単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

「ファン」であること、信頼するということ。


 ファンであることについて。痛い思い出と共に。


 私はこのブログのある記事で痛烈な批判を頂いたことがあります。チキンな性格なゆえ、批判された記事は速攻で削除してしまいましたが、このサイト名でググると見つけられると思います。もし気になってもweb archiveで掘り返さないでそっとしといてください。その記事というのは、ある声優の性格について書いた記事で、私の主観で「こういった性格である」と断定したことに対して批判をもらいました。

 当然、これには怒り髣髴。かってに遠方射撃してんじゃねーよ、と。自分が書いた記事の責任は置いといて、とりあえず腹が立ったのを覚えています。なんてやつだ。また反省。そして相手のことをよく調べると、その方は自分のブログを持っている方で、私が言及した声優の「ファン」の方でした。なので、匿名での身勝手な批判ではなくて、それは責任に立脚した正しい批判だったのです。



 だったら、そのサイトを見てやろうじゃん。と揚げ足を取ろうなんて意気込んで読んでいくと、ああこの方は本当に「ファン」なのかと気付かされます。決して信者ではないのです。良しも悪しもしっかりと判断するファン。浅薄な怒りの感情は次第に尊敬の念に変わり、そして、そのブログの誠意を浴びてしまった私は、自分が適当なことを書いてしまったことを悔やみました。という痛い思い出があります。





 とりあえず「声優のファン」という言葉で偏見を抱くような方はいないと思いますが、「ファン」であるということは、憧れのスポーツ選手、偉大なる宇宙飛行士、大好きなミュージシャン、尊敬できる先輩に抱く思いと何ら変わりはありません。私は誰かを応援しようという気持ち、その方に勇気を貰えるという気持ちがあれば、その人物の立場に関わらずに、応援する本人はファンという言葉でくくれると思っています。

 

 それで本題はというと、ruiさんという方のファンならではの記事に感動してしまったわけです。それで感情に突き動かされるままにこうして記事を書いています。
 

 ミュージックレイン、スフィア4人のブログ更新を当面休止へ(高垣彩陽応援者視点)

 
 感想は、やはり適当なことを語ってはいけないという自戒と、ファンであることの素晴らしさを教えて貰ったことですね。実は感想を書いてみたらあまりに長くなりすぎたのでもう全文カットしました。それを読む時間を使うくらいなら、このリンク先の記事をもう一度読んでほしいと思いましたので。というか、どうも感想が上手く書けなった。


 このruiさんは「信頼するということは尊い賭け」だ「持ちあげた自分を保留して見損なったといわないようにしたい」と、誰かに期待するという行為について慎重な姿勢を見せている方です。そして、ファンであるというのは、その期待が最大にまで高まっている状態ゆえに、過剰な思い込みによって好き勝手なことをいってしまう。今一度「ファン」であることの危なさについて確認させてもらいました



 それと、その危なさがある分だけに、ファンであること、ファンでいられるような人物に出会えたことは素晴らしいということもです。これは「この方はきっと素晴らしいものを私に与えてくれる」と信頼という名の賭けを、何度も成功させてくれた方に出会えることの喜びのことです。新作が気になるってのはもう幸せな信頼ですよね。そんな感情を持たせてくれただけでもありがたいことです。



 これらのメリット、デメリットどちらも踏まえて、ファンはファンであるのだと思いましたね。思い入れがあるからこその身勝手な消費者にはなりたくないものです。ネットという公的な場で語るというのはこの責任を持つことでしょう。あらためて反省を込めて書かせてもらいました。ファンでいられるのは素晴らしいことなのですよ。確信。