単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

酩酊日記 part0

 酔っている。酩酊しているって書きたかったけど、あんまみんな酩酊って言葉は口にしない。宿酔とかまず人の口から聞いたことがない。その言葉ってどういう意味?って聞かれるのがしんどい。その場に馴染めてないことの証明のように感じてしまう。

 みんなが口にする言葉を俺も口にするように心がけている。覚えたての小難しい言葉をまくしたてたくなる欲求がたまにありそれはブログで発散している。

 

 最近、人がどんどん減って住んでるの俺と、毎晩数回だけシャウトする下の階の老人だけになりそうなマンション内で、俺の頭のなかはいよいよもって賑やか。つーか、うるせえ。もうこれ病気なのでは。知らん。楽しい。

 

 人からおすすめされたものをブログでおすすめしているので、なんかこれって、おすすめを転売屋みたい。金こそ取ってないけど、なんか横流し感がそれっぽい。でも大体みんなそう。アーリーアダプターとかそうそういない。

 

  ブログやっていて一度だけ「どうやってこういう音楽を探していますか?」と聞かれたことがあったが、「いい音楽を知っている人を探すといいですよ、自分と趣味がある情報源になる人がいればいるほど豊かになれます」みたいなことを答えた。今もそう思う。俺がおすすめできるのだって信頼できる情報源からおすすめされたからこそ。二重のフィルターがかかっているからこそ、俺もおすすめできる。人に頼るのが一番手っ取り早い。

 

 邦楽ロックに異様に詳しい知人に、ART-SCHOOLのボーカルに声似てるっておすすめされた。あんま似てなかった。


www.youtube.com

 姉が「あんたこういうの好きだよね」でおすすめされた曲は、もう知っていた。でも好き。XXXTENTACIONと鎮座DOPENESSが共通の趣味の姉弟

www.youtube.com

 最近だと、俺の本棚とKindleにある本は@pyclさん(永久凍結されてnoteに移行していた)のツイートと黄金頭さんのブログで知ったものだし、Steamの安くておもろいゲームはVtuberの配信で知ったものだし、三川基好訳のジム・トンプスンは木澤佐登志さんから知って買い集めたものだし、邦楽ロックは異様に詳しい知人経由だし、だいたい誰かのおすすめから成りたっている。

 エロゲはErogameScapeの中央値が高いゲームから選んでいて、映画はIMDBのスコアが高くてあまり古くないものを観まくっていた時期がある。漫画だけはだいたい一話は試し読みできるし、無料で一巻読めたりするし、手あたり次第感がある。

 

 「○○」に似ている作品が読みたい、と思って調べてもあまり参考にならない。「電気サーカス」が大好きで似たような作品を調べて、『まどろむベイビーキッス』『ボクは再生数、ボクは死』『手を伸ばせ、そしてコマンドを入力しろ』を読んだが、べつに似てなかった。面白かったけど。Amazonの「この商品を見た後に買っているのは?」「この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています」はわりと参考になる。「関連する商品」と「購入履歴からのおすすめ」は参考にならん。

 

 やっぱ、人なんだなあとおもった。というか、@pyclさんが面白かったという本まじでどれも面白くて、かつて人生でここまで参考になる情報源はなかったのに、Twitterは永久凍結して失われてしまった。Kindleにあるだけで『裏山の奇人: 野にたゆたう博物学』とか『ボダ子』とか、『ヒルジー・エレジー』とか、『セロトニン』とか、『Maggot baits』とか、『少女庭国』とか、『アメリカを蝕むオピオイド危機』とか、もうほんとキリないからやめるけど、面白い本ばっか出合えたのにTwitterから消えちゃった。

 

 Syrup16gのイントロが似ている曲を集めたYoutubeのリスト聞きながらこの記事を書いてたら頭おかしくなりそうになった。こっそり集めているこのリスト、二十曲くらいになったらまとめたい。酒飲みながらなにかてきとうに調べるのほんと楽しい。


www.youtube.com

 

