単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

THE BACK HORN「バトルイマ」についての雑感


 THE BACK HORNの「バトルイマ」についての雑感。
  
 この曲は清々しいくらいにストレートな曲なので特に語ることはないと思ってましたが、しばらくたって気付いたことがあったりと、語りたいことが増えてきたので箇条書きでまとめておきます。


 ・最初に聞いたときは、昨年の学園祭ライブでの山田将司さんのMCを思い出した。
 「スマートなんとかったあるじゃん? なんか流行っているみたいだけどさ、そんなこといってもスマートに生きられないって。夢に向かって進むときにスマートさなんて役に立たないし。泥まみれで血反吐吐いてでもいいんだから、絶対にくじけないでほしい。生き延びてまた会おう」というもの。


 ・このMCだけでなくて、最近の山田将司さんのライブMCでの熱いメッセージが凝縮されているような曲だったので、とくに意外でもなくて納得した。


 ・「バトルイマ」は「世界中に花束を」から引き継がれた合唱がさらに強化されたことに、バンドがファンとのコミュニケーションを重視する姿勢を感じられる。

 ・この姿勢はB面集のリリースやファン投票のマニアックヘブンにも通じるもので、「バトルイマ」は15周年の今だからこそやる価値を感じられる。タイムリー感。今やるべき曲って感じがあります。

 ・上記のタイムリー感は、THE BACK HORNのインタビューで最近よく聞く「時代をパッケージしたい」という信念にも通じるものなので、あらためてこのタイミングでリリースした必然性を強く感じる。


 ・「バトルイマ」はメンバー全員が作曲して持ち寄った楽曲の中からコンペ形式で選択したエピソードが面白かった。 民主的なバンドに。


 ・「音楽と人」のインタビューで山田将司は「三年の俺だったら絶対に好きじゃない曲」と言ってたのが頭に残っています。

 
 ・2010年代のJ-POPのテンポが「高速化」してるらしい状況も踏まえて、今回は従来のTHE BACK HORNの系譜から異色のミドルテンポで勝負したのも面白い。


 ・雑に括りますが、「無限の荒野」から「戦う君よ」そして「バトルイマ」に至るまでの応援歌の流れで、その応援する対象が「俺」から「君」そして「皆」へと変化しているように感じた。

 ・ 応援する対象が「皆」というのは、「バトルイマ」はバンドが視聴者へ一方的に応援する図式がなくて、「バトルイマ」ではコーラスパートで視聴者に声を出させるように、それぞれ皆(バンドを含めた視聴者)が応援する主体であり応援される客体である図式になっていて、それが要は「皆」への応援歌ということ。

 ・応援というか、鼓舞という言葉の方が分かりやすいですね。自分を応援するってあんまり言わないし。


 ・バトルイマは、ミドルテンポならではの一癖あるボーカルや相変わらずのベースラインなどのマニアックさはあるけど、全体としては極めて明快でストレートな楽曲に仕上がっているので、楽曲で伝えたいことは素直に訴えかけられていると思う。バランスがいい。

  
 ・「生きよう生きよう意気揚々とさ」の歌詞は気に入っています。

 ・あまり派手さはないけれどバンドの連携がよく取れていて細かいこだわりもあるので聞き応えがあります。ささやかな四つ打ち。でも、重心が低い曲なのであまり踊れる感じはしません。踊るよりも声を出そうと。


 ・リリースを発表したときからライブで「カウントダウン」をセットリストに組み込むようになって、PVでカウントダウン(アップ?)しているのはあえて対比させている?

 ・活力に溢れる「バトルイマ」と不健康が過ぎる「カウントダウン」を聞き比べると、まるで同じバンドの曲とは思えないほどの振れ幅があっていろいろと感慨深い。バンドの歴史を感じられる。

 ・なにせ「カウントダウン」は「鈍りきった感情 腐りきった感情 クスリで膨れた体」、「勃たずに果てていく」、「充血してる目玉 急降下する意識 はちきれそうな頭 なあなあで寄り添う平和」って歌詞なので。それが「バトルイマ」では、「牙を剥け」、「もっと大きく夢を描いてゆけ」、「くたばりはできねぇ お前を待たせたまま」ですからね。

 
 ・この前初めてライブで聞きましたが、コーラスがなかなか難しいっていう。ミドルテンポなので「イマ!」が「インマ!」と間延びになってしまったり、「ウォウォウォーオーオー」も思ったより発音するのが難しいっていう。でも、そのマニアックさを含めてライブでは熱く盛り上がっていたのは中々のものでした。


 私からは以上です。