単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

編集されていく記憶/Syrup16gの「再発」ツアーの余韻の中で

 Syrup16gのすばらしかった「再発」ツアーのライブに行って、死力を尽くして感想を書いたあとに、私は人の感想を手当たり次第に読んでいました。

 そのとき、人の感想を大量に読み終えたあと、記憶そのものが編集されたと感じました。人の感想を読み込むことで、「あれ?そうだったけ」と訂正が行われて、「そうそう!そうだった!」と強化が行われていく。それを繰り返していくなかで、うる覚えだったMCや、見逃したシーンなど、本来ならば記憶になかった情報までもが、あとで振り返ったときに実際に体験したかのように思えて、また、あまり印象になかった瞬間が記憶のなかで存在感が増していったように思えてきました。

 そういった記憶への影響は、当初抱いた感想そのものにも波及していく気がします。あのライブはまったくすばらしかったことは揺るがないのですが、演奏はどうだったかといえば新曲はやや粗さが目立っていて、旧曲はバンドの勢いを重視していた。って感想、これはおそらく色々な感想を読み込んでいくなかで、自分の印象と矛盾しない範囲内での最大公約数みたいなものになってしまったような気がします。

なぜなら正直なところ、ライブ中は「最高だ!」とか「すげえ!」とか「すばらしい!」とか、そんな言葉ばかりが頭のなかを支配していましたから。まあでも、その感嘆語を丁寧にバラしていけば、煩雑ながらもそれなりの言葉が出てくるんでしょうが、その煩雑な記憶にくっきりとした輪郭を与えたのが人の感想でした。

で、それは良いことか悪いこといえば、まあ場合によるってよくある話になってしまいます。ただ、私がたまに書くライブレポートは、「良い場合」の記憶の編集になればいいなと思って書いています。

このブログは基本的に好きなことについてしか書きません。好きなことしか書くモチベーションが沸きにくいという理由が最たるものですが、誰かがこのブログに訪れたときは大抵が気に入った作品を検索してくるっぽいので、そうしたときそうした大事な作品への記憶がよりよりものになればという理由もあります。それは私が以前にあるブログに出会って、そこの全曲レビュー・ライブレポを読んで好きなものがより好きになった経験からそう思いました。

脳の可塑性、記憶が再編集され続けていくのは必然のことなんで、そうである以上はその機能をよりよく活かしたいものです。

ちなみに、この内容はこのブログだからこそ、です。網羅的にレビューしているサイトではまったく別の話になっえ、好悪をはっきりさせてくれた方がありがたいです。なんなら0点から100点までガッツリと点数つけられていたほうが参考にしやすいですから。これもまた場合によりますが、私の場合は好きなものをより好きにってスタンスでやっています。