単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

ヘッドフォンの中には救いはないけれど THE BACK HORN「ヘッドフォンチルドレン」


 白い背景に工具、文房具、手足がぐちゃぐちゃに配置されているジャケット。よく見ると、その塊はヘッドフォンチルドレンという文字になっているのだが、注意してみないと気付かないほど複雑である。このようなぼんやりと文字を浮かす仕掛けは、無意識で気にかけていたり、その言葉を求めている人間が気付きやすいと言われていて、まさに今作の「ヘッドフォンチルドレン」は、ヘッドフォンの向こう側に救いを求めているそんな人間にとって何かメッセージを浮かびあがらせます。そして、それは歓喜と狂気が共存した救済のメッセージです。
 
 
ヘッドフォンチルドレン
ヘッドフォンチルドレン  


 俺がTHE BACK HORNを知ったのは「ヘッドフォンチルドレン」がキッカケでした。
 それまではヒップホップジャンキーでロックというジャンル自体を毛嫌いしていた偏食家だったのが、このアルバムを聞いて衝撃を受けて、ライブを見にいってまた衝撃を受けてからは、今度はTHE BACK HORNの虜になりました。思い入れでいったら、それこそ人生でトップに位置するほどのアルバムで、臆面もなくいうとこの作品は当時の私にとってまさに生きる希望そのものでした。なので、すでに俺にとってはこのアルバムは商品的価値を超越して、もはや何かしらのモノサシで語れるものではありません。

 ギターを手に取ったのもこのアルバムがキッカケで、それも「ヘッドフォンチルドレン」の曲を弾いてみたいと思ったからでした。すぐにオークションでハンドスコアを落札して、初めてコピーした記念すべき曲は「奇跡」だったのを覚えています。俺は、コバルトブルーのカッコいいリフを弾くために毎日練習して、パワーコードで上海狂騒曲を掻きむしっては衝動に浸り、墓石フィーバーの音作りが難しくて苦闘して、部屋の中で一人っきりで夢の花の下手な弾き語りをしていました。このアルバムを聞いた回数はすでに数えきれないほどで、また弾いた回数、さらに歌った回数でもヘッドフォンチルドレンの楽曲は、他の作品と比べて群を抜いています。

 
 これほどまでにアルバムに接していると、なんといいますか、オープン二ングの重低音を響かせるギターから、ラストの奇跡のコード音が静かに消えていくその一瞬まで、俺は様々な感情を重ねてしまうわけです。このアルバムと出会ってから10年ほど経ったなかで、いつでも耳元でこのアルバムが再生されていました。今こうして、レビューを書き進めるためにいくつもの言葉を浮べていますが、それらを手に取ってみてはどれも相応しくないと思って形になりません。このアルバムへの思いを言語化するとなれば途方もない文章量が必要になり、そしてその挙句に言語化しきれていないという失態を犯してしまうだけなのでしょう。
  
 ヘッドフォンチルドレンを聞きはじめてからもはや10年もの歳月が流れました。
 ことあるごとにこのアルバムを手にとり、癒されて満たされて感化されて鼓舞されて、いつの間にか「ヘッドフォンチルドレン」を聞くことが呼吸するような自然な所作になっていました。それほどまでに俺が気に入ったのも、やはりヘッドフォンチルドレンという作品が素晴らしいからなのでしょうが、どう素晴らしいかついてかは記憶のひだの各所に仕舞われてしまいました。無理と妥協をすればのアルバムのすばらしさは語れるのでしょう。でも、どうしたって言葉と乖離してしまうことが分かっている以上、今回はレビューが書けなくなってしまったほど大切な作品ということで〆きります。

“ヘッドフォンチルドレン”俺達の日々は
きっと車に轢かれるまで続いてゆく


 お気に入りの音楽を流して自分の世界に逃避するヘッドフォンチルドレン。気が付けば、それをテーマにしたヘッドフォンチルドレンのチルドレンになってしまって、これは本末転倒ではないかと途方に暮れてしまいそうになっています。レビューをしないことでレビューをするなんていっても言語化を放棄している以上は、ただの感傷的な戯言と受けとってしまわれるのでしょう。ですが、この作品だけはそれでも仕方ありません。このアルバムだけはそれを私が私に許してしまうほど私には大切な作品なのです。歌詞を全曲暗唱できるし、ギターも全曲弾けるし、メロディーだって脳内再生できるし、もう私の一部といって差し支えがありません。