単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

THE BACK HORN名曲レビュー「人間」

人間 ====
この曲は、大仰なタイトルの時点で彼らの覚悟を感じさせる一曲で、
そしてその仕上がりも「人間」の名の相応しい名曲だと感じます。



と、ともにちょっと気持ち悪い。
これは決して否定的な意見ではなく、
賞賛の意味をこめてそう称しています。
この人間という曲は気持ち悪くて素晴らしいのです。


不穏さを孕んでいるリフは出だしから雰囲気をどん底に落とし
サビへの転調もどこかパッとせずに混沌としている。
きわめつけは山田将司ならではのボーカルで、
人間、人間、人間と嘆きや悲鳴のように歌い上げるのが悍ましい。


そのどことない気持ち悪さ、不穏さがこの「人間」の魅力であり、
ひいては歌詞の説得力、破壊力を裏打ちしているのだと思います。
というか、気持ち悪いけれどもかっこよくもあって、
おまけに神妙さや荘厳さすら感じさせる。
いってみれば「気持ちを悪くさせる」という立派な魅力をもっているということです。


本題。


ずっと生と死について歌ってきた彼らが、人間について歌うとき、
そのとき選択した舞台はいわゆる「人間の極限状態」でした。


首吊り台の上 産まれ生きた日々を愛しく想えるかな?


人間は何なのか、それをどうやって考えるかという手がかりとして、
ときとして戦争、特攻隊などをテーマにしていたTHE  BACK HORN。
今回は手っ取り早く「死」を目前に突き付け、さらには罪の贖罪までも求められて、
それでも生きててよかった?と問うシーンで終わるという詞です。

疑問で終わるってのはすっきりしないですが、
その曖昧さを含めての人間なのでしょう。
「分からない」というほど不明ではないけど、
答えがあるほどはハッキリはしていない曖昧さ。
疑問が残せるほどには分かることもある、といった感じで。


その一方で耳に残る、


人間はコワレタ
人間はコワレタ
人間はコワレタ
人間はキレイダナ


という、この歌詞はコワレタからキレイダナで終わっている。
混沌としてボーカルからも最も耳に残るフレーズ。
これはまたTHE BACK HORNがずっと歌ってきたことで、
人間は壊れたおもちゃのようなものだけど、
人間の営為は醜悪なものだけど、
そんな人間の総体は飾らないからこそ美しいものだと。
これは醜美、っていう言葉のまんまですね。
醜くくて美しい。
この楽曲そのものを表現しているような言葉です。



なんて解釈しましたがこれまた人によって意見が別れそうです。
ただTHE BACK HORNというバンドならではの魅力というか、
これまでの彼らがあったからこそ説得力を持つ曲だと感じます。

いいですよね、この曲。
菅波栄純先生の本気。