希望は誰かのポケットの中
おれは6月17日にこのように書いた。
整理できない人間は収納を増やすな」とはよく言われることですが、ごみ袋を増やすなとは聞いたことがありません。もしかすると、整理できない人間はごみ袋を増やすべきなのかもしれません。そう考えたとき、小さなごみ袋は、設置しやすく、設置したときに場所を取らず、十個くらい溜まったところで怖くないし傷つかないと、すばらしいアイデアのようにおもえてなりません。
先ほど、はてなブックマークの人気エントリーの「アニメとゲーム」でこのような記事を見かけた。
分かる! 分かるぞ! おれがゴミを捨てる場所を増やすことでゴミをゴミ箱にしっかり捨てることができるようになったのはおれにとっての世紀の大発見だった。
だからライフハック的な記事を書いた。
それを、おれと同じようなことを同じ日に言っているツイートがあったと知って、なぜか嬉しくなった。たぶん、みんなが記事やツイートにしないだけで(というかおれが知らないだけで)、毎日のように誰かしら「ごみ捨てる場所を増やせばいいじゃん」と気づいているのだろう。
まあおれの場合は、ゴミ箱を増やしたわけではなく、小さなゴミ袋をばら撒いて各地に配置することで、ごみを捨てる場所を増やしたという違いはある。それは表面的な違いにすぎない。
みんなこういうの知ってんだよな~。やっぱり。本人には当たり前のことすぎてわざわざツイートしたり記事に書いたりしないだけで。ほんとおれは人の話をもっとちゃんと聞かないと。
「希望は誰かの手だ 俺は持ってない by『愛と理非道』」はそうに違いない。みんなこっそり手にしている。おれにとっては重要だけどその人には重要でないからポケットに雑に突っ込んでいる。それ、それが希望なんですよ、おれにとっては。希望がないのではなく、希望がおれの目には見えないだけなんだ。きっと。そういうことがいっぱいある。
おれもうずっとポケットのなかをひっくり返して出てくるものについて書いている。とくにおもしろいものは入ってないけど、ものがぽろぽろと出てくるのが楽しくてやめられない。
たまたま出てきたものが誰かのと似てたらお揃いですね、なんて感じるとおれは嬉しくなってる。お前って人生が楽しそうとか言われるの、きっとそのせい。
でも実のところ、おれは楽しいと口にするのはちょっと厳しいところがあって、今日みたいになんかずっとブログを書いているのって症状じゃないか、睡眠が浅くなってそのうちぶっ倒れるぞ、とだんだん怖くなってきている。
それをどうにかするライフハックはまだ見つけていないし、知らない。
でもきっと誰かは持っている。運がいいといずれ見つかる。いつかはそんなところにあったのかってなる。希望は誰かのポケットの中に入っている。