単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

2014/09/02

 
 日記を書くことにした。いつまで続くかは分からないけど、というか、下手すればこの一日だけで終わるような気がするけど、とりあえず始めてみた。何か始めるときは何も考えないのがコツだ。ちなみに私が何か新しいことを始めるときは大抵が誰かの影響を受けている。そして、それは大抵が長くは続くことはなくて、すぐに他の影響を受けて変化していくことになる。この飽きっぽい自分の気質をあるときは呪ったこともあるが(ありとあらゆることが長続きしないから)、いまでは受け入れることができている。飽きっぽいけれど、たまに飽きないこともあるし、そういうのを見つけると嬉しいのだ。

 最近はずっと飲み過ぎている。今も酩酊状態でブログを書いている。というか、最近はもっぱらそういうときにしかツイッターもブログもやっていないような気がする。酔っているときは強固な安全装置が機能しなくなるから、下手なことを言わないか心配だけど、私の人生に言ってタブーになるような面白い出来事はあまりない。少しはあるが、それも他人の話だ。だからまあ問題はないのだ。話は変わるが。酔っているときには発信欲求が増すのが不思議だ。本当はいつでも発信したいのに何かしらのブレーキがかかっているんだろうか。よく分からない。ただ酔っているときに何か書くことはそう悪くないと思っている。なにより楽しい。

 Syrup16gの「Hurt」は木曜日に届いていた。でも、その感想を書くことはできなかった。正直いってビビってしまった。このブログはおそらくだけどSyrup16gを目当てにしているアクセスがそれなりにある。具体的にいえば100くらい。そういったアクセスに対して6年ぶりにリリースされた待望のニューアルバムの感想を書くことにビビってしまった。いい感じの感想とかレビューとかが期待されているわけではないのは承知しているけど、それでもなんか気が進まなかったし何を書いても的外れそうとおもってビビっていてた。自意識過剰で恥ずかしいばかりだ。「Hurt」を初めてきいたときの感想はすっかり忘れてしまったが(それくらい聞きつづけている)、いまではすっかり気に入ってしまったアルバムである。そもそも私にとってSyrup16gのアルバムは時期と環境によって評価が変動していくもので、今現段階で「Hurt」はわりと一番好きなアルバムと言っても差し支えない。Syrup16gには思い入れが強いだけに、どんなアルバムだろうと絶賛してしまうんじゃないかと思っていたが、そんなこともなくて面倒くさい留保なしでいいアルバムじゃないかと思っている。それがけっこう嬉しかった。

 そもそも私は好きとか嫌いとかの意識的な評価をあまり信用してはいない。それらはそう宣言することによって生じる利害のフィードバックを避けられないと思っているからだ。だからどれだけ繰りかえして聞いたか、それがシンプルで分かりやすい指標になるんじゃないかと思っていて、その点でSryup16gの「Hurt」はまだ飽きる気配が全くないほどずっとリピートしている。だから、私は気に入っているのだろう。つーか、恥かしいけどここでしか書かないけど、新譜を聞きながら何度か泣いていてしまっている。おそらくは嬉しさだろう。この6年間で私の人生には色々なことが起きた。その出来事にいまだに納得していないし、その出来事で生じた問題はいまだに解決していない。感情移入、思い入れ、そういうのが私のなかのSyrup16gに注がれているのだ。Syrup16gサウンドとメロディーと歌詞がその受け皿として機能してしまったのは良いのか悪いのかは分からない。ただ私にはありがたかった。

 どちらとかいえば、私は何事に対しても斜に構える人間だと思っていたから、こうして感情剥きだしてしか聞けない作品があることが嬉しい。とても嬉しい。Syrup16gの再結成はほんとうに嬉しいと思った。嬉しい以外の言葉で語るのは難しい。それが感想を書かなかった理由の一つかもしれない。

 ちょっとあまりに酔いすぎている気がする。まともにタイピングができない。視界がキラキラしている。頭が朦朧としているし、時間が短縮されていてさっきから3時間も過ぎている。しかし、それが最高の気分なのだ。酩酊の穏やかさを知ってずいぶんと人生は生きやすくなった。私は何事に関しても過敏であるから、それを鈍化させてくれる酩酊は最高のものなのだ。それでも辛いことには辛いが、何しろ私にはSyrup16gのライブがある。もう少ししたらライブに行けるのだ。それを考えると笑顔になれる。無愛想な顔がまともになるのだ。