単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

空が灰色だから 二巻/「こわいものみたさ」のこわさの考察


 いちいちキュンとしたりゾッとしたりドキッとしたりグッときたり、とにかく心がざわついてしょーがない。「空が灰色だから」の二巻はあいかわずの破壊力がある作品でした。もうこのショートに虜。

空が灰色だから 2 (少年チャンピオン・コミックス)  


 前作に比べると、今作はさらにスケールが大きくなってバラエティ豊かになって、ページをめくる不安と興奮が倍増。これまでは少し過剰なものを抱えている少女たちが日常の範疇で上手くいったりいなかったりしていたのですが、さらに今作からはホラーと呼ぶのにふさわしい非日常や不条理までもが描かれるようになりました。

 そのホラーっぷりは、悪ふざけのようでもあり、シリアスのようでもあり、いまいち掴めない感触がある怖さがたまりません。前作に引きつづいて、不器用なキャラクターがかわいそうでかわいいのは健在で、そういった方面でも満足で、またこの作品の魅力である胸が痛くなる話も相当にキツくて、充実した二巻でした。


 で、本題へ。
 幅広い話のなかで、個人的に気になったのが第17話の「こわいものみたさ」。今作の新機軸となったホラーな話。このストーリーが、日常から非日常への綺麗に飛躍させて強烈なホラーを感じさせる名作のショートストーリーではないか、ということを語っていきます。


 このストーリーの主人公の前園は「私、極度のこわがりにして、極度のこわいもの見たがりなの」との発言にあるように、こわがりなのにこわいものに触れてしまうといった性格の持ち主です。

 あえて性格と書いたのですが、これは後半に進むにつれて性格とは呼べなくなるほどの異常な行動を引き起こすようになります。それは、彼女が廃墟の中にあったたくさんの札が張られたドアを見つけて、友人に「やめて!」と言われても「ごめん」と謝るだけで執拗に札を剥がそうとする行動とか。あきらかに「異常」なものです。


 で、彼女のこの一連の行動って異常に見えるんですが、じつは強迫性障害のソレと酷似しているんですよね。強迫性障害を簡単に説明すると、いかんしたがい不安を抱えてしまって、その不安を払拭するための行動がやめられない、というものです。彼女の場合は、こわいものへの不安が強迫概念として頭にこびりついていて、その不安を払拭するためにこわいものを見るという強迫行為をとっています。肝心なのが、その強迫概念が理不尽であることと、それに伴う強迫行為が理不尽であることを、本人が理解してるのに「やめられない」ということです。 
 「ずっと心にこわいものが残っちゃってどんどん不安になって膨れ上がって、実生活がままらないくらい正体のわからないそれが私を支配してしまうからダメなの」  
 この発言もまさにそうで。
 彼女は、自分がこわいものに執着している姿が他人からみたらおかしいと理解している。それでもこわいものに触れようとする姿が、まったくもって不合理なのでまるでホラーのような様相になっています。でも、その心の働きはそれほどおかしいものではありません。というかちゃんと理にかなっているのです。

 
 で、この話のなにが面白いかっていうと、こうしたちょっとだけおかしな人間のほうがあきらかにおかしい怪奇よりもこわい!というように描き切っていること。で、この話のなにがスゴイかっていうと、しかもその異常と見なされる彼女の行為は確かな精神過程を経ているということ。これらによって「こわさ」が成り立っているのかなと。

 「気になって仕方ない」 
 これだけだと何の問題もない気持ちなのですが、本当の意味で気になって仕方なくなった人間は彼女のようになってしまうと、ほんわかした日常から一気にホラーへ急降下する手法もまたお見事だと感じました。そのホラーが表出する流れも、上記のように整合性があって巧いんですよね。そんでもって、ラストで彼女の友人が「気になって仕方ない」と思ってしまうシーンで、誰にでもあんな風になってしまうと示唆されるところでノックアウトです。それをショートでやってのけるってのがもうね。さらにいえば「とれちゃった」ってセリフのセンスも半端ないです。

   
 誰にでもあり得そうで、誰にでもはあり得ない。ちょっとした個体差で、ちょっとした環境差で、うまくいかなくなってしまう。その「うまくいかない」をホラーのレベルにまで引き上げたのナイスだとおもいました。おかげで「どうなるの?」といったドキドキ感が増しますからね。まあそうなるためにも、しっかりした人間描写があることが重要で、その点でも信頼できる作者なんです。



 それにしてもこの作者、以前にも精神疾患級の不器用なキャラクター(大好きが虫はタダシくんの)を描いたときに、病名を掲げる多くの方々に共感されていましたが、本人は「実在する障害や病気を参考やモチーフにしてません」とつぶやいていました。それなのに、今回のつじつまが合う精神過程を描ききっていることや、残念で切実な人間模様の巧さからして、灰色の人間に対する理解が本当にしっかりしていると感じました。


 これからもドンドン心をざわつかせてほしい。