単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

「小学生もおっさんも遠慮しないで同じゲームで遊ぶ」という光景

 さっきまで11歳と31歳が味方同士でスプラトゥーン3の対抗戦をやっている配信を流し見していた。

 どのギアの組み合わせが強いか、どういう立ち回りにするか、そのような話を遠慮なくし合っていて、瀬戸口廉也の「小学生もおっさんも遠慮しないで同じゲームで遊べる時代は素晴らしいですね」というツイートのままの光景がそこにはあった。

 

 ところで、朝日新聞スプラトゥーン記事は読みましたか? 平民金子先生のコメントがよかったので読みましょう。そしてスプラトゥーンをやりましょう。

digital.asahi.com

 

 俺が小学生のとき、家に遊びにきていた姉の彼氏とたまにゲームをしていた。よくやっていたゲームはストリートファイター2。その彼氏は容赦なくコンボを繰り出し、徹底的にボコボコにしてくるので好きだった。子ども扱いせずに真剣に相手をしてくれるのが嬉しかった。

 

 会話は継続することが大事だという。親しみやすさのためには会話に情報や価値はたいしていらないという。スモールトーク、動物のグルーミング。そういうものとしてとにかく会話をつづけるのがいいという。

 会話を継続させることを目的としたときに「共通の話題」というのは非常に強い。甥という年齢差がある友人を持つようになってからは、特にゲームは圧倒的な強さを誇ると思うようなった。

 なにせ話題が広げやすい。ゲームとコラボしたアニメやマンガ、ゲーム配信者 など、一つのゲームを起点にいくらでも話題を広げることができる。俺でさえも、甥の友だちに対してさえも、スムーズにコミュニケーションができるのだ。年齢差を物ともしない。

 ただし、おっさんの自分語りはしてはならない。基本的にジェネレーションギャップネタは知らない側にはそんな面白い話ではない。「俺の時代は~」から始まるおっさんの自分語りはつまらない。あくまで、いまやってるゲームの話をする。同じいまを生きているもの同士として話すほうがいい。

 

 冒頭の配信者は、帰省したときには親子で一緒にゲームをするらしい。そこまでくるとさすがに眩しいが。

 

 甥も成長し、この前なんてついにスプラトゥーン3の世界観の考察を語り合うようになった。そのやり取りがめちゃくちゃ楽しかった。