単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

a flood of circleは『ブラックバード』、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTは『エレクトリック・サーカス』が一番好きかも


www.youtube.com

 未来、未来、未来。未来、未来、未来。未来とかいう、あるのかないのか分からない取り扱いがむずかしい言葉を、 佐々木亮介のしゃがれた乾いた声で、泥臭いロックンルールのバンドサウンドに乗せて連呼されると、なんだか感傷的になる。未来。未来。未来。未来。「この羽根に火を点けて燃やしたら美しい星になれたかな」って過去からの視点が突如差しこまれることで、未来という言葉が霞んでぼやける。目がかすれたときに二重に見えるように。そのようになってしまうだろう未来と、そうはならない失われてしまった未来を幻視する。焦点が定まらず、未来という言葉が意味を失われつつあり、ついにはただの二文字になる。そんなものに深刻になる必要はないのだろう。期待も絶望も必要がない。未来は、未だないそれがいずれ来るだけ。未来、未来、未来。素敵でもなく、地獄でもない、ただの言葉だけの未来。すべての意味を剥ぎとられて、ただあるだけの未来。怯えることも、想像して憂鬱になることも、そのために死ぬような思いをして、そのせいで死にたいと思うこともないのだ。未来は、未来でしかない。

 


www.youtube.com

 『エレクトリック・サーカス』はシングルを持っている。「俺達には明日がないってこと/はじめからそんなのわかってたよ」と聞くと、終わらないでと思う。おれが、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTを知ったときはすでに解散していたのにもかかわらず、『エレクトリック・サーカス』を聞いていると終わらないでくれ、終わらないでくれよと悲しくなる。なんでこんな終わってしまいそうな音をしているのだろう。なんで終わってしまったという声で歌っているのだろう。「この鳥たちがどこから来て どこへ行くのかと同じさ」という言葉をいまだに受け入れることができない。きっとラストシングルというストーリーと文脈のせいなのは分かっていても、どうやったらその重力から逃れて、「純粋に」「それを経由せず」に曲を聞くことができるのか。無理だろう。人間には。人間とかいう、認知機能が卑小で扱える変数が少ないせいで「時間」という概念をあたかも真理だと思い込んでしまうような、矮小な有機物には。

 両バンドは、おれの頭のなかで青でつながっている。「青く塗れ」、「深く潜れ」。この二つの曲が残す強烈な青のイメージでつながっている。

 酔ってる。38%の無糖梅酒せい。貰い物で、梅酒みたいな飲み心地でスルスル飲んでいたら、クラクラしてきた。酔っていて、それは自己陶酔でも、酩酊でも、どうでもいい。人からどう言われようとも、何を書こうとも、人からどう思われようとも。

 好きな曲について語りたい。本当はもう、好きなことについてしか書きたくないのに。そんなことすらうまくできない。できない。みんなできないのかな。だったら別にいいけど。どうなんだろう。どうでもいい。

 「G.A.W」という今は削除されているgこの世で存在していたブログのなかでもっともすばらしかったブログの名前の由来は、「GがっかりするほどAあたまがWわるい」という、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTの『G.W.D』のオマージュらしいです。


www.youtube.com

 このシングルを2011/4/11に買ってた。

 『ゲット・アップ・ルーシー』を聞いていると、村上春樹の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』と『多重人格探偵サイコ』を思いだすんだけど、酔っているせいでその理由が分からない。まあどうせ、ルーシーって名前のキャラクターが出てきたとか、そういう接点だろうから深掘りはしない。

 どれだけ酔っていたとしても正式名称を書くように心がけている。そうしないと、ミスってしまうと叩かれるから。いや、叩かれたから。うざい。気持ちは分かるけど、いちいちうざい。でも気持ちは分かるから気をつけている。おれもSyrup21gと誤表記があったら、「いや魂の重さじゃないよ~!」ってツッコみたくなるだろうし。

 やっぱ、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTは『ダニー・ゴー』が一番好きかもしれない。どうだだろう。リアルタイムで聞いていると、五分くらいでランキングが変わっていく。結局、今聞いている曲が一番いいのでは、とか思ってしまう。それでよさそう。