単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

2014/09/30

 
 不定期日記。最近は西村賢太の小説にハマっています。その影響を受けて今日の文章もそんな感じです。しかし、影響を受けているからといって真似できているわけでもなく、語彙も文章力も観察力も足りていないとなれば、もはやその影響は微塵に表われずにいつも通りの日記になるのです。

 「苦役列車」を読んでから「苦役列車」を観た。ありていに言えば、愛すべきでないクズが、酒を飲んでタバコを吸ってメシをかっ食って、肉体労働に勤しんで風俗で女を抱いて借金を踏み倒して友達を失くす話だった。そんな話がおもしろく読めるのも、ひとえに文章力があってこそだと感じた。この作品の登場人物とは異なり、おれは女も友達もまったくいないけれど、それがまったく苦痛ではないし不幸とおもうことすらない。酒は問答無用でおれを幸福な心地にしてくれるし、音楽や漫画や映画やアニメや小説などの娯楽をおれはたくさん知っている。健全な価値観に照らし合わさればまったくつまらない平生なのかもしれない。が、おれはそれで充足しているし、そういった日々が続いてくれれば文句ないと思っているのだった。

 ここ数日はけたたましい自己嫌悪をしていた。おれはあるときまで自己嫌悪を日課のように繰り返していたが、岸田秀の「唯幻論」を読んでからはそれをすることが殆どなくなった。その本には、「自己嫌悪というのは、自己を嫌悪する理想の自分と実際の行動を起こした現実の自分に区分するうえでの行為であって、そのような行為は理想の自分を愛でる自己愛でしかなく卑怯ですらある」、といった内容が書かれていた。その妥当性はともかくおれはその言葉に納得してからは自己嫌悪をあまりしなくなっていったのだ。無論、自己嫌悪が卑怯で無駄な行為と納得したところで、だからといってそれを辞められるわけではない。それは日課だったのだし、すでに習慣になっていた。ただその回数はめっきり減っていった。が、ここ数日のようにあまりにも酷いあり体になっていると、ついつい自己嫌悪に陥ってしまう。おれはこんなやつじゃないという理想の俺が、実際にこんなやつであるおれを嫌悪するのだ。そして、耐えきれずに酒量が増えて預金が減っていっく。こんなのまったく不安でしかない。

 いつか「酩酊」というカテゴリを作ってみたもののこの時間帯に酔っていることがないからもはやカテゴリに分ける意味を為していないことに気づいた。また意味ないことをしたと哀しい気持ちになったので気づかないほうがよかった。