単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

圧倒的なメロディーを彩る歌詞の解釈 石川智晶「house」

この曲はアルバム「僕まだ何も知らない。」に収録。
個人的にはシングル以外では最も好きである曲です。



詞は少年時代のストーリー仕立てになっていて、
何よりもメロディーの美しさが半端ではないので、
すんなりとすぐに聞き入れる曲だと思います。


houseの意味には家だけでなくて「家族」という意味もあり、
どこにでもありそうなスケールの原風景を描いている楽曲。


この曲の内容を要約すると、

石川智晶さんがtwitterでつぶやいていた

地震で割れたアンティークの皿やマグなどを友人の店で取り戻す。同じ形のものはやはり見つからない。同じに飾ることはできないが、他の何かを新たに置いてみようと思う。それが新しい何かに変わるのかはわからない。でも置いてみる。それが大事

これがそのまんま当てはまる歌詞ではないかと思いました。


自分ではどうしようもない喪失、埋め合わせ、受容、新たなめぐりあい。
そういった事柄が兄弟の視点・経験を通じて描かれているのではないでしょうか。

一番の歌詞では、家族が歪んでいく経過の描写がさすがの石川さんだな、と痛感して、
それにスポットライトを当ててここで解説してみます。


 小さな手と大きな両手で
 庭の隅の家庭菜園
 学校帰りに食べた野イチゴ
 土の味がしてた
 夏の終わりに太陽に嫌われた
 荒れ始めた目の前の楽園は
 あぶら虫のついた菜の花だけが
 ぼんやり揺れていた。


 
学校帰りに食べた野イチゴ 土の味がしてた 夏の終わりに太陽に嫌われた」 
これは日常が少しずつ悲しみに染められていく様子。

太陽に嫌われた」は、家にいる時間が増えた。
又は、夏の終わりが近づいて太陽が早く沈むようになり、
その悲しい気持ちを「嫌われた」と表現しているのか。



荒れ始めた目の前の楽園」の楽園は家庭菜園でしょう。
それが荒れたということは、両親が別居し始めたのでしょうか。
又は、そういった余裕が家族にはなくなった。

どちらにせよ子供にとっては家族が幸せであったときに作った家庭菜園は、
「楽園」そのものだったのでしょう。
家族がばらならになってその楽園も荒れ始める。
子供たちはそれをどんな思いで眺めていたのでしょうか。
凄まじい情景の描写力。それのみで感情を想起させる。



さらに、二番の歌詞では
辛さを吹き飛ばすかのように兄弟は明るく振舞っていて、
いなくなった家族」の代わりに「ハムスター」を飼おうとします。
もちろん家族とハムスターは交換できるような存在ではない。
本気で代わりになるとは本人も思ってないでしょう。でも、それで自分を納得させる。そう信じる。
歌詞にもあるように「笑顔が戻るだろう」って。


そして、歌詞の最後は

家に帰ろう
新しい家族だ

で締められます。


不条理、埋められない喪失を子供なりに受け止めて、前を向いて終わる歌詞です。
繊細な感情を見事に描いている、人間の成長を歌った繊細で叙情的な曲でしょう。


メロディーは反則級に素晴らしいのでここではもはや語れません。
こちらのレビューも素晴らしいのでどうぞ→名曲紹介 石川智晶「house」


つまりは名曲なんですよね。