単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

カビとか有害物質とかデトックスとかさあ

 目次のような何か。

 ・健康にならない健康本

 ・科学的とは

 ・常識的な判断とは

 

 姉からこのようなLINEがきた。

 「知り合いから本を勧められたんだけど、これどう思う? その知り合いは本の影響でお米と調味料しか取ってないみたい」

 その本がKindle Unlimitedの対象になっていて無料なのでとりあえず読んでみた。本によると、普段の食事はカビがやばくて有害物質だらけ。そのせいで、このような症状や病気になってしまいます。(ここ、一ページにわたって肩こりから自閉症まで様々なものがリストアップされる)そういうのがもう科学的に分かっているのです。体験談もあります。だから私たちはデトックスをしなければなりません。そのおすすめの商品がこちら。

 そのようなことが書かれていた。昔から本屋で平積みにされているよくあるやつ。最近はカビが流行っているのかと思った。で、返信した。

 「何冊か読んでみたけど、この著者はけっこう濃いね。書かれていることを忠実に実行しようとすれば、抗菌作用があるにんにくとかハーブとしかそういう調味料の類しか食べられないよ。炭水化物はカビを増殖させるからだめだし、オーガニック食品や新鮮な野菜もカビや有害物質だらけでよくない、発酵食品なんて絶対にダメらしい。同じ著者の本でも、ある本では健康に良いとされているのが別の本ではよくないと書かれているから、いっそのこと食事という行為をNGリストに入れればいいのにって感じ。その知り合いは、たぶん不安を煽られすぎてもうどうしようもなくなって、そういう偏った食生活になってしまったと思う。カビや有害物質よりも栄養の偏りの方が健康によくないっていう常識的な判断ができなくなってるのは心配」

 俺はそう返信して、しばらくしてから俺が常識的な判断という言葉を使ったことにおどろいた。なにせ俺は常識的な判断ができないし、常識的な人間でもないし。だから常識という言葉と距離を置くようにしている。常識的って言葉を普通に使用したのは小学生以来だとおもう。俺には常識という言葉はあまりになじまない。

 「常識的な判断」という言葉はよくなかったなと思った。なにせ、この手の健康本は科学の装いをすることで常識を介入をさせないから厄介なのに。「常識ではそうかもしれませんが、科学的には違います」という感じで。

 常識的な判断はともかく、科学的な判断ってことならば学がない俺にも分かりやすい。科学は業界内で承認された手続きによって確からしさが決まる。最近は、主に医学や心理学の分野で、あんまりこれまでの実験に確からしさがなかったと手続きに則って追試したところ判明し、それは再現性の危機とか呼ばれている。『生命科学クライシス―新薬開発の危ない現場』とかまさにそういう本でよかった。

 この手の健康本でお決まりなのが、ホメオパシー(具体的な商品はレメディともいう)を推奨していることだ。ホメオパシーに関しては小阪井敏晶の『神の亡霊』という本にでてきた説明が分かりやすい。その説明を簡単にまとめると、ホメオパシーの商品の説明通りに希釈しているならば有効成分は商品に存在していない。存在していないが、有効成分を「記憶」しているという。それならば水道水も同じ理屈で「記憶」している。ホメオパシーと水道水の違いは科学の埒外にのみ発生している。そしてさらに、ホメオパシーの発端となった実験はすでに追試によって否定されている。フランスではホメオパシーに保険適用されるが、それは保険費の負担を避けるためでしかない。というようになる。とはいえホメオパシーは効果がないというわけではない。有効成分を希釈したかどうかに関係ない砂糖玉でも同じことがいえるが、プラシーボ効果としてなら効果があるといっていい。科学的に。二重盲検ランダム化比較試験的に。

 また、例の健康本では、カビや有害物質の危険性を大げさなほどに喧伝していた。しかし、俺がもっとも重要と信じて疑わない量的問題を取り上げていない。その癖に、一般的な商品にまず含まれることがないくらい大量に摂取したときの作用機序を懇切丁寧に書く。しかし、常識的に考えれば、その作用機序があったところで、じっさいに健康に良いとか悪いとか主張するならば摂取量(や含有量)こそが問題ではないか。と思う。何もかも、薬にも毒にもなるとかいう話だ。しかしその問題については巧妙に迂回されている。だから本ではNGリストにいろんな食品を羅列するなんて大胆なことができる。「納豆やチーズの発酵食品を食べると腸内のカビが増えてさまざまな症状(一ページを埋めるほどの)を引き起こしてしまう可能性があります!」と書かれても、俺としては「それはどれくらい食べたら、どれくらいの影響が出るという話なんですか?あなたがいう科学的には」としか思わない。 

