単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

言葉を捨てて愛を歌う  米津玄師 「ViVi」


  「愛しているよ」のその一言で。
 

米津玄師「ViVi」 



 諦観というのは美しい感情。「ViVi」は「言葉では表現することができない」といった諦観に立脚しています。日常的な場面はおいといて、別れのときや、出会いのときなどの大切な場面においては、自分の気持ちを言葉で表現することができない、それが詩に通底しているテーマかと。
 
 
 「言葉にすると嘘くさくなって 形にするとあやふやになって 丁度のものはひとつもなくて 不甲斐ないや」という言葉にする難しさ、「あなたへと渡す手紙のためいろいろと思い出した どれだって美しいけれども一つも書くことなどないんだ」という文字に起こす難しさ、それでも「でもどうして、言葉にしたくなって 鉛みたいな嘘に変えてまで 行方のない鳥になってまで汚してしまうのか」 といった言葉にしたくなる気持ち。


 言葉にならないというもどかしさを噛みしめつつ、でも言葉にしたいというもどかしさにも掻きたてられて。どっちにしたってもどかしいから、なんとか言葉にしようとして試行錯誤をしつづけて、ようやく見つけたものはありきたりで陳腐で嘘が混じった言葉。それが悔しくて、悲しくて、どうしようもない。それでも表現したいという気持ちはあるし、表現できないという気持ちもあって、グルグルと葛藤がつづいていく。


 そういった葛藤が優しく綴られている曲だと解釈しました。
 そういう意味では誰にだって通じる普遍的なテーマかと。

 
 で、最も素晴らしいとおもったのが、このフレーズ「愛してるよ、ビビ」 「言いたいことは一つもないさ」

 サビで登場する「愛している」という言葉で、これだけ「言葉にはできない」と諦観して、さらに安易に言葉にすることを躊躇しているのに、そこで「愛している」という言葉が浮かんでくる。この「愛している」という言葉は、いたるところでチープに消費されてきた言葉だったり、便利な言葉ゆえにありふれていたりするのですが、その上であえて「愛しているよ」という言葉を持ってきた。この試みが素晴らしいと感じました。



 言葉と向き合って、葛藤を経たあとに、愛しているという言葉が出てくる。その言葉では本当の気持ちを表現することができないけど、愛しているという言葉に思いを託す。そう思うと、まるで祈りのような詞でもありますね。言葉の再評価ってほどではないんですが、愛しているという言葉はそもそもキレイな言葉であるはずです。


 
 まあ解釈は色々とあるとおもいますね。そこらへんのスケールの大きさも面白いですから、あくまで私にとってはこう響いたということです。わたしにはテーマこそは表現できないという諦観があるものの、そのことを表現しようとする強い意志を感じられる曲です。しかも、それは見事に成し遂げられているとおもいます。後半にとつぜんでてくる客観的な描写群が、さも「自分の気持ちでなければ表現できるのに」という悔しさを感じられるのもグッときます。
 

 個人的にグッときたのが、この曲を米津玄師(ハチ)さんが作っているところなんですよね。ニコニコ動画で絶大な人気を誇る彼が、天才とか器用とか絶賛されている彼が、「表現できない」ということをメインのテーマに据えている。そして、それをこうも見事に表現できているというのが、皮肉のようで栄誉のようでグっときました。表現できないということは、どうにか表現できる、と。

 
 サウンドに触れるならば、静謐なメロディーとレンジの広い豊かな音色が特徴的で、時折混じる不協和音のようなノイズが効いていて、そういったギミックがありつつ王道のポップさで聞かせてくれるのが魅力的。純粋に心地よいサウンドスケープで終わらせずに、歌詞の乗せ方にもこだわりがあって、あくまで歌を響かせるためのメロディーというのがまたいいですね。それとサウンドが本当にツボです。



 言葉を大事にしたくなる、言葉にできないことをそっと受けとめられる、そんな曲。