単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

アドバイス症候群


 最近になって身を持って学んだアドバイスに関する記事です。
 「いますぐ書け、の文章法」から気に入った文章があったのでの引用。
 
 

 「悪口でも、こうすればよくなる、という提案がのっけてあれば”良い悪口”なので、大丈夫ではないか」と考える人がいる。
 
  これは実際にライター講座で質問された。人の悪口をうまく書くにはどうすればいいでしょうか、という質問で、だからおそろしく文章力が必要なので、少なくとも私には一生、うまく書くことができない、と答えたら、ほんとに「だったら最後に改善策をつけた悪口だといいんじゃないでしょうか」と言ってきたのだ。 そのときの私の答えは、「自分の書いたものを一方的に悪口を言う人はそういう人なのかとおもってスルーできるけれど、でも、そのあとにこう すればよくなる、という意見がついた悪口だったなら、烈火の如く怒りだし、書いた人をまず許さないとおもう」と答えました。

 改善策のついた悪口とは、つまり対等の立場で悪口を言っていたのが負担になり、相手より上位に立ってその立場を正当化しようというだけだから、悪口の内容よりも、そのポジションチェンジに怒ってしまうのである。改善策を示したいのなら、悪口をまったく切り離して言うべきであるし、感情的に変えて欲しいところがあるのなら、ただ感情的に変えて欲しい変えて欲しいと連呼してくれればいい。少なくとも怒らない。
 

 つまり「悪口も、読んでいる人の立場にリアルに立って書け」ということである。
 読む人の気持ちになって書く、というのが、実は大変だ、という話でもある。
 それは常に意識していないと難しい。


 「悪口でも、こうすればよくなる、という提案がのっけてあれば”良い悪口”なので、大丈夫ではないか」という考え方にはわりと色々なところで出くわすことがあって、その度におもわずげんなりしてしまいます。意識してやっているならこちらにも手の打ちようがあるのだけど、本人が善意といわんばかりの口調でアドバイスされると、どう対応していいか困ってしまうときがありますね。
 
 

 上の引用文に書いてあるように、改善策のついた悪口は色々と厄介な問題を含んでいて、その最たるものが「改善策を述べているから発言が正当化される」という勘違いです。
 いくら改善策を述べていたとしても、まず悪口が前提にあるときは、それは批判と呼ぶことはできずに中傷行為というものになります。もちろんそれは受け手によるのですが、多くのケースでその恐れは十分にあります。


 それに、そもそもアドバイスというのは、「こうしたらいい」といったように「それはちょっとダメだ」といった否定の要素がなくては成り立ちません。
 ほとんどのケースで相手のこれまでを否定することになります。そして、その否定はどんな有効な助言とセットになっても、否定したことについては正当化されません。なので、相手がアドバイスを望んでいない場合には、否定の部分だけがそのまま相手に突き刺さることになりますし、場合によっては見当違いな改善策がさらに相手を攻撃することになりかねません。というか、個人的な体験だと、アドバイスというお題目で中傷をされるのは、普通に中傷されるのよりも不愉快なことがあるほどです。


 
 つまりはなにが言いたいかというと、アドバイスというのは相当にデリケートなものなのです。
 そもそも、悪口に改善策が付いていれば、まとめて「アドバイス」と呼ぶあたりが乱暴ですよね。
 なので、赤の他人がいきなりアドバイスをしてきたとしても、自分のためのアドバイスだからという理由で受け入れなければいけないということはありません。むしろ、アドバイスだからこそ、そこには否定がこめられているからこそ無視したほうが好ましいというケースだってあるのです。 
 

 以前に「ブログやめたほうがいいんじゃないですか」ってアドバイスされたけどよく考えたらただの暴言。アドバイスは慎重に。