 甥っ子との付き合いでTiktokをインストールして、たまに見ている。なんかレコメンド機能のせいか、ヘリが撃ち落とされる動画とワニの捕食シーンばっか出てきてたいして面白くない。この時間帯のTiktokライブは、異国の作業現場をただ映している配信があっていい。それにしてもこの自動車工場のラインが進むスピード遅くないか? これだったら俺でもやっていけそう。インパクトドライバー、ハンマドリルは女性向けに設計されてないこれでは社会の女性進出化は進まないという記事を読んで、たしかにそう。ハンマードリルでゴゴゴゴゴとコンクリートをはつるのなんて、二十代前半で体力余りまくっていた俺でもダウンした。ダウンしたままPeople in the boxのコンサートライブに行って、後半「じゃあ立ちましょう」となって座らせてくれ~とか思ってた。どうしようもない。あとインパクトドライバーも八時間持っていると筋肉痛になるし、ばね指にもなる。東京喰種の金木くんのモノマネをしているわけではない。期間工、精密な動きができずにわりとすぐ辞めちゃったけど、俺の隣の部屋の人は二日で消えたし、同部署の人は見学だけして一日で消えたし、彼らのおかげで俺はなんかと平静を保っていられた。

 

 People In The Boxの「もう大丈夫だよ」はあまりに名曲。歴史的ななにかになる。優しすぎて泣きそう。「なにがあのひとにおこったんだとみんなが首を傾げている。なにひとつおこっていないよ。ただ生きているだけ」ってもうさあ、俺は涙ぐむ以外に一体何ができるの。ただ生きているだけ。俺がどう振舞おうと、何を言おうと、不思議がらないでほしいよほんと。生きているだけなのにな~。死んでないだけなんだよな。

 

 これは為になる話なんですが、俺が住んでいた期間工の寮って玄関に扉がないんですよ。なぜならば、期間工は三勤交代というシステムがあり、朝も昼も夜も人が常時出入りしているから、そもそも扉を付ける必要がないんです。それで、ある日、脱衣所にでかい犬が入ってきたこともありました。野良犬です。みんなびっくりしていました。優しそうな犬だったので問題は何も起きなかった。めでたし。めでたし。俺が期間工をやっていたときに心に残ったのは、食堂でギターの弾き語りをしていた人を見かけたことでした。何の曲かは分かりませんでした。もしかするとオリジナルだったかもしれません。文化だ、文化がある。と俺は嬉しくなりました。寮の部屋では本を読んだりゲーム実況を見たりして、近場にあったイオンで買ったグリーンマークっていうウォッカ飲んでだな。

 

 いまはハヌマーンを聞いている。1stはいまだに消化しきれてないが、2nd3rdはもう最高で、ラストアルバムの「REGRESSIVE ROCK」は持っている。二千人しか持ってないけど、俺は持っているのだ。自慢になるから書いたことないけど、解散するという告知と同時に予約受付したときにクレカ持ってねえよ!と思いながら、姉に頼んで購入できた。高額で取引されていたのを見ると、配信に振りきったのは英断だった。サブスクは賛否両論ある。でも、あれは正解だろう。聞かれるべきなのだ、もっと多くに。

 

 俺は姉と仲がいい。ひとえに母という共通敵がいたからで、思春期の頃はむしろ嫌いだった。小さいころは喧嘩もよくしていた。成人になってから仲良くなった。甥っ子とはさらに仲良くなった。なんで俺みたいな人間を慕っているのが不思議だけど、人に慕われるのは嬉しい。当時、帰宅途中に電気屋に寄って売り切れだった妖怪メダルを買えてプレゼントしたときの、海外の反応的なリアクションは面白かった。人って、子どもだけかもしんないけど、嬉しすぎると跳ねる。硬直してから跳躍する。それ見て、なんか嬉しくなった。俺はいい叔父でありたい。甥が俺を友人扱いするうちくらいは。いずれそうならならなくなることは明白だから。

