単行のカナリア

感じて想する

俺とTHE BACK HORN


 私とTHE BACK HORNの記事に影響されました。
 

  2007年になってようやく春の気配を感じられるようになったとき、俺がうだつあがらない学生生活を無為に過ごしていた頃、俺ははじめてライブハウスに行ってTHE BACK HORNの共鳴ツアーを見たことを覚えている。

 中学生の頃、俺はHIPHOPジャンキーでそれ以外の音楽を唾棄していた偏狭なクソガキだった。あの頃の愛読書は屈強な黒人ラッパーが表紙になっていたblastで、さらにまったく似合っていなかったB系のファッションに身を包むまでに熱中していた。そんなHIPHOPに身も心を捧げていた俺が、なぜTHE BACK HORNを聞くようになって、あげくにライブにまで行くことになったのか。

 その辺について書くことにする。 


 人は見たいものしか見ないように、俺は聞きたいものしか聞かなかった。俺がHIPHOPにハマっていたころは、まるでこの世にそれ以外の音楽が存在しないかのように俺はHIPHOPを聞きつづけていた。あの頃、俺にとっての世界では、男女の情事と弱者へのいじめ、そして他者への陰口が娯楽として横行していたが、そのいずれにも興味がなかった俺は、インターネットでHIPHOPのディス年表を読んで休日を過ごしたり、ラジオでRHYMESTERのWANTED!を聞いていて退屈を紛らわせていた。俺の生活には朝から晩までHIPHOPが流れていたのだ。


 しかし革命の予感が訪れる。 それはブラウン管ごしにやってきた。地方のローカル番組に全国ツアーでやってくるバンドを特集する番組があった。俺はその番組をなんかいいラッパーがいないかと録画していたのだが、あるときTHE BACK HORNが俺が住む地方にライブにくるようで「コバルトブルー」のPVが流れることになった。そのときのMCの会話を覚えている。

MCその一「いやー、THE BACK HORNの新曲はかなりすごいになってますよ」
MCその二「ほんとにすごいですよね! 今度のライブも楽しみです!」
MCその一「この曲で彼らがもっと広く知れ渡って欲しいですね。では、THE BACK HORNの「コバルトブルー」をどうぞ」

 「なにがどうすごいんだよ」と俺は訝しみながらそのPVを目にして「あ、これはマジですごいわ」とおもった。動揺した。ブラウン管に映っている四人に釘づけになってしまった。モノクロの画面のなかで垢抜けない四人組が真夜中の波打ち際で暴れながら演奏して叫んでいる。「命を削っている」という表現に相応しい声と、「カッコいい」と問答無用におもわさられる音。よくわからないがこのバンドは俺のうだつあがらない日々を変えてくれるんじゃないか。と俺は予感した。そして録画したPVを何度も見かえしていた。そのなかで俺はかつて体験したことがない衝動が自分のなかに沸きあがってくるのを感じていた。

 俺にはその頃、音楽の趣味を共有する友人がいた。もちろんそいつはHIPHOPが好きなのだが、俺は自分だけでは処理できない感情をどうにかすべく、その友人にビデオを貸してコバルトブルーを見てもらった。その友人は「なんかよく分からないけど、かっこいいね。あとギターの人の動きめっちゃ面白い」と共感してもらった。そこで俺はいったん満足して、それからはもうPVを見返すことなくなった。いつものようにHIPHOPを聞くようになったのだが、いったん心に宿った種火は消えることなく三年後に再燃することになる。


 高校生になり、俺はHIPHOPへの熱狂をすこしずつ失っていった。そうしたなかで、あるとき突然かつて目にしたTHE BACK HORNを思いだした。キッカケなんてなくてほんとにふと思いだした。しいていえば、数年前に「コバルトブルー」によって心に宿った種火が、退屈の日々のなかでぽっかりと空いた心にめがけて、吹きこんだ風によってまた再燃したのかもしれない。よく分からないがそういう感じ。

 俺が育った町というのは、循環する時間に捉われていて国道沿いがありきたりな風景化していくだけの灰色な町だった。田んぼと工場とシャッター街が散在していて、そこには俺の関心を引くようなものはほとんどなかった。俺の暇つぶしといたったらせいぜいブックオフで立ちよみしたり中古のCDを買うくらいのもの。で、俺は思いだしたついでにTHE BACK HORNの「ヘッドフォンチルドレン」を買ったのだ。そこで出会った。


 ここで記憶が飛んでいる。俺がそのときどんな感情を抱いたかは覚えていないのだが、このアルバムがいかに俺にとって衝撃であったかといえば、その後すぐに俺はTHE BACK HORNのライブのチケットを購入したことが、すべてを証言しているだろう。

 俺はこれまでライブなんて行ったことなかったし、俺にとってはそこは異次元みたいなもんだったし、俺の町からそのライブハウスまでは二時間以上もかかる。さらにライブは平日ときている。しかしだからといって俺はライブに行くことにためらうことはなかったし、有り金のほとんどをはたいてチケットを購入したのだった。「ヘッドフォンチルドレン」はそれほどまでに俺に突き刺さったのだ。
 
 ライブ当日、よくいる模範的な生徒の俺だったが、このときはじめてズル休みをした。親にも学校にも仮病をでっちあげてライブに参加することにしたのだ。ライブハウスまでの道のり、一時間に一本しかない電車のなかから田んぼと海が交互にあらわれる見慣れた景色を眺めながら、俺はTHE BACK HORNを聞いてまったくはじめての感情に支配されていた。そのときばかりは死ぬほど見飽きたクソみたいな景色ですらいい感じの背景に感じることができた。


 で、ライブの話。
 鬼のように顔を歪ませて叫び暴れるボーカルに度胆を抜かして、涎を垂れ流しながら地面に転がってギターをかき鳴らすギターリストに度胆を抜かれて、なんかずっと終始度胆を抜かしていた。素朴な人柄が伝わってくるメンバーのたどたどしいMCには度胆を抜かれずにホッとした。しばらくはそこで受けとった感情の整理ができずに、深呼吸するようにTHE BACK HORNを聞きつづけていた。やっと分かった。俺は興奮したんだ。あれは最高だったんだ。その後も俺はそのときの感情を反芻するようにひたすらTHE BACK HORNを聞きつづけて、馬鹿の一つ覚えみたいに聞きつづけることになった。聞きすぎたせいでMPプレイヤーの再生ボタンがぶっこわれた。

 そのとき俺は学んだ。人に話したところでくすぶりつづける類の感情があること。そして、本気で収まらせなければならない質量をもった衝動があること。俺がはじめて俺の意思で感想をノートに書きなぐることになったのはTHE BACK HORNが俺に与えた大きすぎるものを吐きだすためだった。


 こんなふうに俺はTHE BACK HORNと出会ったのだ。

 今に至っても、俺はTHE BACK HORNが俺に与えたものを吐きだしきれていない。それどころか彼らはすばらしい新作をリリースしてすばらしいライブをするもんだから腹のなかにドロドロしたものが溜まっていく一方なのだ。俺はこの終わりがない戦いにもう白旗を上げているのだが、それでも感想の消化不良をおこして吐き気は収まることがなく、まだしばらくは休止させてもらえそうにない。それが俺にはとても嬉しかったりする。嬉しい悲鳴ってやつだ。

 俺の学生生活ってのは笑い話にすらできないほどミゼラブっていたのだが、そこに一つの救いを見出すならばTHE BACK HORNと出会えたことかもしれない。それだけをピンポイントで思いだすことできたのならば、俺はしたり顔で「いい学生生活だった」なんてことも言ってしまえるのだから。