単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

沈黙の価値


 黙っている、というのは立派な行為である。
 とくに僕のような頭が悪い人間には、何が正しいか、何が間違っているかの判断は難しいし、自分の経験から語るといってそんなたいした人生を送っていないから心もとないし、それになにかを言う必要がそもそもないことが多いから、確実に黙っていたほうがいいときがある。


 このいいっていうのは僕が下手なことを言うことが社会的な損失になるとかいうわけでなく、ただ僕にとっての価値でいいってことだ。

 ネットばかりやっていると返答の速さがそのまま価値になるかのような勘違いをしてしまうときがある。ニュースが流れてパパッと気の利いた反応をしたり、気が利いたことを言えなくても反応することで関心を持っているんだよとアピールしたり。僕はそういった考え方を否定するつもりはなくて、たぶん本当に価値になるケースだってあるだろうけど、反応することと同じくらいに黙っていることも大事じゃないか、と考える。
 
 例えば訃報が流れて解散のニュースが流れてすぐさまに飛びついて反応する。
 
 「残念」「悲しい」「口惜しい」「これからだったのに」 そういうときの反応にかぎってテンプレの言葉ばかり浮かぶ。そのとき一体どんな思考回路を経てその反応にたどり着いたのだろうか? その反応はただの反射としての言葉で本当は何も考えていないのではないだろうか? その反応は自分にとっての暫定的でもいいからちゃんとした答えであったのだろうか? そもそも素早くいい反応を下せることは本当にいいことだろうか?
  
 よく分からない。
 よく分からないなら反応なんかせずにそのまま黙っていたほうがいいんじゃないか? 黙っているのは怠慢じゃなくてちゃんとした行為じゃないのか? むしろ反応したくなることの方が人間の快楽であったり、自然の流れであったりすれば、むしろ黙っていることは我慢することになるんじゃないか? もしそうだったら。
 
 だったらあえて黙っておくというのは抵抗といえるかもしれない。そのままで保留しようというのは自分を大事にすることなんて言えるかもしれない。RTボタンでさえクリックするのをちょっとためらうくらいがたぶん丁度いい。困ったままで不安のままで黙っておいて、関心がない人間と思われたり、自信がない人間と決めつけられたりしても、それでも黙っておくことがマシになる場合というのは、たぶんこれからもっと増えていって、いつかあのとき黙っていて良かったと思えるときが来るにちがいない。少なくとも、沈黙によって失言は回避される。一回の失敗が致命的になる世界においては大切なことだ。
    
 沈黙の中、僕は言葉を探るが何も出てこずに困る。
 でも、困ってもいいのだ。
 知識や経験がここで何か上手く言わせてしまうより、黙っていた方がいい気がするのだ。このままこうして困っていた方がいいのだ。頑張って何かを考えて何かを言うよりもうちょっとマシなのだ。

 イキルキス/舞城王太郎

 しかしそう言いつつこうやってブログに書いている。「あなたはしょうもないからブログを書かない方がいい」と言われたが、それでもこうやってブログを続けている。沈黙は大事かもしれないけど、語りたがり屋の俺にとっては沈黙するのはなかなか難しいの。だからこそ。

 ※舞城王太郎のイキルキスが面白かったです。