 

 そろそろ潰れそう。黄金頭さんは酒で文章にパワーが出ると書いていたが、俺はどうやら出ないようだ。最近寄稿していた記事で、下ネタをよく話すと書いていて、ちょっとびっくりした。だってブログに書いてないじゃないですか! 俺、たぶん読者のなかでも相当読み込んだほうですけど、そういう記述は見当たらなかったですよ。バルドシリーズのエロゲをやっているのは知っていて、その影響で買いましたけど。明け透けに書いてそうだけど、まあすべて書くわけがないよな。俺だって絶対に書けないことがあって、それこそ書きたいんだけど、やっぱ書くことはできない。こんなに酔っ払っていても、そうだから。心理的ブレーキというのは偉大だ。俺はウットをODして知人から電話がかかってきて話して前方性健忘を起こしてしまったけれど、あとで聞いても「え?そうなの?別にいつもと変わりなかったけど」と言われるくらいに、自制心が強固なのだ。

 

 THE BACK HORNのマイブームが起きている。あの頃はよかった、なんて言われまくっていてしんどいだろうな。THE BACK HORNらしさというワードをインタビューでたびたび語っているのもそういった声があるせいだろう。伸び伸びやってほしい。情景泥棒とかあまりによすぎて、前回のライブでパニック発作食らったのにかかわらず行ったくらいだし。二階席で、途中ちょっと息苦しくなって離席したけど、総じてあのライブはよかった。最新アルバムも好きじゃない曲もあるけど、というか俺がバラードをめったなことがないと好きにならないせいだけど、アルバムとしてはよかった。とはいえ『人間プログラム』を聞きなおして、ヤバすぎてあらためて衝撃を受けた。いや凄すぎるってこのアルバム。技術的にはたいしてことやってないのに、声と歌詞とクリーンパートとディストーションだけでもう世界が生まれている。酔っ払っているときにジャケット見たら落ちていく感覚を味わった。

 

 青春がTHE BACK HORNで、生活がSyrup16gという感じ。俺はだいたいこの二つのバンドで構成されており、そこにハヌマーンcoaltar of the deepersとその他のバンドが混じっていく感じがある。マラソン大会とかいうクソイベントは頭の中でTHE BACK HORNの『刃』を流して乗りきって、部屋のなかの憂鬱はSyrup16gの『HELL-SEE』を聞いて落ち着いていた。漫画を読むときはRADIOHEADの『KID A』と『OK COMPUTER』を垂れ流し、2015年頃に人間を引退するからODやってみるか期間ではクリスタルキャッスルズとフライングロータスとアルカ聞いてた。もうへろへろでアルファベットでタイトルすら打てない。

 

 読まれたいと読まれたくない、という思いはいつだって拮抗している。長文の乱文ならば、まあ、読まれないだろうという経験があり、このような記事がインターネットに投下される。なんで読んでほしいと思うのに、読んでほしくないと思うのだろうか。ほんとよく分からない。それに考えたくないから、たぶん一生わからない。

 

 気になる本が死ぬほどあるから、安いか必要かが買う理由になっている。Kindleで値引きされていたから気になっていた『掃除婦のための手引き書』を買って読んでいて、「これは解説でレイモンドカーヴァ―、チャールズブコウスキー、トムジョーンズが引き合いに出され、それらと異なる新しい声が~」みたいなこと書かれているぞと思っていたら、案の定そう書かれていて勝ち誇った気分になった。文章にアルコールを添加すると声が生まれるのは定番のようだ。ブコウスキーの名前は出てこなかった。

 