 というか、納豆を「食べ過ぎ」て健康に悪影響があるときの量がどれくらいになるかは、そもそも科学で証明するのは原理的にできないだろう。科学という手続きでは。極端な話、毒の致死量ですら科学的に正確な値ではないとされている。だからもう、厚生労働省が注意喚起する必要がないと判断する程度の、食品に極微量ほど含まれているカビとか有害物質(ホメオパシーみたい)とかは、どうやったら健康に被害を与えているとそう堂々と主張できるんだとおもう。ある物質がどのように健康被害を与える作用機序の話と、実際に、あまりにごく微量のその物質が含まれている食品をどれだけ摂取すれば健康被害が起こすかという量が絡む話の間にある、あまりに深くて人間には見通せない溝がなかったことにされている。

 そもそもタバコと肺がんですらおそらく相関関係があるだろう、としか科学的には言えないのだ。もしかりに、ニコチンを欲する遺伝子が肺がんを引き起こしやすい遺伝子と同一だったという媒体項が発見されたならば、少しだけ近づくことができるが、それ以上の媒体項が出てくればそれすらも見せかけの因果関係になる。だから日常的な食事なんてそれこそ膨大な変数がある以上、科学的にエビデンスレベルが高いとされる二重盲検ランダム化比較試験は難しいし、そもそもそういうのは倫理的に許されていない。小阪井敏晶の言葉を借りていえばそれは「人に閉ざされている」。

 その本に従って、あれはやばいこれもやばいとなってしまうと、人はもう何も食べられなくなる。だって量的な問題ではないから。なんかヤバいから、食べないようにするしかない。さらに、ホメオパシーみたいに希釈されてこそ威力が発揮される記憶されるとかなると、もうよく分からない。中間がないのだ。そのような本を読む人はうっすらとした不安があり、だからこそ本を手に取ってしまって、さらに不安を煽られてしまう。栄養の偏りよりも、何かしらの物質が含まれているのが不安になり、極端な食生活になってしまう。あんまりいじわるするな!と思う。

 この量的問題を雑に例えるならば、鼻炎薬のレスタミンコーワや咳止め薬のコンタックSTを大量に摂取すると閉眼幻覚が発生するが、適量を使用したときにその副作用の報告はないが、この事実をもってして「あれは幻覚剤だ!やめろ!」と判断してしまうようなものだ。 

 姉の周りにいる母親は、なにやら個性的な健康法をやっている人がそこそこいるという話を聞いている。冷蔵庫マザーの時代からおなじみの話なのだろう。子育てに苦労している母親は心配事が多く、その立場のせいか、変な健康本を頼らなざるえない状況に追い込まれてしまいがちなのだろう。ほんとうに、母親という立場は大変だと思う。特に出産という神秘的現象が絡むと、もうほんとスピリチュアルからなにやらと色々とあるようだ。健康のために本を読み健康を害してしまう、なんてのはどこでもある話なのだろう。(そして、そうなったのは本に書いてあることをちゃんと実行していないからという自己批判に繋がり、終わりはない)

 俺にだって、そういう「常識的な判断」ができていないことが数多くある。俺もべつに学があるわけでないから、健康の分野でもきっと色々とあるのだろう。『世にも危険な医療の世界史』を読んでいたら、有名な四体液説とか瀉血とか水銀万能説とか、数十年前はビートジェネレーションと呼ばれる若者たちが〈オルゴン・ボックス〉とかいうよく分からん箱にはいってオルゴンパワーを溜めていたという話があって、ほんと常識的な判断って何だろうねと思ってしまう。四体液説とか、だいぶ長いこと常識だったわけだから。

 常識的な判断って難しい。俺は、この言葉を言われる側の人間だからあまり気にしたことがなかった。いざ使ってみたら言葉の薄弱さに驚いた。常識で人を説得することはできるのか。「なんとなく分かるだろ」が分からない俺はもう今後なるべく使わないようにしたい。

 「うつ病」という病気はよく知られるようになった。しかし、人によってその認識は大きく異なる。うつ病は甘え。うつ病は製薬会社のマーケティングによって過剰喧伝されただけの詐病うつ病は風邪。うつ病は心の病。うつ病は脳の経伝達物質の均衡が崩れることで生じる脳の病気。これらのうちどれが「常識的な」捉え方なのか、俺はさっぱり分からない。俺が読むような本では、脳の病気=モノアミン仮説が主流ではある。これが発達障害となると、賢そうな人たちの間でも統一的な見解はまったくない。本の数だけオリジナルの説明モデルがある。『〈自閉症学〉のすすめ』という本では十八の分野で「こういうことじゃないの?」と様々な仮説で説明されてるくらいだ。

 本を読めば読むほど思うのが、俺が思っているよりはるかに多くの物事が「人に閉ざされている」。もしくは、ある物理学の本でいうならば「ぼけやている」。よく分からない、難しい、そういう思いが増していく。だから俺の声が小さくなる。常識的に判断しておかしいと思ってしまうスピリチュアルや健康本についても何も言えなくなる。

 そもそもが「常識的な判断」という言葉がおかしいのだろう。常識的に判断すれば。できないし、しないけど。

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