単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

syrup16gの「生きているよりマシさ」を聞いた


 「生きているよりマシさ」を聞いた。syrup16gの新曲はやっぱり良かったから嬉しかった。

 この曲を聞いたときに嬉しいって感情のほうが先に出てきて、好き嫌いとか良い悪いの感情が後出しになっているあたり、俺はもうsyrup16gを色眼鏡なしで見ることはないんだろうと思った。俺の色眼鏡から見たsyrup16gの「生きているよりマシさ」は最高ってわけではないけど期待していた良曲だと思っていて、多分あともうちょっと聞いていたら最高になるだろうなとも思っていて、この曲が8曲目になるニューアルバムへの期待感がさらに増している。
 
 俺の色眼鏡はおかしいので多分間違っているけど、すんげえ楽しそう。軽快なシャッフルビートに合わせて軽く歪んだギターを鳴らしているバンドサウンドが楽しそう。体を動かしたくなるし下手すりゃ拳すら挙げられそうである。五十嵐隆がどこかのインタビューで「このアルバムの歌詞は暗いけれど、syrup16gの3人でスタジオに入ってバンドで音を鳴らすことが楽しかった」と語っていたことを思いだした。それもあってか、「生きているよりマシさ」というダウナー全開のタイトルで生真面目なくらいに赤裸々な歌詞であるけど、悲壮感は感じられずにむしろ快活さすら感じられる。この感じ、大変いい。
 
 悲哀や絶望を言い切ることはせずに、限りなく黒に近いグレーゾーンのギリギリを攻めていくのがsyrup16gの特徴の一つだと思っていて、それをこの曲でも健在。「生きているよりマシさ」と題名は分かりやすい暗さで、歌詞も「一人きりでいるのが長過ぎて 急に話しかけられると声でないよね 」とか、「周りを見渡せば人影はなく 憐れみが入り混じった笑顔とともに」とか、低値安定の生活が容易にイメージできる感じの独白がつづくけれど、けっしてそれだけではない。「君といられたのが嬉しい」、「間違いだったけど嬉しい」と嬉しかったみたいな過去形でなくて、なんか喜びも噛みしめていたりしている。

 「嬉しい」なんて言葉はタイトルからしたら違和感を覚える言葉ではあるけれど、「生きているよりマシさ」は「死にたい」でも「死んだほうがいい」でもなくて、「生きているより死んだほうがマシ」ってくらいのものでしかない。あくまで言葉のスケールどおりのダウナーさになっている。といっても、それだけでも相当に強烈なもので俺の共感の餌になるすばらしい言葉たち。詩は暗すぎに暗くてサウンドは明すぎに明るくてメロディーはわりとフラットな感じ。このバランス感覚はsyurp16gだと感じた。これが魅力だと思っているし、それが健在しているから最高だ。空調を切った静かな暗い部屋でも聞けるし、陽が眩しい外でも聞けそうな感じがする。この曲をリード曲として持ってきていいんじゃないか、と思った。

 でまあ、「生きているよりマシさ」のストレートさにはおどろいた。ストレートすぎて日記というか自分語りとかの類になってしまいそうなほどで。それは五十嵐隆がバンドを辞めてからのほうが精神状態が悪化して言葉遊びする余裕がなくなったからしれない。そして、そういうのが好きな俺には「生きているよりマシさ」はまったくすばらしい。歌詞がストレートといってもダサいわけではないし、「もう君と話すには俺はしょぼ過ぎて」とかおお!ってなる部分もけっこうあるし、大抵は共感してしまってすでに脳に保存して持ち運ぼうとしているくらい。特に赤裸々であることが誠実であるとかそんなバンドではなかったからこそ、というのはでかい。それにストレートになってもなんだかんだで「嬉しい」とか歌ってバランスを取っているのが大変いい。「死んだほうがマシさ」と人生のほとんどで思いつづけてもそれだけってのは嘘になるだろうし、だからってあえてたまにはそうでないこともあるとか付けくわえるのは品がないから、「嬉しい」って言葉と軽快なバンドサウンドでバランスを取る。聞けば聞くほどこのサウンドにこの歌詞ってのは絶妙だと思った。いいちこをポカリで割るようなものかもしれない。メンタルがアレな俺はsyrup16gの曲に薬効も期待していてこの曲はよく効きそうだ。

 まとめると、嬉しかったし良い曲だと思った。ただ色眼鏡を外して評価をすればどうなるんだろうと考えたとき、聞けば聞くほど訳がわからなくなってきたのでもう諦めた。そもそも色眼鏡を外す必要ななんてないし、俺は「生きているよりマシさ」がすばらしいと思う。さらにいえば、これがsyrup16gの数年ぶりの新曲、数年ぶりのアルバムのリード曲としてはもっとすばらしいと思った。待った甲斐あったし、めっちゃ嬉しい。