単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

意識を変えるという方法論   いますぐ書け、の文章法/堀井憲一郎


 めちゃくちゃ参考になったので。

 文章法というタイトルのわりには、方法論は述べられていません。そのかわり、いかに文章を書くか、という心がけについて重点的に書かれていて、それが刺激的で読ませるものでした。さらに、文章を語る本にふさわしく、作者の文章そのものが敬体、常体ごっちゃまぜで読んでいて面白かったです。


いますぐ書け、の文章法 (ちくま新書)
いますぐ書け、の文章法 (ちくま新書)


 方法論はあまり述べられていないと書きましたが、文章においてはどういった意識で取り組むか、ということがひとつの方法なので、意識を変えることができれば文章がすらすら書けるようになる、というのは何らおかしいことではないです。うまい文章を書くとなると話は別になりますが、ただ書くだけなら意識改革だけで充分なので、そういう意味では「いますぐ書け、の文章法」というタイトルに偽りはありません。

 そしてなにより、この本を読んで、ブログを始めて以来ずっとわたしが引きずっていた「文章をどう書くか」という葛藤に、ようやく終止符を打つことができました。というわけで、気合を入れて書評を書くことにします。




 文章が書けないと悩んでいるひとに対して、「喋るように書け」とか「好きなように書け」とかいうアドバイスをしても、おそらくはなんの助力にもなりません。これは、文章が書けないという状況というのは、むしろ「書こう」という意識が高まるせいで、じっさいに書かれる文章にブレーキがかかってしまうのです。というのも、「書こう」という強い意識があると、その意識は頭で「書こうとしている」文章以外を認めなくなります。

 しかし、文章というのはおもったように書けるわけではありません。この本で強調されているように、文章を書くという行為は、ある種の「運動」であり、書き手が制御できるものではありません。あくまで身体を軸とした作業であるので、おもったように書けないのは当たり前なのです。それによって、「書けない」という状況が生まれてきてしまいます。


 だったら、そういった意識を取り除くためにどうすればいいのか、という方法論が書かれているのがこの本です。
 

 その結論は、
「読む人の立場で書け」
「読んでいる人のことをいつも考えて書け」
  というもの。これが基本中の基本であり、本文では執拗なほどに繰りかえされています。まずはこの主張で、さいごもこの主張でした。それくらいに重要というわけなのでしょう。

 
 このアドバイス、じつは「俺はいい文章が書きたいんだ!」という自己表現をしたいひとにも通じるものだと感じました。

 そもそも「いい文章」というのは結果であり、その手段としていい文章を書く、ということは原理的にできません。
「俺はいい文章を書きたい」というのは、俺というひとりの読む手の立場で書くということになります。それはあまり好ましくないことです。俺という読み手を想定しても、読み手としては距離が近すぎます。

 そんな相手を対象とするのではなくて、俺以外の読む人の立場で、俺以外の読む人のことを対象にするのが適している、ということがです。まあ当たり前のはなしなんですが、わたしには目から鱗でした。誰のために書くか、その意識によって文章は大きく影響されるのです。


 ここで勘違いしてはいけないのは、読む人のことを考えることは文章から自分という主格を消す、と同一ではないことです。

 Amazonレビューで例えるならば、客観的な事柄をザーッと書かれるよりも、主観的に書き手がガッと書いたほうが読み人に参考になる、ということは多々あります。むしろ、音楽、マンガなどのレビューでは、書き手がどういった趣味を持っているかなどの情報が重要になってきます。



 読む人のことを考えて書く、というのは実践的な方法論というわけです。


 本文では、自分を捨ててまで読む人のために書け、とあります。正直なところ、そこまで徹底することはむずかしいですが、その意識を持つだけも、文章を書くときに有効になると実感しています。

文章は文章そのものに運動性がある。


書き手が制御できるものではない。その「文章が暴走して手に負えない感じ」は、これは実際に体験するしかないのだ。そういう意味で「文章を 書くこと」は運動であり、「身体」である。頭脳ではなく、カラダ全体の動きなのだ。頭は司令塔ではあるが、それが制御しきれるわけではない。いくら私がこ こで言葉を尽くしてその感覚を説明しても、読んでるあなたが実体験できるわけではない。


だから、書くしかないのだ。


 それに、こうした本文にあるように、文章に備わっている運動性によって、どれだけ読者の立場に立ったとしてもどうせ自分の癖がでてしまいます。その癖は、個性というほど明らかではないですが、確かにその書き手ならでは一回性の動きがあるのです。ようやくそれを身をもって理解できたような気がします。


 この本を読んで学んだことは、文章というのが運動であることを実感して、読む人の立場で書くことが有効な方法論であると分かって、 文章を書くときに自己表現をしようとする有害な意識を取りのぞける。そうすれば、気軽にいますぐ文章を書けるようになる、というのはおおげさでもないってことでした。


 
 具体的なテクニックとしては、「漢字を減らせ」「改行を増やせ」というものがありまして、さっそく実行しています。本当にわたしにとってとても役に立つ本でした。本はもっとくだけているのに、まじめに書きすぎた……。