単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

下書き発掘シリーズ 「20歳の曲と30歳の曲」


 懐かしい気持ちは便利なもので、過ぎてしまったことの大体は僕に苦痛をあまり与えないから、基本的には安全に思いを馳せることができる。僕のいまはいつか思い出に変わり、いつかいまを懐かしむことができるだろう。運がよければの話だが。
 いずれきっと懐かしむに違いないと予期している曲が二つある。

 ひとつはハヌマーンの「幻によろしく」。この曲の「20何年間も同じ顔と名前 誰かさんのように狂ったふりをすることもできず」は気に入っている。せめて外側の部分だけでも変わらないかと願うことがある。それが顔であって名前である。
 その二つは、所与のものとして生まれた時から与えられたもので、基本的には死ぬまでずっと付き合っていかなければならない。たとえ気にくわなかったとしても。別段、僕は整形も名前変更もしようと思ったことはないけれど、これまでもこれからもずっと自分が自分でありつづけるのにうんざりしているので、自分が自分のままでありつづけるのはうっすらと嫌な気持ちになる。自分を象徴するものへのささやかな憎悪、そういった気持ちがこの曲の「20何年間も同じ顔と名前」に表されていると思う。


 もう一つはSyrup16gの劣勢。「30歳になるまでに生きてるのかおれ」とあるが、まあ僕はその頃もおそらくは生きている。20代前半のときは苦痛の真っただ中にいて、12mmのクレモナロープで予行練習したこともあったが、現在はそういった気持ちもあまりなくなった。生誕のときから背負わされてきた重圧からもするっと逃げ出すことができたし、いまの苦痛は経済的なことが大半で観念的ではない。だから僕はきっと30歳まで生きていることだろう。ただ、いざというときはいざというとき、と気持ちと手段は確保しているので、30歳になるまではこの曲を懐かしむことができるかはわからないが多分懐かしむだろう。

 そのとき、その時期しか楽しめないものがあると耳にする。しかし自分の人生下では、おそらくそれは取るにたらないものだろう。いや、そうであってほしいと願う。20歳になるまで親の洗脳下にあり、自分の気持ちすらまともに分からなかったあのころに、僕が手にできなかった多くのことは取るに足らなかったと願いたい。懐かしといえば何だって懐かしいし、思い返すことさえできるならばクソみたいな日々だって懐かしいだから、その内実はともかく僕は懐かしめる思い出ができるのが少しだけ嬉しい。それだけでいい。

 世界の終わりとハードボイルドワンダーランドで「人生が苦痛にまみれたものでも限定された人生ならば祝福できるのではないか」と話があった。この人生、都合よく限定して都合よく思いだしたいと思う。本当に思う。