1月18日に開催される、SPEEDSTAR RECORDSのイベントにて、THE BACK HORNはインディーズ1stアルバム「何処へ行く」の全収録曲を演奏するという。私は運がよこのイベントにく参加することができて丁度いい機会なので、しばらくは「何処へ行く」の全曲レビューを中心にやっていこうと思います。といっても残り数日。
今回レビューするのは、THE BACK HORNが結成当初のバンド名でもあった「魚雷」。
黒い奴も 白い奴らも
THE BACK HORN史上最高にイカレているナンバー。
ここには愛もなければ神もいない。擦り切れた魂と、這いつくばる体。さながらイカレた魚雷のように暴発していくのみ。黒い奴も、白い奴らも、黄色い奴らも燃きつくしたい。誰もがみな生きながらえて腐って死ね。
歌詞のイカレっぷりもさることながら、呪いを込めるかごとく喉を絞って歌われるのもイカレていて。 さらには、衝動に憎悪を混ぜ込んで爆発していくバンドアンサンブルもイカレています。その破壊力はまさしく「魚雷」。禍々しい楽曲が多い初期のなかでも、一際目立ってぶっ飛んでいる曲です。
私にとって「魚雷」の最大の魅力は、憎悪。
この世の何も信じられなくなって、身も心もがボロキレのようになって沈んでしまいそうなときに、どうすればいいんだろう、といったときの最終兵器が憎悪なのです。自分に対してもでもいいし、他人に対してでもいい。いずれにせよ、憎悪は歯を食いしばらせて脚を進めさせてくれる最高の燃料になりうるものだというわけです。
くそったれな命だって憎悪を燃料にしてまた燃え上がる。しみったれた魂も憎悪に照らされて輝きを取り戻しす。絶望の淵に立たされた時に、温かい言葉や人の優しさも効果的でしょうが、そんなものより手っとりばやく前を向かせてくれるのは憎悪の感情だと思うのです。一番の復讐は幸福になることだという言葉があるけど、そんなことより爆弾で吹きとばして燃やしつくした方がいい。そのときは自分が魚雷のようになってもいいと。
という風に解釈してしまうと身も蓋もありませんが、これがどん底の精神状態にはすんなり馴染んで、ときには勇気付けられます。人ごみにのなかにいるときに聞いているとなんともいえない痛快な気分になれます。あえて比喩として「魚雷」を選択したのがまた気に入っていて、憎悪さえ込めれば誰しもが兵器に成りうると、人間の可能性をテーマにした一種の人間賛歌でもあるかもしれません。
まあとにかく、若さならではの遠慮ないイカレっぷりがホント最高。
また沈んでく本当は
私の趣味でしつこいくらいに憎悪の魅力を書きましたが、本来は「魚雷」はむしろ憎悪に頼らざるえないほど追い込まれているといった感情のほうが強く伝わってくるんですよね。自分を奮い立たせるために滑稽なやつらを覗き見て憎悪を貯め込む。そうでもしないと耐えきれないほどに苦しんでいる。どちからといえば、そう感じます。
そういう点では、イカレているのはただの結果であって、イカレざるえないほどにのた打ち回っている過程の切なさこそが、何よりの「魚雷」の魅力だと感じました。
なにせ、「俺は一体なんなんだい 俺はイカレた魚雷」というフレーズが、まったくもって冗談のように思えませんから。実際にイカレているのはそうなってしまうほどの現実のほうかもしれません。
あと、憎悪は強力なエネルギー源になると私は思っているのですが、取扱いが非常に難しくて下手すると引火して死なばもろともになるようなので、やっぱり最終手段のような気がします。イカレた魚雷は誤爆するか自爆するのがオチですから。瞬発的な起爆剤ってくらいで。だからこそ、強力なんですが。
もしTHE BACK HORNが「魚雷」というバンド名のままで活動していたら、一体どんなバンドになっていたのでしょうね。それにしても、生を呪うイカれた魚雷が、生を祝福するTHE BACK HORNになっていったのは、面白い過程だとつくづくおもいます。武道館でほぼ「リヴスコール」全曲ライブの後なので、どのように「何処へ行く」が響いてくるか、待ち遠しいです。くそったれな命を燃え上がらせてきます。
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歌詞
暮れる街の影 俺は潜む