単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

鈴木教の果てにあるホラーな正しさ  「鈴木先生」武富健治


 「鈴木先生」を読み終えました。高校生のときに読んだ感想では「ちょっと面白い」だったのですが、今回の感想は「相当に面白い」でした。さらに十年後に読みかえすと、「最高に面白い」となる予感しています。



鈴木先生 (1) (ACTION COMICS)
鈴木先生 (1) (ACTION COMICS)

 
 ギャグマンガとか、教育マンガとか、色々な解釈をされているこの作品。
 わたしにとっては一言でいうと、「考える」ことの面白さが凝縮された作品だったかなと。マンガ?と首をかしげてしまいにそうになる圧倒的な文字量もその表れです。高校生のときは、それが分からずに作品の過剰な部分だけをギャグと受けとって読んでいました。それだけでも充分に楽しめたのですが、やっぱり頭を使って楽しんだ方が楽しめました。


 ぶっちゃけ相当に読み疲れるタイプのマンガですよね。
 ガンツの五倍以上(当人比)読む時間がかかりました。
 

 ただし、わたしは鈴木先生を読んでいながら「学んだ」ことがとても多くて、ようやく鈴木先生の教え子である中学生と肩を並べられるといった程度なので、いまだに味わい尽くしていない、という感覚もあります。とことん「考える」ことに重点が置かれた作品であり、同時に読者に「考えさせる」ことを強調している作品でもありますから、こっち側の姿勢が問われる側面があります。だからといって読みにくいことはなく、過激な描写と、綿密なストーリーで対話するという形式で「考える」ことになっているので、さくさくとはいかずともすんなりとは読めます。
  

 そして、一巻に一発以上は、とんでもない破壊力のギャグの地雷が埋まっています。
 しかも、話の構成上、その地雷にまでこっそりと誘導されてしまうので、気がつけば爆笑してしまったということが多々ありました。これがあってこそ、だと。あくまで娯楽とあろうとするスタンスというのは確かでしょう。



 作品は中学校を舞台にしていて、そこで様々な事件が起こり、問題解決に向けて鈴木先生が走りつづける。様々な問題といっても、たいていが人間関係に関する些細で深刻な問題であり、身体ではなく頭で決着を付ける、という展開が多いのも特徴です。

  
 で、この作品がとても面白かったのが、主人公である鈴木先生こそがもっとも恐ろしい存在であることです。
 一応は、鈴木先生は悩みもするし失敗もするしといったように、あくまで「賢いけれど一般的な教師」というそう特別ではない人間です。しかし、鈴木先生に敵対する人物はモンスターのように描かれていたり、なんといってもあらゆる場面で鈴木先生は正しさから遠ざかることがありませんし、要はチートなキャラクターなのです。(主人公であることを差し置いていても)
  

 わたしにとって鈴木先生のような存在は敵です。「○○すべき」であるといった信念を、自信をもって言葉にして、人に説得させられる人間は恐ろしいです。

 とくに記憶に残ったのが
 「人間は日頃から精神を鍛えておかないと、何か問題があったときに傷ついて、周りに迷惑をかけてしまう。それは罪だぞ(要約)」
 といったセリフです。実際に教え子を洗脳してますからね。鈴木教という揶揄が作中では登場しますし、意図されて鈴木先生はそうした存在に上げられているのでしょう。いやはや恐ろしいかぎりです。


 そういうこともあって、わたしはこのマンガを「鈴木先生をどう打ち破るか」という視点を持って読みすすめていました。しかし、最後まで鈴木先生は隙がない最強のキャラクターでした。このように勝手に鈴木先生という仮想敵を想定して、弱点を探すための攻略本として読んでも面白いです。そうすれば、いかに鈴木先生がどれほど正しい存在としていびつに描かれているかが分かります。


 なので、これまでのギャグマンガ、教育マンガというカテゴリーにくわえて、ホラーマンガであるともおもいます。さすがにホラーマンガというのは冗談なのですが、それくらいに鈴木先生は異質であり、それは惹きつけられる魅力でもあるということです。
 
 
 
  こういった主張は普段は否定しているのですが、読者の経験値に応じて作品の面白さを引き出せるようになる、といった側面が存在する作品だとおもいますね。読者のほうから歩みよってこそ面白さが増す、とった要素がすこし濃い作品かとおもいます。

 といいつつ、頭が空っぽだった高校生のときでも楽しめたので、あんがい関係ないのかもしれません。いやでも鈴木先生すげーというのが、わたしの結論としての感想でした。