単行のカナリア

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ハンターハンター パリストンとネテロについての考察


 単行本ではまだ登場していない新キャラクターのパリストンと、人類最強のジジイのネテロ会長についての考察記事です。※1月19日発売のHUNTER×HUNTER No.311話「X日」までのネタバレがありますのでご注意を。というかその週に関する考察記事になります。

 
 

 さて、今回の記事はジンの「今残ってる4人で前会長の遺志を継いでいるのはパリストンだけだ」という発言の意味を考えることがメインです。これは以前にニコニコ生放送での議論をまとめた「ハンターハンターの世界観の考察、なぜジャイロがタイトルになるほど重要視されたのか」を引用しながら説明します。もうすでに読んだことがある方、そんなもんはいいからさっさと結論が見たいという方は、前半を読み飛ばしてもらってもかまいません。



 まずハンターハンターの世界観についての解釈から。これについて説明するときに重要になってくるのが「ジャイロ」というキャラクター。ジャイロとは、NGL自治国の創設者であり影の国王と呼ばれていて、キメラアント編では丸々一話を使って彼の生い立ちを描かれたことがあるキャラクターです。しかし、そういった重要な扱いを受けているのにも関わらずに、未だに姿を現したことがなくて謎に包まれているキャラクターです。そこでなぜジャイロが特別視されているか、そしてジャイロとゴンを対比させることで、ハンターハンターの世界観を考察します。  


ハンターハンターの世界では、遊びを共有できるのが仲間であり、遊びを提供できるキャラクターが良いやつとなる。その視点だと、人権を奪われて悪意をまき散らすための合理的な思考を持つジャイロは、遊びの天才であるゴンの対極にいる存在であるがゆえに、作中では「ゴンとジャイロが運よく出会うことがなかった」という宿敵のような描かれ方をしたということです。その意味ではヒソカゲンスルーなどの相手は「敵」ではない。ジャイロこそが唯一ゴンの宿敵になりうる素質を持っているキャラクターなのです。


 逆説的ですが、ジャイロがゴンの宿敵のような描かれ方をしたからこそ、共に遊ばない人物は「敵」となり、ひいては遊びを共有できることが「仲間である」という世界観を示すことができます。「遊ぶこと」「ゲームを楽しむこと」という指標がなにより重要なのです。善悪という概念より支配的なのがこの価値観です。そしてこの価値観を下地にしいて、他には一般的である「好き嫌い」「善悪」「利害」といった指標もあります。優先順位は低いですが。大事なのは、「遊べさえすれば仲間である」ということ。ゴンがゲンスルーを見逃し、ゴンたちがヒソカと協力関係となり、メルエムがコムギと分かち合えたのは、「ゲーム」を共有できたからこそなのです。



 さらには、ジンの台詞にあったように
 「アイツは勝とうと思ってない 負けようとも思っていない だから強いんだ」

 と、誰よりも遊びを楽しめるキャラクターは「強い」と、徹底して「遊び」を肯定するのがハンターハンターの世界観ということになります。これで一応の説明は終了しました。これらの解釈は全て泉信行さんの受けうりになります。個人的にここまで見通しがいい解釈は他にはないと思いますね。初めてこの解釈を聞いたときにすんなり納得できたのも大きいです。この解釈を基盤に考察しています。


本題

 
 ここまで説明してきたように、ハンターハンターの作中では「ゲームを楽しむ」というのが重要なテーマとなっており、その世界観ゆえに、キャラクターたちをは「どこまでゲームとして楽しむかというスタンス」、「どのようにゲームを楽しむかというスタンス」というモノサシによって分類することできます。そして、このモノサシによってパリストンとネテロは似た素質を示す、と説明するのがここからの文章です。


 すでに「ゲームを楽しむかどうか」という段階で「チードル」と「パリストンおよびネテロ」は区別されることになります。ジンに指摘されたようにチードルはハンター会長選挙を楽しんでいませんし、そもそもこの選挙を「ゲーム」と見なすことにさえ抵抗を持っています。一方のパリストンはハンター会長選挙をゲームのように楽しんでいる姿が見受けられます。