 面白かった本は他の人の感想も読みたくなる。twitterで検索したら文庫の写真を載せて紹介しているツイートが散見された。どうやら読書垢という界隈があるようで、購入したというツイート(感想はなし、購入報告だけ)にいいねやRTのリアクションが付いていた。一方、このような泡沫の二番煎じブログにはリアクションが付くこと自体がほぼ奇跡みたいなものだ。毎回ビックリしている。怖がっている。でも優しい声しか聞かないことにしているので、その一言一アクションをありがたく受けとっている。一挙一動にリアクションが返ってくるのが当たり前の世界ってどんなんだろう、と思ったが、自分がツイッターをしていたときは時世に合わせて何か引用しただけのツイートに多くのリアクションがあったことを考えれば、媒体の違いによる差が大きいだけなのだろう。もちろん、そのアカウントが培ってきた関係性がリアクションを引き起こしているのもある。「あの人があの本を買った!」的な要素は強い。Twitterやってたときはタイムラインに好きな作品が出てきたら反射的にいいね?ボタン押してたし。

 

 そういえば、このアカウントではてなスター押したことがない。もう数年以上人のブログのコメントをした覚えがない。ブログはなんか遠い。ぶつぶつ一人で喋っている人に声をかけるような遠さがある。「あのー、良かったです」という一言が出てこない。で、そのブログが更新されなくなってから、感謝の気持ちや感想を伝えておけばよかったと後悔する。でもその多くはブログを辞めただけでツイッターで復活したりする。人はわりと死なないし、簡単に消えていく。そうでないことも多く、ネット越しでは大多数がその行方知れず。

 

 『掃除婦のための手引き書』は「どうにもならない」が一番好きだ。アル中が中断症状に苦しみながら這って酒を買いに行く、ただそれだけの筋書き。人の優しさが、自分が手が震えて瓶をラッパ飲みできずに他人が飲まさせてくれる、という形で描写されているように、ディティールが鮮明ですばらしい。手が震えている人間に、小銭を数えさせる意地悪さも外さない。子供がアル中の母を心配して財布と車のキーを隠すのだが、その会話のあとに主人公は酒屋に向かってしまう。変わり映えの無いしない日常のスケッチと手の震えと人の優しさ、それらが5ページに凝縮されており、その掌編のタイトルが『どうにもならない』ときているから、もう最高。これまた「掃除婦のための手引き書 どうにもならない」で検索してみたところ、自分以外にも打ちのめされている人々がいっぱいいてよかった。この本が埋もれていたということをあとがきで知ったが、いまだに信じられない。本屋で平積みされていたから有名な作家だと思い込んでいた。

 

 自分にリアクションをくれて、その人のブログを読んでこの文章好きだなーと思ったとき、そのきっかけが原因でリアクションを起こしにくい。一時期、いわゆる互助会の方々がこのブログにその効果を狙って読者登録したから、百何人も登録されているが、その九十九%は読んですらいないし、もう消えた。あれは、わたしは読んだからあなたも読んでくれ、というアクセス増加の意図しか読み取れなかった。人間関係で読むとか読まないとかの、しょうもないしがらみをここまで持ち込みたくない。なにより俺があれらのようなことをしている、もしくはされていると思っていると思われたくない。きっかけとかどうでもよくて読んでいてよかったと伝えたいのに、もし相手が自分が読んだからあなたが読んだと思われたくない。人の内心なんぞ分かるわけないのに。いや、分からないこそだ。それでリアクションできないのだが、そうこうしているうちにみんな書くことを辞めるか、死んでいく。そして後悔する。

 

 文章に死の文字がやたらと出てくるようになった。死ぬ気配はないし、むしろここ数年では経済的かつ身体的な面でも死から遠ざかっていると思うのだが、死が出てくる。ついにはタイトルにまで出てきた。意地悪されている気分になる。でも、誰に?と思うと、自分しかいないので、気にするだけ無駄。

 

 セルフオープンダイアローグなのだ、この文章は。自己治癒のために書かれている。

 もう外が明るくなってきそうだからゾクピクロンを飲んだ。酒と睡眠薬は禁忌というが、まあ非ベンゾならたいして問題でもないだろう。睡眠で困っているなら、ヤクルト1000より抗ヒスタミン薬、それでだめならウットとかのブロモバレリル尿素、それでもだめなら非ベンゾ睡眠導入剤がいいよ。それでもだめならけっこういばらの道になるっぽい。

