単行のカナリア

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ゲームの視点で考察するハンターハンターの世界観


 ゲームの視点で考察するハンターハンターの世界観について。
 または、冨樫義博がどれだけゲームが好きであるかについて。


 今年もハンターハンターに関しては色々と試行錯誤しながら書いていくつもりです。今回はいつもと趣旨を変えて、堅めの文章で書いています。最新刊までの内容なので一応ネタバレ注意。

 冨樫義博が大のゲーム好きであることは有名な話である。HUNTER×HUNTERの作品に通底するのはゲームの発想だ。

ここで”ゲーム”と言っているのは代表的には勿論コンピュータ・ゲームですが、グリード・アイランド編で全面展開されているようなカードゲームから何から、作者が筋金入りのゲーム好きで、子供の頃からカードゲームを自作したり今でも暇があると理想のゲーム・システムの構想を当てもなく考えたりしているということが単行本の随所で語られています。
(中略)

例えばハンター試験のルールにこめられた様々な3すくみ的なジレンマ設定、クラピカのジャッジメントチェーンに代表される念能力の”縛り”と”効力”の関係、勿論随所に散りばめられたミニ・ゲームっぽいシーンなど、『ハンター×ハンター』の”ゲーム漫画”性を示す要素はあちこちに探せます。
「念」と”ゲーム” ~『ハンター×ハンター』の「念」理論(1) 

 リンク先にあるように、HUNTER×HUNTERの核となる念能力にはゲームのな発想が見受けられる。具体的にゴンはジャンケンゲームの発想を取り入れており、他にはヂートゥの鬼ごっこ、オロソ兄弟のダーツゲームなどのそのままゲームのような念能力もある。さらに念能力の最たる特徴の制約と誓約は、条件が厳しいほど対価が大きい(リスク&リターン)点で、麻雀やポーカーのようなゲーム性を備えている。念能力そのものにゲーム性があるからこそ、念能力はゲームのような能力と相性がいいのだろう。

 ちなみに、この記事での「ゲーム」は、「特定のルール、法則が備わった娯楽の一種」くらいの意味なので、遊戯と言い換えても特に差し支えはない。

 
 それだけではなく、作者のゲームへのこだわりはハンター試験から作品に強く反映されていて、天空闘技場編、ヨークシン編にもそれぞれにゲーム的な要素は散りばめられており、グリードアイランド編ではキャラクターたちがそのままゲームをプレイすることになった。
 

 ゲームについて注目すべきエピソードを遡ってみたい。
 
 ゲーム性が高かったハンター試験は、プレイヤーとしての適性を確認している試練という意味があった。それはハンターの素質としてもっとも重要視される印象値という言葉で表現されている。当然ながら最低限の能力は必要であるが、それ以外で重要視されていたのは、独自のルール、設定のなかでどれだけのプレイができるかについてだった。要は、ハンター試験で試されるプレイヤーとしての適性は、そのまま念能力の素質としても必要であるというわけだ。


 それから、ゲームではなくプレイヤーに注目すれば、ゲームそのものであったグリードアイランド編は、ゲームを通じることで飛躍的にプレイヤーが成長できることを示すエピソードだった。そもそもグリードアイランドはジンがゴンを成長させるために制作したゲームという話がある。まさしく、ゴンはゲームを通じて楽しみながら成長することができた。



 しかし、キメラアント編はどうだろうか。人類にとって脅威となる外来種を駆逐するためのハンターたちの戦いは、そこにゲーム性を見出せるとしてもその状況はゲームと呼べるものではなかった。これがゲームではなかったことは、これまであらゆる試練をゲームのように楽しんでいたゴンが、キメラアント討伐においては楽しめていなかったのもその証拠だろう。

 ところが、ゲーム的な要素はキメラアント編も登場している。それは、キメラアント編の王と一人のか弱い少女を結び付けることになったキッカケの、軍議というゲームである。
 メルエムとコムギは軍議を通じることで、種というハードルを越えて良好な関係性を築きあげた。二人は最後まで軍議を通じてコミュニケーションを取っていた。このエピソードは、一緒にゲームが出来るならば種族というハードルを超えて仲良くなることができる、といった形でゲームの可能性が描かれていた。



 これまでの話をまとめると、ハンター試験は念能力を有するプレイヤーとしての素質を試した。そして、キメラアント編では交流ツールとして、グリードアイランド編では成長ツールとしてのゲームの可能性を描いた、というわけだ。


 そして、31巻、32巻に収録されているアルカ編、ハンター選挙編では新しいゲームを展開している。これまでの主な要素であったバトルをほとんど封印することで、今度は駆け引きや探り合いなどの頭脳戦に主眼を置いて、ルールの形式や設定が重要になってくるゲームを構築した。

 ゲームの種類が変わったのに従い、新しいプレイヤーが登場してきた。それがパリストンとアルカである。
 パリストンは、策略、私情、権力が交錯したハンター選挙編において、人並み外れた知略とゲームプレイヤーに相応しい態度をもってして圧倒的な振る舞いを見せてくれた。一方で、アルカは念能力を極限まで複雑化したような能力を持っており、彼女の存在はゲームバランスを引っくり返すほどの能力を秘めていることが判明した。それぞれ、パリストンはゲーム内のプレイヤーとしての脅威、アルカはゲーム自体の脅威として共通している。

 

 これまで書いてきたように、見方によってはHUNTER×HUNTERはゲームの要素に溢れている漫画であると言えそうだ。そして、そのゲームへの眼差しは期待と希望に満ち溢れているのは間違いない。、キメラアント編とグリードアイランド編は一見まったく別物のように見受けられるが、どちらも冨樫義博のゲームへの愛情が伝わってくるエピソードだと解釈した。
 
 「道中楽しみたい それだけさ」というジンの台詞がすべてを物語っているのだろう。
 
 

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