単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

Syrup16gの曲レビューその22「さくら」


 さくらが咲き乱れるこの季節は、人生においての岐路となる時期のせいか、ふと昔のことが思い出すことが多くて。その思い出は、ただ懐かしいだけで、別に楽しいものでもなく、むしろ辛いことのほうが多かったのですが、それでも懐かしくある。

 許せないことや、受け止めきれないこと、そして忘れたいこと。そんな好ましくない思い出でも、振り返ってみれば、これはこれで青春だったのかな、と穏やかに思い返すことができたり、できなかったりと。まばゆい季節に浮かれているだけのような気もしますが。特に、ほんのり染まったさくらの木々を眺めているときなんかは、つい感傷に浸ってしまいますからね。

 Syrup16g全曲レビューその22「さくら」。


 
出会いよりも、別れのほうが悲しくて。
未来への期待よりも、過去への後悔のほうが強くて。
「さくら」に漂っている物悲しげな雰囲気はそういった感情を増幅させるようで、
それでいて、別れという普遍的なテーマなのでこちらの感傷を誘うのもたやすく、
解散間近のバンドの曲という状況も踏まえてしまうと、
もう簡単に心を持っていかれますよね。
それにこういったドンピシャの季節ならなおさらのこと。
歌声から感じられる切迫感もまたグッときます。
私にとっては胸が締めつけられるって感覚がピッタシかな。


一切の希望を込めないあたりが彼ららしいんですが、
本当にテーマとしては普遍的なもので、
シンパシーを感じてすんなり聞けるんだけど、
悲しみに明けくれたように思える詩はすんなりとは歌うことができないはずで、
むしろ必死さすら感じられて。
だから、なんとなく季節に誘われて懐かしんでいるだけじゃなくて、
ようやく別れの「さよなら」だけは言えるようになった、と。
今だからこそ、歌われている曲のような印象です。
リアリティというか。生々しさというか。
あくまでそう聞こえてというだけなんですが。


「枯れてしまった桜の花
かき集めているんだろう」
そのときの思いと比べれば、あとからの思い出は枯れてしまった花のようなものでしかなく、
でもそれは不都合なことだけではなくて、
もう枯れてしまったからこそ、拾うことができるものもあって。
良くも悪くもそこにあるのは、どうしようもないものと、どうでもいいものだけ、と。
その諦観が、
ときに思い出を美化したり、肯定してくれることがあったり。
そりゃあ楽しい思い出が色あせるのはイヤですけど、そうでない思い出ならありがたいとも思えるので。
そのときに「さよなら」と言って別れるのは、そんな思い出そのものだけではなくて、
思い出を受け止められなかった過去の自分も、と解釈しています。



「奪い合うものもないなのに
言い争う意味はあるかい」
そうやって割りきれるのだって、後から。
大好きな曲なんですが、
いまだにさよならを言うことができない私には遠く聞こえますね。
まあ枯れるまでゆっくり待とうと思います。どうでもよくなるまで。
でも、時がたちゃ忘れていく問題でもないっていうことも。
「すべてを失くしてからは
ありがとうと思えた
これはこれで青春映画だったよ」
そう思えるようになればいいな、と。
自分に言い聞かすように、さくらを聞いていました。