単行のカナリア

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妄想とは緊急避難的に持ち出された物語である 春日武彦『「いかがわしさ」の精神療法』を読む

 

精神科医春日武彦による、臨床現場や地域医療で体験した「いかがわしい」話を主にまとめたエッセイ集を読んだ。

春日武彦といえば、人間の珍妙さや生々しさへの赤裸々な語りがおもしろい作家という印象がある。ともすれば、放言や偏見の域にまで達することもある。加藤忠史や松本俊彦のような専門的な研究機関や組織に籍を置いているのようなちゃんとした本を書く精神科医ではない。他の著作の『鬱屈精神科医、占いにすがる』や『「狂い」の構造』もそんな感じ。

 

統合失調症における妄想のテーマがどのように時代の影響を受けたかを語る、第九章の「妄想内容の変遷」が興味深かった。

ざっくばらんにまとめると、

憑依妄想は減少、天皇や神を名乗る誇大妄想は減少、宗教妄想はやや減少、体感異常を伴う心気妄想は著しく増加、血統妄想は変化なく一定数いる。

という推移があるらしい。

著者は、このような統合失調症の妄想が、ロマンや芸術の価値を見出しされたり、そこから「炭鉱のカナリヤ」のような時代の先見性をイメージを読み取ることに、慎重な立場である。

統合失調症の発病に伴い、病的不安や違和感、猜疑心や困惑、漠然とした危機感や訝しさといったものが立ちあがってくる。そうした不定形なものを曖昧にしたまま耐えていくことは容易ではない。取り止めのない状態に対して、人間の体制はきわめて低い。そこで応急処置的に突飛な物語(しかも多くは被害的なストーリー)を持ち出して妄想紀文へ具体的な形を与え、事態の納得と対応を図ろうとするもののその非現実さがかえって世間との軋轢を生じて、ますます患者は追い込まれていくーーこのようなあらましがすなわち妄想の出現であるとわたしは考えている。

病者にとって妄想とは緊急避難的に持ち出された物語なのである。苦痛に際して生ずる叫び声は、どれも似たようなものでしかない。ユニークな叫び声はない。

内容自体は目新しくないのだが表現が腑に落ちた、というかよかった。よい文章なのだ。

おれが読みながら思い浮かんだのは、例えば、いつからか世間一般に広く知られネタにされるようになった「頭にアルミホイルを巻く」行為は、まずはじめに病的で深刻な苦痛があり、「なぜ?」「どうして?」という疑問を解決するために、物語(突飛で被害的な)を持ち出し、そこで因果関係モデルを組み立て説明できるようになりカオスを受け入れるようになる。

とかだろうか。

当然そこで持ち出した物語は当人にとって正しくないといけないから、電波を遮断するためにアルミホイルを巻くという行為に繋がる。その物語が社会や中間共同体に対して整合性があるかどうかよりも物語内の整合性が優先される。そしてそれは「妄想」と片付けられる。

 

そして持ち出される物語の了承可能性によって、それが妄想と現実と区分けされる。伏見稲荷大社で行われる御祈祷は五千円を払い、神主がマイクで「名前」「住所」「事務所名」を読み上げる。おれからすればいかがわしいこと極まりないのだが、その行為は古くから多くの人々に了承されている物語の範疇だからおかしくはない。御祈祷もアルミホイルもどちらも科学的(という最高権威の物語)でないことに変わりない。

さらに敷衍すれば、精神分析やポピュラー心理学の語彙にある「アダルトチルドレン」や「毒親」というようなものも、避難的に持ち出された物語のキー概念といえそうだが、そこまで話を広げると「ありとあらゆるものは物語」という相対論になる。小阪井敏晶の信者のおれはその立場だったりする。

 

で、おれが上で引用した文章に感銘を受けた理由は、春日武彦の語り口の優しさにこそある。

さらには「珍奇な妄想や、時代の風俗を巧みに取り込んだ物語を患者の妄想に期待する態度は、あまり品がなさそうである」と精神科医としての矜持がいい。

 

とはいえ、それ以外の春日武彦はやはりいかがわしい春日武彦であり、統合失調症の妄想が全体的な構図が減り、断片化していく現象について「世間にはあまりに通俗かつ安直な物語が、小説であれテレビドラマであれ映画であれ漫画であれ溢れ、インフレ状態を呈し、だから今さら物語を逐一語らなくても十分であるといった気分が生じているのかもしれない」には正反対の意見で、アテンションエコノミーやエコチュンバーというようなSNS台頭以降の言論空間の一切言及にしていないのは片手落ちではないかとおもったり。

 

他には、やや古めの診療現場の知恵やエピソードが満載で、いつものように疾病利得を指摘し、低値安定をよしとし、精神科医の限界を弁えて人事を尽くして天命を待ちがちな、世俗的というか一般的というかそんな軽妙な語り口が読ませるもので、本来の持ち味が存分に詰まっていた。

『「いかがわしさ」の精神療法』はタイトル通りでおもしろかった。