単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

Syrup16gの曲レビューその17「落堕」


 レビューについて考えさせられる今日この頃。好きでやっているだけ。それなら何の問題もないけれど、それ以上の「伝えたい」「認めてもらいたい」という価値を求めるならば、ただ書けばいいというわけにはいかない。現にこうしてブログに書いたネットに公表している以上はやはり価値を求めているわけで。価値を求めてしまうとそこには優劣が生まれてしまうし、その価値に適したレビューがすんなり書ければいいけど、自分には自分が思ったようにしか書くことができない。いや、思ったようにすら書けません。


 そんなことをぐだぐだ考えていました。難しいです。欲求と現実との正面衝突による事故が起きているようです。挙句の果てには、なんで俺はレビューを書いているの?と根本的な疑問にぶつかってしまって、たかが趣味なのに大げさだなとは割りきることはできずに、せっかくの休日にぐだぐだ考え込んでいました。
 

 前置きが少し長くなってしまいましたが、こんなグダグダし始めたときに目を覚ましてくれるのが、syrup16gの曲レビューその17の「落堕」 寝不足のテンションで。



 この曲というと、あるライブでの五十嵐隆のハイテンションさが思い出されます。あろうことに彼はギターをほっぽり出して会場を煽る、叫ぶ、左足を蹴り上げるパフォーマンスを披露しました。その様子に通じるようにこの曲はサウンドからしてテンションが高い。リズミカルなベースとぐちゃぐちゃとノイズをまき散らすギター。ドラムはハイハットを多用して軽やかなリズムを刻んでいます。サウンドの振り切れっぷりが心地よいです。本来、爽やかであるアコースティックギターの音色が、サウンドの雰囲気によって殺伐としているのも面白い。軽やかなのにヒリヒリしている感触です。

 一口にテンションといってもその内容には色々あります。この曲では寝不足のときの異常なテンションの高さ、全てを諦めて開き直ったときの自信に満ち溢れているといった感じです。前は向いていない。でもテンションは高いのです。限界まで追い込まれた人間が笑うときのような自暴自棄と似た調子で。そして、どこまでも自堕落。


 
何だかんだ理由繕って
内心じゃほくそ笑んでて
解り切った様な事言って
一人悦に入ってたりして


 
 散文された詞は「人間はしょーもない」と訴えるかのような歌詞。開き直っているような感じだと書きましたが、何を諦めて開き直ったかというとそれは普通の人間であることをだと思いました。
 
 あまりにも自堕落な生活を送っていると、あらゆる感覚が鈍ってきて、髪は無造作に伸びて顔は情けない雰囲気を醸しだし、満たされない自分の欲望のみに忠実になってしまう。一昨年くらいの自分がまさにこんな様子だったので、他人事ではないリアリティを感じるダメっぷりです。普通の人間からすると批判されて当然の情けなさです。


 そこまでダメにならなくても、優越感に浸るためだけに虚勢を張ったり、自分の全能感を守るために手を抜いたり、生活習慣という言葉から程遠い生活を送っていたり。と、これは普通の人間とは呼べない。恐らくそこで思い浮かんだのが「落堕」という言葉だと思いました。私のお気に入りの造語で、堕落を並べ替えだけの言葉、まぬけ面のラクダは私の情けなさと一致して良い感じです。以前のHNはrakudaでした。


いつでもいいんだ
どうでもいいんだ



 しかしラクダって案外タフ。寂寥とした砂漠のお供になっている動物で、見た目はなんか情けないし脚は遅いけど生きる残ることに関してはタフなのです。その様子が自堕落な人間のしぶとさを想起させます。精神的に精神不衛生だけどもダメになることでバランスが取れているので安定している。さらに開き直ったときのテンションなんて向かうところ敵なしです。ただ悪いことだけじゃないってメッセージもあるように思いました。


 
 投げやりになったときの強さ。自堕落のしぶとさ。自己嫌悪の捉われていても、自分をダメだと卑下しても、それは悪いことだけではない。この曲は捻くれた応援歌といってもいいのではないでしょうか。個人的にお気に入り。テンション上がります。ヒャッホー!!


 余談ですが、去年本物のラクダを動物園で見てとても気持ち悪いと思いました。