単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

ハッピー

 アルコールを大量に摂取すると時間感覚が消滅する。そもそも時間というのは人間が熱力学の第二法則を「発見」してしまう錯覚でしかない。って本に書いてあった。

 

 ブログのタイトルを付けて消した。適当に付け直した。タイトルでアクセス数は変わるというが、俺のブログはたくさんの人に読まれたところで優しい人の顔を曇らせるようなことしか書けない。 

 もっとポピュラーな人間になりたかったな。社会通念上多数派になりたかった。

 自殺描写がある作品、親を殺したい人間が出てくる作品に癒されるって、馬鹿な俺ですら社会通念上よくないと分かる。なにせ日本の自殺予防対策は自死遺族の団体がけん引している。

 

 

 アルコールを大量に摂取すると抗うつ剤抗不安薬で閉じ込めた過去の扉が開いてしまうみたいだ。

 今、二十歳以前を思いだしてしまって、ぼろぼろに泣いていて、声をあげて泣く自分が面白可笑しく、泣きながら笑っている。

 

 二十歳の頃、泣いていない日が少ないくらいだった。もうずっと泣いていた。ずっと苦しく、悲しく、しんどくて泣いていた。そこから遠ざかるために泣きつかれた真っ赤な目で本を読み漁っていた。

 岸田秀があとがきで「親はもう死んでいるが、かといって許すことはない」と書いていたおかげで遠ざかることができた。

 

 本当に許さなくていい。許さないことで忘れることができる。

 

 二十歳の頃、慟哭や号泣のあまりに呼吸が浅くなりパニック発作を起こして、それは純粋な恐怖でしかなく、その翌日から精神科に通うようになった。

 

 成人式を迎える頃、俺は重度のパニック障害を患っていて狭い部屋のなかに引きこもっていて、「死にそう、助けて」「死にたい、助けて」となにかに祈っていた。

 祈りは届かず、いまだ生きているし、助けてほしいと祈っている。 

 助けてとは言えない。死にたいとも言えない。

 代わりにしんどいと言うことにしている。それを関西では「えらい」と言うらしい。

 初日、「この仕事えらいでしょ?」と聞かれ、誰でもできるような技能も能力をいらない労働だが誰かがやらないと物流が滞るからえらいのかな?とおもって「ですね」と答えたが、あれ「大変でしょ」って意味だったとあとに気づく。

 

 期間工をやっているとき、俺が自ら進んで孤立していくのを心配したらしい同僚が歩み寄ってくれた。誘われてマックやラーメンにいった。その人は「一人は辛いだろ」と俺に語り、俺は人の優しさを無下にしたくないので「ですね」と思ってないことを顔に出さずに答えた。

 

 兵庫医科大学病院の待合室に古谷実のマンガが置いてあったことを思いだした。そういえば映画版の『ヒミズ』は「がんばれがんばれ」言っていてウザかった。

 その人はそのタイミングで死んだほうが面白くなる物語はいっぱいあり、いっぱいあると思ってしまう俺はきっと「一般的な読者」ではないのだろうな。

 大抵の物語はどのような結末を迎えたところでいずれ登場人物は死ぬので死ねばいいのでは。

 

 俺は人前では一般的を振舞っているが、きっとそうでないことを感づかれている。そのとき、こうやって一般的であろうと必死に振舞っていることは認めてほしい。

 

 成人式の頃、俺は重度のパニック障害を患っていて、「死にそう、助けて」「死にたい、助けて」と祈っていた。

 

 うつ病の回復期に自殺既遂率が高いのって、崖っぷちに立っているときに「優しく背中を押されている」のに似ているとおもう。

 

 精神科の後に駅前のカラオケで「ちゃんとやんなきゃ素敵な未来なんて初めからねえだろ」的な歌を歌っては泣いていた。二十歳の頃はずっと泣いてばかりだった。どれだけ泣いたところで感情が洗い流されてすっきりするなんてことはなかった。

 そのおかげで「涙はただの生理現象で別に相手にすることもない」と分かった。

 とはいえ、涙は尽きない。

 酔っ払った脳で涙という生理現象について考えてみた結果、「命はどうせしんどいし苦しいし死ぬので、涙を流すような感情を抱えたときに視界をぼやかして苦しみを軽減する」機能のではないかと思った。

 見ても見なくてもどうしようもならないとき、涙というフィルダーごしに世界を見るとぼんやりして傷付かない。

 どれだけ泣いたところで過去はぼやけないのでこの考えは却下した。

 

