単行のカナリア

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Syrup16gの曲レビュー 「デイパス」


 Syrup16g全曲レビュー「デイパス」 

 「デイパス」のタイトルをそのまま受けとるならばデイをパスすること、その日を通過するといった意味でしょうか。「その日を通過する」は、「一日を過ごす」はニュアンスが違うように思えます。トランプゲームで自分の順番が来たときに口にする「パス」のように、「デイパス」はとにかくその日をやり過ごそうとしているといった印象。

  
 「デイパス」といえば、Syrup16gの歌詞の特異性を語るときによく引き合いに出されるおなじみのフレーズの「君は死んだ方がいい」。この言葉は自分でも相手でも誰に向けたとしても辛辣きわめるもので、もしTwitterでツイートしたならばアカウントが凍結されても不思議ではありません。

 しかし「デイパス」は決してこれだけでなく、他の歌詞も手厳しい表現が耳を引きます。

夢みたいだなこんな暮らしは
働かない暮らしは偉そうね
独りぼっちがいいは犯罪者
君の好きなあの娘の写真はもうここにはない


 よくぞまあ特定の人物に対して致命的なダメージが入りそうな言葉を歌っていると感心します。「ブーメラン」なんて言葉を使わずとも、口から吐いたらすぐに自分に返ってくることは分かったうえでの言葉でしょうし、言葉の銃口は「君」に向けられていながら同時に「いつかの自分」にも向いているのは明白でしょう。

 ラフで荒々しいビートに載せて吐き捨てられる痛々しいフレーズの数々。「君が死んだほうがいい」と歌われるサビではダイナミックに展開フィジカルな強さがあります。裏拍でバッキングされるギターや、フィードバックノイズもいいアクセントになっていて。ライブで盛りあがることだって可能なビートを主体にしたバンドサウンド……だけれど耳をすませば聞こえてくる内容は身も蓋もなく、気怠さ・やるせなさが充満しているしとラフとシリアスの両極端で揺れています。

歌になんない日々は
それはそれでOK


 で、「デイパス」がけっして自虐や他虐の意図はないって分かるのが、さんざん唾を吐き捨てたあとで「それはそれでOK」、「まあでもキラメク世界」と根拠のない逆説でOKと強引にまとめるから。

 思いだすのが、「自己肯定感は根拠があってはいけない」って話で、肯定するときに根拠を持ちだすとそれがなくなったときに肯定できなくなるから、肯定するときは無根拠のほうがいいという話。「デイパス」では偉そうだし、チャリを道端に捨てるし、本心に素直になれずにどこまでもひねくれいるんですけど、まあそれでもOKと持っていく強さがあります。いや、これは強さではなくて適当さなのか。いずれにしてもその精神状態は関係なくてOKなわけなんですよ。死んだ方がいいけど、それはそれでOK。

 俗にいう、開き直りってやつで、そこに根拠は必要ありません。ただそう思えればいい。思えなかったとしてもそう思えたとごまかせばいいわけです。

 終盤の「まあでもキラメク世界」の箇所が気に入っていて、ここは従来のサビに無理に付け足したような構成になっています。そこから「まあでも」と逆説の接続詞を置いて肯定に持っていきます。唐突な逆説にもかかわらず、サウンドの勢いに唆されてつい「OK」と納得してしまいます。
 「デイパス」に通底する適当さ(もしくは強さ)は、歌にならない日々、退屈で誰でも非難できそうな日々を通過していくために必要なものでしょうし、この開き直りっぷりには美学すら感じさせます。

急げ 急げ
嘘(理想)で固めろ


 そして最後は、現実にやられないために急いで嘘や理想で守りを固めろと訴えかけます。「急げ」といえば「翌日」でも「急いで人混みに染まって」と登場した言葉。一方で、「デイパス」では翌日に気を配る余裕はなく、今日を生のままで通過するために「急げ 急げ」と焦燥感に追われているので、その深刻さは段違い。

 全編に渡って目を奪われる名フレーズが多いですが、なかでも、

独りぼっちはいいは犯罪者

 はキツい。わたしには会心の一撃になりうる言葉で「まあでもOK」とは思えない深刻さがあります。「君は死んだほうがいい」は分かる。確かにどちらかいえば、死んだ方がいいと思う。ただ「独りぼっちはいいは犯罪者」は断定されきっていて、わたしもいつかひとりぼっちの末路の形として犯罪者になる可能性があるからキツい。あまりにも言葉の距離が近いし、その未来は迎えたくないのでキツい。さらっと歌われてるだけだけど、それにしても言葉が強い。自分事としてか受けとれません。

 まあだからこそなんですが、「それはそれでOK」と適当かつ力強く肯定をしていくことで、急いで嘘や理想で防壁を作りあげなければならないのでしょう。そうでもしないと、自分の言葉で自家中毒を起こして殺されてしまいかねません。

 
 「デイパス」について関連しそうなのが、水木しげるさんが死について語った「死後何も持ってゆけないし、自分のカラダだけだ。この世は通過するだけのものだから、あまりきばる必要ないよ」というもの。一日や人生を「通過する」という概念は、生活のままらなさを象徴しているようで気に入っています。すべてがただ通過する点という話なら、どのような有り様でもまあそれはそれでOKでしょうし。

 またタイトルの「デイパス」は、「Daypass」と精神安定剤の「デパス」の言葉遊びらしいのですが、その発言元は不明。しかし五十嵐隆ならそう付けていてもおかしくないだろうと納得してしまいます。


 ところでデパスの話について。
 デイパスがリリースされる当時と現在のデパスを取りまく状況は変わりました。以前は抗不安薬の第一選択肢としてデパスは処方されていたようですが、近年では乱用や離脱症状の弊害が問題視されるようになり、数年前の法改正によって処方が制限されるようになってまた個人輸入も禁止されました。

 一方で「デイパス」は抗不安効果はある(個人差はある)けれど、歌であり表現の自由によって守られているのでいつ何時でも聞くことができます。手放せませんね。