単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

Steins;Gate 第13話「形而上のネクローシス」 感想


 「その先」がごっそり切り落とされた形而上の世界で死んだのはだれだ。

前置き


関西では、2クール目は木曜日に放送されるようなのですが、
今回の13話はまだ1クール目に含まれるようでした。
騙された・・・。というか完全に勘違いしてましたね。
ニコニコ動画があって助かりました。


いやしかし、こういった選択のささいな過ちが、致命的症状になってしまうことがある。
ときには、たった一つのメールが、世界を変えてしまうことだってある。
しかし、じっさいに選ばれた選択肢以外の可能性は、原理的には存在しない。
どれだけ切実に想像したとしても、それは脳内の妄想を超えることはなくて。

でも、それはこの現実での世界のお話に限ることです。
たとえば記憶を持ち越したまま過去にいける装置
たとえば過去のある時点にメールを送れる装置があれば、
自分がおかした過ちを取り返すことができる。


しかし、それはまた途方もなく峻厳な道のりです。
過去を、何度でもやり直せるということは
つまりは可能性の全てが手に入ることと等価で、
つまりは可能性の全ての責任を背負ことと等価であるから。

だからといって諦めることももちろんできない。できるはずがない。
心が折れるのが先か、諦めるのが先か、
苦労と困難の果てで、目的を達して終えられるか。

ついに鳳凰院凶真、岡部倫太郎は意思をもって過去へ飛んだ。
そんな形而上のネクローシスシュタインズゲート第13話。


感想



岡部倫太郎が鳳凰院凶真になった理由はまゆりのため。
まゆしぃを守るためにずっと中二病を演じていた。
この発端は岡部倫太郎の溢れんばかりの優しさですが、
なぜそのキャラクターであるか、そんなノリであるかは
かんぜんに岡部倫太郎の趣味によってですよね。
いかにも美談として捉えられそうな話です。
ですが、こういったツッコミどころもちゃんとあって。
岡部の素敵さがよけいに際立つエピソードでした。
面白くて優しい。これはモテて当然ですね。
安心して牧瀬紅莉栖をまかせることができます。



あと助手こと牧瀬紅莉栖が天才かわいいでした。
数少ない状況証拠から岡部がタイムリープしたと見破った。
天才であることと岡部を見守る愛があること。
これらの相互作用によってつながった奇跡の電話です。
これまた泣かせるエピソードですね。
なぜ牧瀬紅莉栖はこんなにもかわいくて魅力的なのか。


それと、電話がかかってきたときに助手ともクリスティーナも茶化さないのが
岡部の深刻さを
たくみに描いていたと感じました。
鳳凰院凶真であることと岡部倫太郎であること

これらの描きかたの区別にも注目していきたいです。

しかし、決して微笑ましい話ばかりではなくて。
それよりかはシリアスな展開が目立ちました。
まゆしぃがことごとく死んでしまいます。
まゆしぃは一人しかいないのに。

辛い。かなり辛いけど、物語としては面白くもあって。
だってあの岡部倫太郎が助けようと奮闘してるのです。
彼ならきっとやってくれる。まゆりを助けてくれる。
そう信じられるような生き様をみせてくれていましたからね。

がんばれ岡部倫太郎・・・!
手に汗を握って応援してしまいます。
 

まだ終わりません。


シュタインズゲート

 


 今話で描かれたのは、岡部倫太郎が置かれた状況についてです。それは予想をはるかに超える過酷な現実でした。この世界では、「まゆりが死んでしまう」運命から決して逃げられることはできない、と岡部がじっさいに様々な選択肢をとることによって、それが証明される形になってしまいました。タイムリープは、悲劇であり、希望でもあります。

 運命に抗うことがどれだけ困難なものか。
 
 およそ他の物語にでてくる「運命」とシュタインズゲートにおける「運命」は大きく意味が異なります。シュタインズゲートの「運命」は姿・形はなく、当事者が経験から帰納することで想定された概念でしかない。まさに形而上といったもの。しかも、この運命がどういったシステムで成り立っているかは、原則的に当事者の人間には分かることはありません。

