になります。担当したのは、コーネリアスこと小山田圭吾という方らしいです。彼はあの90年代悪趣味カルチャーの話題が出るときによく引き合いに出されている方なのでは。調べてみたらそのようでした。彼の過去には繊細な問題があり、私はそれについての議論を追うのを止めたので、これ以上は語りません。
攻殻機動隊ARISEといえば、主題歌にもなった青葉市子の『外は戦場だよ』が印象に残っています。「その列についていくのね/その列は似合わない」。時代にも個人の資質にも似合っていないカルチャーの列についていきたくないのです。
亡霊ならば、いっそのこと90年代北海道ハードコアシーンの亡霊に憑かれたい。最近のバンドでもっともそれっぽさを感じたのは百姓一揆だ。
ある動画の説明文に
「あの頃の音」、「90年代」というキーワードで要約してしまう事は簡単だ。その影響下で如何に自分たちの環境や、境遇で表現をすればいいのだろう。私達にとて永遠のテーマとも言える
とあった。永遠のテーマとまで言わしめる90年代の遺産。受け入れ、その上で抗っている。
みんな、かつて勃興したカルチャシーンの亡霊に取り憑かれてしまわないように、過去に積みあげられた巨大な文脈に回収されてしまわないように、抗っている。影響を認めろ、ただしその列についていくな。その列は似合わない。即物的に楽しまずに、本気でずっとやれ。
というか90年代悪趣味カルチャーの亡霊とかいるわけないし、なにより90年代悪趣味カルチャーの真似事やってるとか思われたくない!ほんとに!