単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

五十嵐隆が吠える

  
 syrup16gの「coup d'Etat」では、五十嵐隆がよく吠えています。シャウトでもなく雄叫びでもなく吠える、って表現にしているのは、あの大きな声は吠えるという表現がしっくりきたからです。僕は五十嵐隆のシャウトでもなく雄叫びでもない「オイッ!」とか「イェイ!」ってのがとてもすきで、部屋にひとりでいるときや道を歩いていて誰もいないときに僕もいっしょに吠えています。ひとたび真似て吠えてみれば、血が騒ぐような、頭が冴えるような、なにかしらが高まっていくような気持ちになるのです。
 
 五十嵐隆は音源でもライブでもよく吠えるボーカリストで、特に「coup d'Etat」においてはイェイェイ吠えまくっています。いったい五十嵐隆はなんのために吠えているのか。僕も彼をマネして吠えているとうすらぼんやり分かるような気がします。おそらくは、感情の高ぶりによって吠える、自分を鼓舞するために吠える、または相手を威嚇するために吠えている、そういった理由なのかと思うのです。

 「coup d'Etat」に通底する張りつめる緊張感や剥きだきだしの攻撃性、僕はこれらがこのアルバムに惹かれるところなのですが、それは五十嵐隆が吠えることで完成されているかもしれません。どうなのでしょう。全体からすれば五十嵐隆が吠えているは誤差みたいなものです。歌詞外、サウンド外で曲の要素としてそう重要ではないのかもしれませんし、ひとによっては脳が自動的にノイズと処理して聞こえていないなんてこともあるでしょう。とりあてて注目するほどの要素ではないかもしれません。しかし、僕はやはり五十嵐隆が吠えていることがなにか大切であるような気がするのです。

 ただ、ここでは吠えるという表現をしてきましたが、じっさいには「イェイ!」と大きな声をだしているだけでそれを無理やり吠えると表現しているに過ぎません。世には弱い奴ほどよく吠えるなど、負け犬の遠吠えなどの定型句がありますが、さらにそこにつなげてなにかしら意味付けるのは過ぎた言葉遊びになるのでしょう。しかし、そういった過度な言葉遊びをすることがあるのも五十嵐隆の魅力だとおもいます。


  

  例えばこの動画の3分38秒、五十嵐隆が吠えています。これ、これがすばらしいんですよ。
 あと、五十嵐隆が吠えるとだけ書きましたが、Dr.中畑大樹もよく吠えています。これもまたかっこいいんですが、それを取りあげると収拾が付かないのでやめました。
 
 

 五十嵐隆に関して、僕は継続できなくてもいいが何度も再開してほしい、とおもいます。
 継続することはもちろんすばらしいのですが、再開することも同じくらいすばらしいことだとおもうのです。五十嵐隆は数年ぶりに活動を再開して、見事な生還を成しとげたと聞きました。しかし、それっきりまた活動は停止しているようです。

 僕は継続するということがとても苦手です。それゆえ、その後に再開することに集中することで適応しています。実際に、このブログはテキトーに更新を停止をしたり再開したりしながら、数年も生きつづけています。途中で止めてしまったり一度は終わったて区切りをつけたのにもかかわらずまた始める、良くいえば勇気で悪くいえば無責任さになるでしょうが、それはとてもすばらしいもんだとおもいます。再開するのはかっこ悪くて、むしろその逆。だから、突然解散したことによって批判があった犬が吠えるも、完全に解散してしまったsyrup16gもまた再開してイェイェイと吠えてほしいなーとか思って過ごしています。「真空」みたいにイェイイェイと声を出してほしいです。