 だから、岡部倫太郎は選択肢をつぶしていくように試行錯誤していくしかない。そのためには「これなら大丈夫であろう」と仮説を立てて、運命に抗って、その結果を学んで、本人が望む結果がでるまで、何度でも何度でもやり直す必要がある。

 これってよくよく思うと、なかなか科学的な手続きではないでしょうか。
 局所的因果律、この世界では、おそらくこういったシステムがあるとの不完全な仮定を前提に置いて、そこで、自らが望む結果を探して実行して求めていくプロセスは、形式的には科学的といったもいいのでしょう。ついにシュタインズゲートは、世界観や設定だけではなく、ストーリそのものが想定科学アドベンチャーに相応しいものになってきたのです。 

 物語がはじまりました。

 


 ここからちょっとネタバレがあります。原作プレイ組の感想とうやつです。


 それにしても、アニメの脚本にすこしだけ不満があります。
 
 それは「岡部倫太郎だけ世界線を超えることができるという疎外感・孤独感」というのがなかなか読み取れにくい脚本になっているのではないか、と感じました。
 岡部倫太郎のタイムワープの厳しさだったり、困難さだったりするのは、他者との断絶に依存しているものでもあります。そして、何より大事になってくるのが、その断絶をキャラクターたちが優しさと思いやりによって乗り越えることです。さらに、それは「あったかもしれない世界」「なかったもしれない世界」、つまり「現実ではなく仮想でしかないけど現実である世界」へのリアリティを促すものです。

 これは終盤の感動ストーリーに向けて、決して損なわれていけない前提になっています。物語を支える基盤のようなものです。伏線というわけではないですが、重要なシナリオの部分になります。
 そのために原作では、岡部倫太郎を一人称にして、主観に比重を置くことで、これを支えていました。さらに、原作では、今回あたりの話では岡部倫太郎の思いを丁寧に描いていた印象があります。
 
 メディアの違いがあれど、ここらへんはアニメでも尺をとってまでもしっかり描いてほしいですね。シュタインズゲートも面白さを残すことなくアニメでも演出して欲しいですから。まあ、それ以外は不満はありません。キャラクターの掛け合いに関してはアニメの方が好きですね。いきいきしていますし。

 
 ってな感じで、少しだけ長文になってしまいました。面白いから仕方ないですよね。
 なんとなくの三部構成にしてみました。
 




オマケ

 鈴羽すごい。強いとかそういうのではなくて。かわいいとか肉感的とかそういう方面です。さいきんそれをよく考えてしまいます。
 鈴羽は苦境によってそうとうに身体が鍛え上げられていますが、細い。かなり細いけどしっかりと引き締まっている。腹筋とかかなり良い感じになっているのは、これまでのストーリにによって分かりますよね。
 
 で、俺は、アニメのキャラクターでは鈴羽の身体に強烈なリアリティを感じています。触ったときに確かな手触りがありそうなんですよね。おそらく、その手触りは、表面だけは少し柔らかくて固いはずです。筋肉質な彼女ですが、やはり女性でもあります。それゆえに、表面のふんわりした柔らさがあると感じるのです。でも、そこからは筋肉によって固くなっている。

 しかし、これはなんといってもアニメならではのキャラクターの描きによって感じたことですから。 そして、それはまた健康的なエロスをも感じさせます。

 というか、シュタゲのキャラクターはみな、リアリティというか、皮膚感覚を感じさせるようなキャラクターになっているように思いますね。まゆしぃーはぷっにぷにしてそうですし、クリスはさらさらしてそうです。そんな感じで、触ったときにはどうなるか、その感覚的な情報がみごとに描かれていると思います。

 しかし、実際にキャラクターはあまり触れあうことはしません。「触る」といった行為が、作中で描かれることはあまりないです。
 なのになぜこうもリアリティを感じてしまうのか。まだ答えは出ていませんので、答えが出た次第にこれについて書きたいと思います。身体性をともなった記号とか、そういう視点でいまは考えていますが、これは上手くいかないです。なんでだろう。