センチメンタル全開。「魚雷」に続いてのレビューは「何処へ行く」からの「晩秋」
照れくさいくらいの青さと、曲いっぱいに溢れている哀愁。 感傷まみれになることを恥じらうことなく真っ直ぐにセンチメンタルを表現し切った一曲。
空を見上げて自分の悩みの小ささを知る、というのはちょっと青くさいと思ってしまうのですが、そういう体験は確かにあります。無我夢中とか自画自賛とかはもっと照れ臭いけれども、本当にやってみれば案外悪いものでもありません。
ただのロマンチストになりかねないきざな言葉でも、THE BACK HORNはまったく飾ることなく全力で曲にしているもんだから、つい斜に構えてしまう私でも素直に受けとれるんですよね。純粋。
「晩秋」は荒削りながらもしっかりとドラマチックな展開があるのと、夕日に向かって叫んでいるイメージが思い浮かぶように、伸び伸びと歌い上げている感じがセンチメンタルな気分を誘ってくれますね。
それだけでなくて、バンドサウンドの表現力も中々のもので、荒削りのダイナミックさを活かしてざわつく気持ちをうまく表現していると感じます。ただ真っ直ぐなだけではなくて、それなりの表現力があってこそのセンチメンタルかと。
凶暴な「ピンクソーダ」や「魚雷」と同じアルバムに、哀愁の「晩秋」があるのがまたよくって。
そりゃあ世界を爆弾で吹きとばしたくなる日や、くそったれな自分がイカレた魚雷のように思えてしまう日もあるんですよ。でも、たまには空を見上げてセンチメンタルな気分になってなんかもうどうでもよくなる日だって、揺れているコスモスに切なさを感じていてもたってもいられなくなるときもあるわけですよ。
酸いも甘いも噛み分けるという言葉がありますが、そんな器用なことがまだできなかったとしても、甘く辛いチョコレートを食べるように、この不思議な世界を突っ走っていけばいいと。「晩秋」を聞いていると、素直に感傷に浸るのもいいものだよ、という声が聞こえてくるような気がしますね。
取り乱して空しくなって、その繰り返しに疲れ果てて。そんなときに空を見上げたらどうしようもないくらいに綺麗で。
自分が変わらなくても、季節は変わっていくなかで、ひとつくらいはいいと感じる景色と出会ってセンチメンタルな気分になるのは珍しい話でもないのですけど、いつからかその感傷がむずがゆくて照れくさくなってしまうようになりました。それでも、その感情を大切にするってのは何も悪いものでもないなーと思えてきますね。それが一時の幻想のような気分だとしても。
正直なことをいえば、今では空を見上げて気持ちが晴れることはないんですけど、そういった感性がなくなってしまったわけではないし、まさに「晩秋の美しい空」のようなこの曲を聞けばセンチメンタルな気持ちになりますね。
ひたすらに真っ直ぐなものはもうそれだけで心を掴まれるような気持ちになります。THE BACK HORNはそういった曲が多いですが、特に「晩秋」は全身全霊でセンチメンタルをやっているのでお気に入りです。
なんというか、この曲を聞いているとほんと心がいてもたってもいられなくなりますね。心がむずがゆくなります。不思議な曲です。「魚雷」と方向性は違えど、「晩秋」にも似たような破壊力あります。なんてセンチメンタルだ。
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歌詞
乱れた後の空しさ