単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

THE BACK HORN名曲レビュー 「運命複雑骨折」


 「表現は所詮排泄だ」

 
 それを鑑賞して悦に浸る俺ってなんなの?蠅なの?
====

面白くて、聞いていて何より痛快。
酒に酔って頭を掻き毟りながら作っていそうな。


ヘロヘロのギターリフがカッコいいんだかダサいのか。
サウンドもけっこう軽くて攻撃性があるけど威力がないというか。
いや、カッコいいのにはカッコいいんですが、どーも面白さを感じてしまう。

そこそこのキャリアがあるアーティストが歌う内容としては、ちょっと身も蓋もない「歌うことの価値がない、というかクソ」と、涎をたらしながら白目を剥いて叫んでいる。(イメージ)

でも、可笑しみがある過激な表現に反して、内容はいたって切実。
その過激さな切実さが、「運命複雑骨折」という過剰なタイトルに現れていて、この楽曲の魅力だと感じます。
あらためてすごいタイトルです。どうにかして治療できるのかな。


ここで表現することに関しての懊悩を表現するために、「夢見る凡人」「クソに人生をかける」という卑近な言葉で歌うのが彼ららしいです。
THE BACK HORNに興味がない人や嫌いな人は、実際にこういう風に思っている人がいるだろうし、だからこそわざと大げさにもクソと表していて、表現としては的確かと。



序盤の歌詞のように、表現を排泄と例えるのはわりと定番の例えだとは思いますが、
THE BACK HORNの素敵なところはそこからの怒涛の歌詞になります。


クソで涙してクソで共感を求め
クソを賛美してクソに人生をかける
売れればいいけれど売れなきゃただのクソ
気が付けば誰もが立派な商売人



っておい!クソ発言がいきなり六連発も!
自己満足をオナニーに例えるよりも酷い!

しかし、これの歌詞はまだ続いてその結びがカッコいいのです。


夢見る凡人
迷惑な奴でごめんなさい
ぶっちゃけ本当は
悩んでる振りがしたいだけ

歌いたい事もなく
歌うべき事も何も無い
それでも歌いたい
歌わなきゃ気が狂いそうさ




あーなるほど、と納得してしまうこの歌詞。
理由はないけど願望がある。
これを例えるならば、呪い。
だからこそクソという言葉に着地したのも合点。
なんのことはなくて「したいからしただけ」
つまりは、クソというわけです。


しかしそうなると、それに涙する俺たちはなんなのかと。
私たちは、バンドなどを「アーティスト」という表現で呼びます。
でも、それは本人にこう歌われてしまうとちょっと違うよねって話でして、
「楽曲」を聞いて消費するだけの俺たちが「アーティスト」という価値を支えることはできず。
暇なときに聞いてみたりして「すごい」とかてきとーなこと言ってるだけの存在。
芸術と呼ぶにはあまりにもふざけた鑑賞態度であります。


この楽曲で歌われている自己批判はきっと聞き手に対しての攻撃でもあるのでしょうね。
複雑骨折してとびちった破片は拾った手にも突き刺さって、出血。
彼らが夢見る凡人ならば、私は夢すら借りるような凡人ということでしょうか。

と書いていて、なんかへこんできました。
でも、この痛い嗜虐性が痛快なんですよね。



しかし、表現がクソというならば「運命複雑骨折」も当然のごとくクソであって、
私は今こうやってクソをレビューしていることになるのですか。
  

うわあ……。