単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

菅波栄純の名言と自分語り


 やることないのでブログ更新。話題はTHE BACK HORNについて。と思いきや、いつのまにかただの自分語りになっていました。ネガティブ注意です。


 THE BACK HORNのライブアルバム、「産声チェインソー」のヘッドフォンチルドレンの楽曲の合間にて、菅波栄純が語ったアドリブの言葉が脳に焼き付いています。


毎日毎日生きてーとかもっと生きてる実感がほしーとか
死にてーとかいっつもいっつも自分のことばっかな
だけど自分の事ばっかで、生きてる実感も死ぬ勇気だって沸いてこない
俺たちは人とかかわってからエネルギーがわいてくる
一人で勝手に考えたことより、誰かと話した世間話のほうが本当のことのような気がする

http://blog.livedoor.jp/waka_swing/archives/50385162.html(引用元)



 菅波栄純という人間は大好き。彼が書いた詞にはどれほど心を揺さぶられて元気を貰ったことだろうか。こうして全曲レビュー、アルバムレビューを書いているのは、好きだからこそです。でも、この台詞に限っては嫌いです。というか、認めたくないんですよね。

 要はこれって、一人じゃダメってことでしょう。一人ではエネルギーが生じることはなく、正しさからはかけ離れていく。そうだ、人間は関わり合うことが大事なんだ!というわけです。ヘッドフォンチルドレンという楽曲はまさにこれがテーマで、「ヘッドフォンのなかに救いはないよ」と、一人であることを拒否しているような歌詞です。

 
 一人できることにはもう限界がある。一人で抱え込んではダメなんだよ。と。
 
 

 注釈すると、これは決して安易なポジティブなメッセージというわけではないのです。菅波栄純がここに至るまではひたすら「孤独」というテーマを掘り下げていました。そして到達したのが、孤独に浸っていてはだめなんだよ。というアドリブにもある内容なのです。苦闘の歴史があっての言葉。

 でも、俺はそれを認めたくない。俺は一人でも生きていけると信じていました。これまで生きてこれたのは、家族、友人、社会の助力があったからこそというのは当然です。それとはまったく別の話で精神的なことについての、一人です。



 プラネテスにあった「全部俺のもんだ!孤独も不安も後悔も苦痛も・・もったいなくてアイツなんかにやれるかよ!」というのが俺の信条をよく表す台詞でしょうね。 
 


 でも、こうやってひたすら拒絶すること自体が、この突っ張った生き方に限界が来ているのかなーと今は思うようになりました。他人にケチをつけたくなる。これはもう自分の生き方に自信をなくしてしまったから、他者を否定することで自信を回復させたい心理の表れでしょう。俺は孤独を謳歌できるようなタフさは持ち合わせていないようです。



 それが悲しい。自分はもっと強い人間だと思っていたかった。でも、違う。ここでブログの話をしますと、最近はアクセス数が落ち込んでいます。半年前と比べると、それはもう明確な低下をたどっています。更新しても、アクセス数は変わることなく、そればかりか減っていくのです。コメントなどの反応を頂くのでモチベーションはあります。けれど、アクセス数の低下を見ていると、自分の記事はあんまり良くないのかなーと悲しくなる。


 そういうの気にせずにやれれば楽なんでしょうけど、基本的に自分の記事が気に入っていないだけに、どうしても他人の評価を気にしてしまいます。じゃあもう辞めろよって話になるんですけど、それは嫌。書くこと自体は好きなので辞めることはありません。でも、俺は一人で自己満足でブログすらできないわけです。だからこそなんですが、ブログを訪れてくれた方には感謝していますね。




 じゃあこれからどうする? これまでの生き方をすぐに変えることはできないし、記事の質を向上させる以外でのアクセス数を上げる工夫はしたくないです。やっぱりこういうのってゆっくり変えていくしかない。下がっていくアクセス数に関してもただ更新することでしか解決されない。となると結論は、とりあえずやれってことです。



 深夜四時の自分語りでした。書いているときは本当に楽しいんですけどね。素直に書くことと、自分陶酔を含んだ自分語りは、同じことになるのかな。これは分からない。まだこれから。