 もう一生分の涙を流しただろうと思っていた。そうではないと後に知った。涙に限界はない。苦しみにも不安にも限界はない。底はない。「底つき」はない。

 死ぬまで際限なくしんどくなっていく。なかなか死なないので生きてしまう。

 こちらとしてはせいぜい向精神薬やアルコールでごまかすくらいしか対処できず、それでどうにもならなくなっときは泣いてしまう。

 泣きすぎている。笑える。

 

 めちゃくちゃ酔っ払うと、二十歳の頃に自傷したときにできた傷痕が赤く浮かびあがってくる。

 過去なんてどうでもいいのに。

 

 ここ数年は親について考えないようにしていた。考えることもなくなっていった。

 親については漫画や小説などで主題で取り上げられているときに自動的に思いだされるくらいだった。介護問題を目にしたとき「親は俺の知らないところで勝手に死ねばいい」ので俺の人生には関係がなくてよかったくらいにしか思ってなかった。

 

 全然そうではなかった。たった今、気付かされた。

 二十歳になって「親、もう物理的に殺せるのに俺は一体なにを遠慮していたのだろう」と思えるようになるまでの人生を受け入れることはできない。

 親戚一同の前で俺みたいな面倒くさがりで馬鹿な人間が口にすると苦笑いされるような夢を語らされたことは許せない。お世話になった女性英語教師が将来の夢を追うために教師を辞めると壇上で語ったあとにお別れのあいさつにいったときに言われた「あなたの将来の夢は何ですか?」に向きあえなかった自分がなさけない。

 なにより親が自死をほのめかして俺を都合がいい自己実現の道具にしたことは一生許せない。

 フラッシュバックしてくる。

 

 六秒とはいわずに一分ほど許せるか検討してみた。どうしたって許せないようだ。

 俺は無能で、当然のごとくその親も無能で、結局は「親は無能だった」というオッカムの剃刀で片付く話とは分かっている。

 

 そうは分かっていてもいまだに許せそうにない。

 自死を人質にするのは卑怯だろう。「あなたがちゃんとしてくれないとわたしは死ぬ」で洗脳するのは卑怯だろうよ。

 いずれその子は「俺は全然ちゃんとなれなくなったのになんでお前は死なないの? なんでまだ生きているの? そこで死なないのフェアじゃなくない? はやく死んでくれないとあなたの死を悲しめなくなる」と思うようになる。 

 

 親と子は仲良くして欲しい。

 それって、そんなに難しいことなのだろうか。いや、きっと難しいのだろうな。親っていうのは想像を絶するほどに難しい問題と向きあっているのだろう。

 難易度が高すぎるせいで、親は子どもに殺されたり、殺されなくても殺したいと思われてしまうのだろう。

  

 過去とかどうでもいいのにな。病気の論理と治療の論理は違うのに。そう分かっているのに。

 

 死にたくてどうしようもなくなったときにでも聞くことができる曲は少ない。死にたいときにギターはうるさいし、日本語は聞きたくない。意味が分かりたくない。ただただここから遠ざかりたい。ひたすらに耐えるしかない。

 個人的におすすめなのがART OF NOISEの『MOMENTS IN LOVE』。二十歳頃の死にたくてどうしようもないときにこれを聞きながらカラータイルを延々とやっていた。


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 ……俺は抑うつで暗くなっていたときにラブソングを聞いていたのか。

 

 俺はいずれ統計的に処理されてしまう人間なのだろう。二万とちょっとに連なる人間なのだろう。

 

 もうそろそろ自殺していないのが自殺した人にたいして申し訳なくなってきた。

 試したことは何度かあって、一度はカーテンレールが壊れてしまった。コーナンで2mくらいの測り売りで購入してもやい結びにしたクレモアロープに首を通したのに、ただ数秒間ほど首を通しただけだった。

 俺が死んだところでニュースにならないし、俺の配信媒体に親が降臨することもないし(セキュリティは厳重にしている)、ブログはただの更新停止でブログサービス終了とともに消滅するし、とはいえ統計くらいになるだろう。

 しょうもなかった人生とはいえ統計としては平等に扱ってもらえる。俺だって自殺者統計の+1になることができるはず。警察庁のホームページにある令和N年における自殺の状況の兵庫県の+1くらいにはなりたい。

 人の死が、人のそれぞれの苦しみや悲しみが、1カウントされるの不思議な気持ちがする。その1カウントで万単位になっているのも不思議だ。

 

 俺は、俺の脳で、俺の体でしか生きられないので、そこで詰んでいるような気がする。

 

 ここで書かれていた文章をメガネを外して見ると、なんと「生きたい」というメッセージが浮かび上がってくる。