単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

THE BACK HORN名曲レビュー「惑星メランコリー」


 どうやら地球はまだ滅亡しないようです。この手の話題を聞くと、伊坂幸太郎の「終末のフール」に登場してきた「明日死ぬとしたら、生き方が変わるんですか?」という台詞を思い出します。惰性に流されて怠惰に生きている私には耳が痛くなる言葉。でも、ちょっとだけ耳が痛いだけで今日はお休みモードです。  
 
 そして、地球滅亡にちなんで、昨日なんとなく聞いていたのがTHE BACK HORNの「惑星メランコリー」。この曲では一足先に地球が人間の手によって滅ぼされています。なんというバットエンディング! では、レビューに。


 地上は業火に焼かれて地獄のよう
 肥えた人間の脂肪はよく燃えた



 これこれ。これなんですよ。ボーカルは感情をひねり出すように不安定に叫んで、不穏さを孕む重々しいギターリフが炸裂してじわじわと浸透、安定のリズム隊がそれを支えて、退廃的で破滅願望のある歌詞が世界観を色濃くさせる。私は最初にハマったバックホーンの負の部分が抜群に滲みでています。過剰すぎて大げさに思える。衝動的すぎて引いてしまう。それくらいの滾る熱量があってのバックホーンでしょう。


 人間は地球にとっては害悪な存在である。最大のエコ活動は人間を殺すことである。地球を救いたいなら真っ先に人間を排除するべきだ。なんて人間の一員としては肯定するけど同意はできない言葉の数々。この楽曲もそういった「人間いらねー」に分類されるような曲でして、もちろんその呪詛は自分を含めていながら、どうも投げやり感がすごいのが特徴です。「俺たちが死んだらいいんだろう!」とあんま考えていない感じ。 

 というのもこれは理由があるんですよね。人間を批判するというよりかは、「俺たちはクズだ」の延長線にあるような歌詞で、さらに「方舟に乗った選ばれし者は傲慢な権力者 まるでゴミを片付けるような仕草で爆弾を投下した」とちゃっかり助かっている人間がいます。それで、権力を持たない俺たち害虫だけが燃えて死んでしまうというわけです。これは投げやりになっても仕方がない。だって、羽を持たない害虫は怨嗟をまき散らして朽ちるのだけど、羽を持つ害虫は助かってまた惑星を滅ぼしに向かうのだから。むかつくじゃないですか、それって。投げやりになるのも当然だと思います。


 でも、やはり私は惑星メランコリーはあくまで「死にてー」の先にある曲だと思っています。自分は絶望に打ちひしがれて破滅願望を抱きながら苦しんでいるんだけど、それを鼻で笑うかのように裕福な奴らがどこかにいて憎悪する。もし俺が自滅したとしても幸せそうな奴らはこれかもずっと幸せなのだろう。だとしても、俺はもう焼却されたいのだ。そんな感情を立脚点に、想像を膨らませて物語に練り上げてできあがったのが、この惑星メランコリーなのかな、と。飛んで火にいる夏の虫のごとく、救いのない救いに身を投げようとする自暴自棄さに、彼らの若さゆえのごちゃついた感情を感じさせます。


 最後のラブソング 人類に捧ぐ
 俺達は害虫 燃え尽きて死んじまえ さあ!



 結局、昨日は地球滅亡しませんでした。はなっから信じていませんでしたがそれでも一抹の寂しさを感じました。その空虚な気持ちを埋めるたいときにはこの惑星メランコリーの出番です。創作でなら地球なんていくらでも滅ぼせますからね。でも、この曲で滅亡するのは自分たちのような害虫で、べつに人類が滅亡するわけではない。それはちょっと嫌かもしれません。HDDにある自作ポエムを削除しないといけない。