昨日はニコ生PLANETS12月号「徹底評論!『HUNTER×HUNTER』」を視聴しました。評論家の方々が緊張しながらも刺激的なトークを聞かせてくれましたので、その中でも個人的に面白いと思った考察についてまとめます。今回の主題はジャイロです。
ジャイロとは、NGLの設立者にして影の首領。そして、堂々と仕掛けられた伏線。
遊び、ゲームという指標
議論のなかで衝撃的だったのは、不可解であったジャイロについての説明です。前提として、ハンターハンターの世界では、遊び(広義でのゲーム)を共有できるのが仲間であり、遊びを提供できるやつが良い奴となる。その視点だと、人権を奪われて悪意をまき散らすためだけの合理的な思考を持つジャイロは、遊びの天才であるゴンの対極にいる存在であるがゆえに、作中では「ゴンとジャイロが運よく出会うことがなかった」という宿敵のような描かれ方をしたということです。その意味では王、ゲンスルーなどの相手は「敵」ではない。
ここでの遊びというのは手段を目的化することであり、勝つためではなく戦いそれ自体を楽しむことを指しています。戦うのが面白いから戦うことです。勿論、GI、オークションも遊びに含まれます。
キメラアント編を語ると、まずレオルとモラウが好きなアーティストが同じであったことを伏石として、最終的に軍儀を通じて王とコムギが深く通じ合えたことに「遊び」の価値が反映されているのです。
さらに推し進めると、ネテロ会長と近寄った思想を持つパリストンは遊びを共有する気がないからこそ否定されて、ヒソカという存在が強調されて描かれるのは自分の遊びに没頭するソロプレイヤーだからこそ、というわけです。
遊びから派生される指標
そして、「楽しいかどうか」だけではなくて、「好きか嫌いか」という指標も当然ながらあります。それが顕著なのは旅団の関係性であり、オークション編でのクラピカが提案した取引のシーンでは、団長が提案する遊びを支持してルールを尊重する集団と、団長に惹かれて団長の存在の優先的に支持する集団に別れました。
モラルの「同じ音楽の趣味のやつとはやりづらい」という躊躇と、
そして、ハンターハンターでは、キメラアントの女王、キルアの母親など「母」という存在が歪んで描かれます。当初登場したミトさんがゴンがハンターになる夢を否定するように、冨樫義博がイメージする母親は「遊びを否定する」存在がであるがゆえに、ハンターハンターに登場する母親はいびつな存在になる、ということです。
他には、ゴンがゴンさんになってしまったのは、復讐という目的を持ってしまったからで、手段を目的化して楽しんでいたのが、目的の為に手段を講じるようになってしまったから、ゴンではなくなったようです。復讐に憑りつかれたクラピカの二の鉄を踏んでしまった、ということでしょう。
まとめは以上です。結論だけを抜き出したので伝わりづらいかもしれません。
まとめ
やはり私が感銘受けた考察は、ジャイロの存在意義についてですね。彼だけが特別であったのは、遊びを楽しむことを完全に拒否している存在だからこそ、ってのは思いもよらなかったです。一方のゴンはGI編で「君が一番このゲームを楽しんだ」と言われたように主人公としてあらゆるゲームを楽しめる天才です。
それにキルアがなぜ特別かというと、彼はこれまでインドアゲーマーだったのが、遊びを共有できるようになったからで、いわゆるパリストン、ヒソカのように遊びを共有することがない存在であった。しかし、ゴンという遊びを誰よりも楽しんで、遊びをまわりにも提供できる存在に出会って、キルアが変わるようになったのが特別なのです。
これでも議論されていた内容のほんの一部にすぎません。冨樫義博こそがキメラアントのハイブリッド性を持っている、などまだまだ重要な議論もありましたが、全てをまとめるのは不可能ですので自分にとっては刺激的であったことをまとめました。しつこいようですが、本当にジャイロさんの考察にやれましたね。
他にもあった議論を。
キメラアント編とアルカ・選挙編では、大量殺人兵器が登場している時点で共有している。しかも、規模的には今回の方が危険性が高い。ハンターハンターは、ドラゴンボールが描けなかった
まあなんとも濃い議論でした。メモって聞いていたらそれだけでとんでもない量に。私のような知識がない人間でもこうして語りだすときりがないですね。あい。
HUNTER×HUNTER 30 (ジャンプコミックス)