 みんな抗うつ剤を嫌いすぎでしょ。そりゃあまあ、問題は多いだろう。売り上げのためのキャンペーンをやっていたのは事実だし。効果がでるまで二週間かかるのに、副作用はすぐに出るときている。しかもそれが悪心や眩暈や性機能障害だし、双極性障害に与えると躁を悪化させるし、若者の自殺既遂率を底上げするのはシャレにならない。そりゃあ上原善広とか変な本を出しちゃうのも仕方ない。でも、俺はそれでわりと平穏を保てるようになったから、適切な服用ならいいよと言いたいが、適切な服用とか分からないからこそ問題になっているんだよな。俺が通っている精神科は、俗にいわれるドクターショッピング的なところで、まじで適当に薬出してくるし、障害者手帳の申請書を書いてくれるし、人によっては疾患が深刻化しそうではある。

 

 背中が痛い。気絶しそう。もう寝ます。おやすみなさい。明日の俺に絶対に消される。俺が俺を否定するのはもう十分子供時代にやったからいい加減やめてほしい。外が明るくなってくるとほんと悲しくなる。四時三十分。Syrup16gの『イマジン』を聞いているが、心がめっちゃ振動する。涙腺まで余震で震えてくる。泣きそうで、涙はでない。泣きゲーという言葉は嫌い。CLANNADは最高のゲームだったけど。

 

 「死にたい」ってどうしたって書けないな。やっぱ援助希求能力ないんだろうな。俺はきっと、そのうち静かに消える。死ぬだろう。首吊り希求能力はある。コーナンで買ったクレモナロープ。失敗し、壊れたカーテンレール。しかしドアノブは健在だ。母が一万回くらい言ったせいで口にできない。人の言葉を奪うな。俺から「死にたい」を奪った母がなぜ罪にならないのか不思議だ。

 どんだけ泥酔していても、非ベンゾの睡眠薬では心地よくならない。よかった。依存性はない。常用はしている。ただ俺は酔っ払ってネットに変な記事をアップして寝て翌日に消すだけ。もしくは、別の俺に不適切な箇所は削除され、なんか推敲されてこっそり公開に戻される。

 Twitterのコミュニティとか、ディスコードのコミュニティとか、そういうの憧れてるけど、憧れているだけ。お互いがなんとなく分かっている人たちと、会話したり大体せずにひとり言になったりする関係性を築きたい。でも、人は、遠い。あまりに、遠い。遠いと思うのは、俺が遠いと思っているからにすぎない。距離などない。でも、遠い。

 援助希求能力という言葉が、頭の中で行ったり来たりしている。助けてとも言えないし、死にたいとも言えない。何も言えないのに、何かよく分からないことだけは書いている。酩酊しながら、書いている。

 アルコールとゾビクロンの血中濃度が高まってきており、このままベッドに入ったら気絶するかのように寝るだろう。非ベンゾと酒、ほんと気持ちよくならないし、ここまで変化ないと、俺もしかしてヤクルト1000でもいいんじゃないのって気がしてきた。

 そして、朝がやってくる。数年前はこの時間帯にワンコインで朝食やってる店があったから夜更かししたときたまに通ってた。それより近くにコンビニができたので、もうそっちで買い物している。

 

 完全に朝になった。

 うすうす気づいていたが、俺はアルコール血中濃度を保つ才能があるかもしれない。いい感じの酔いがもう数時間は続いている。ゾビクロンの血中濃度が下がっていく前にさすがに寝る。という理性がある。この自制心がほんとに強固。酒の場で失敗したことはない。その酒の場に行かないという失敗は少しある。もう朝だ。人が起きだす。下の階の老人が起きて、窓を開けてシャウトしだすまえにもう寝る。おやすみなさい。