 そして、いよいよ本題となるパリストンとネテロについて。両者は、同じく善悪・利害より「楽しさ」を優先してしまう素質がありますが、パリストンはゲームを楽しむがそれを共有しようとしないソロプレイヤーであって、ネテロはゲームを楽しむがそれを共有できる相手がいないソロプレイヤーとの違いがあります。これからパリストンが行うであろう半獣人を利用した「遊び」は共有されることはないですし、そもそもパリストンは共有するつもりはないでしょう。それにパリストンと十二支ンとの衝突は利害ではなくて価値観によるものです。一方でネテロはこれまで仲間とゲームを楽しもうとしてきましたが、じつは彼の突出した能力によって共有できることは少なく、メルエムとの邂逅によってやっと存分に楽しめているとの描写がありました。 



 ただネテロが楽しさを優先するソロプレイヤーかどうかはいまいちはっきりしません。キメラアント編での自爆は「楽しいから」そうしたわけではないです。ただ善悪・利害の価値観を優先しなければいけなくなったために、ネテロは象徴的を意味を含めて死んでしまったといえるかもしれません。

 しかし、パリストンとネテロは「遊びを創作する」という点においては一致します。
 パリストンはハンター選挙にルール作成と、結局は曖昧になった半獣人たちを利用した計画。ネテロは具体的な例は思い付きませんが、しいてあげるなら娯楽性の高いハンター試験はネテロが深く携わっていました。で、ここでやっと結論になるのですが、そうして「遊びを創作するソロプレイヤー」というのがパリストンとネテロの共通点になるのです。ネテロの意思を引き継いでいるのは、要するに、「あらゆることを楽しむことができて、さらには遊びそのものを作りあげる」ことで、それがハンター会長の資格があるということではないでしょうか。



 補足として。この観点では当の発言をしたジンもまた二人と同じ分類になります。ジンといえば、伝説のゲーム「グリードアイランド」の創作者であり、たった一人で奔放に生きているキャラクターです。そのジンは二人と同じ立場だからこそ「今残ってる4人で前会長の意思を継いでいるのはパリストンだけだ」という発言ができたのだと推測しました。




 以上になります。ちなみにヒソカも遊びを共有しないソロプレイヤーでありますが、ヒソカは玩具で遊んでいるだけで、決して自らで遊びを創作しようとしません。そのために新しく登場したパリストンというキャラクターはこれまでにいなかったタイプとなり、物語の中でここまで重要な存在になってきたのだと解釈しています。以上です。



 追記。最近のハンターハンターを見ていると、この「遊びが優先される世界観」というのが変容しているような気がします。友情、愛などのテーマが遊びを超越しているような。ゴンが挫折したのは、カイトの死を受け止めたことで遊べなくなったからで、そのゴンが回復して「成長」している可能性もあります。あくまでこれは漠然とした印象ですが。もし今後にパリストンが提供する遊び・ゲームが、誰かの真摯な思いやりに打ち負かされる、なんて展開があったらその可能性は高くなると思いました。一応の参考までに。

 
 新作→ハンターハンター パリストンとネテロについての考察



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  あとがき。当然ながらこれが「正しい」というものではありません。あくまでこういった視点があるよ、といった一つの解釈にすぎません。そういえば、最近は漫画を読めない小学生が増えているって記事を読みましたが、最近のハンターハンターはまさに小学生にはキツイ内容かもしれません。理解できずに脱落した小学生はけっこういるんじゃないかな。今回は一応小学生にも伝わる記事にしようと頑張ってみたわけですが、これはほぼ伝わらないだろうなという気がしますね。というか普通に伝わるのかすら不安なのですが。なにせ普段はこういうことは書かないので。伝わってくれればいいなと願いながらあとがきを終えます。