Syrup16g全曲レビュー「生きたいよ」

 

coup d'Etat

coup d'Etat

 

 
 Syrup16g全曲レビュー「生きたいよ」。

 「生きたい」と書いている言葉の石の裏をめくってみると、そこには、生への渇望や不安や希死念慮などさまざまな感情が虫のようにひしめき合っている。

 「生きたいよ」は、君と過ごした頃や歌いはじめた時へのノスタルジーへの憧憬をメロでは朴訥に歌いあげ、急転し、サビではそのノスタルジーを「生ごみ」と吐き捨てる……聞いているとタイトルに反して「ほんとう生きたいの?」と疑問符がわいてくるような、強烈な負のコントラストが心に突き刺さります。

君はいない いつだってもう
この手離してしまったんだ
君はいない いつだってもう
正気でなんていられないぜ


 「生きたいよ」は、はたして言葉通りに受けとっていいのかという疑問がたえずまとわりつく曲で。Aメロの歌詞だって、狂人が狂人であることを自覚できないように、「正気でなんていられないぜ」は正気だからこその言葉。さらにいえば、ノスタルジーの重さに耐えきれず狂気に身を投げいれたいけれど、どうあがいてもそこに達することはなく、結局は「生きたい」と言わざるえない状況に追い込まれてしまったような悲しさ。

 それはまた、死ぬことができないならば生きていくしかない。そんな消極的な生き方を「生きたいよ」とあえて願望の体で表現することで自分に言い聞かせているような悲しさ。

 「生きたいよ」では、通底して悲しみが漂っていると感じていて、シンプルなビートと物憂げなメロディーともあいまって、響いてくる歌声はどう聞いても物悲しい。

 
 そしてサビでは、一転して感情をあらわにします。

今さら何歌ったって 四の五の何歌ったって
ただのノスタルジー 生ごみ持ち歩いてんじぇねえよ

 サビに入ると、途端に轟音が埋めつくしてビートは重厚になり、いきおい歌唱は鮮烈になっていく。はては「生ごみ持ち歩いてんじゃねえよ」という強烈な言葉まで登場する。

 さらにはその言葉はノスタルジーの完全否定であり、穏やかにノスタルジーを歌うメロ VS 激しくノスタルジーを非難するサビ、といったように内戦のような様相を呈する。
 
 それにつけてもノスタルジーを「生ゴミ」扱いする切れ味の鋭さよ。前作「COPY」の「She was beatuiful」や「君待ち」では、ノスタルジーを美しいテーマとして昇華していたのにもかかわらず、「生きたいよ」では「生ゴミ」扱いでほうきで掃いてすてるとは。まさしく「正気でなんていられない」状態、その体現。

 どちらが正しいかという話ではなく、そのような心情のときもあるという感情の複雑さの話で、「心なんて一生不安さ」の文脈からは外れてはいません。

後ろ向きlifestyle 死ぬまでROCK?
Nobody like そんなbeautiful
生きたいよ

 内面クーデターのあと、勝ち残った言葉は「生きたいよ」。

 Syrup16gには緩急の構成が光る曲は数多くあれど、詩と音とともにメロとサビのコントラストを強烈に体現化している「生きたいよ」は完成系にちかい。サビとメロの橋渡しの上のパートでは、平坦なビートのままで英語と日本語を織り交ぜることで「生きたいよ」の言葉を前景化させて、そこから怒涛のサビパートに突入します。切迫したギターソロと荘厳なコーラスパートを挟みながら、そしてそれを繰りかえします、

 そしてラストが、

一生って短いね 一瞬で消えちゃって
逝っちゃって 後悔するのよね

 と、ノスタルジーに浸る、そんな風にノスタルジーを浸ることを罵る、その繰りかえしの果てに「一生が一瞬で過ぎて後悔する」という言葉が繰りだされるわけです。メロとサビの永続的な対立の末路、ラストの大サビはそれらを上の視点で包括するパートであり、綿密なアレンジメントによる構成にやられる。

 私が気に入っているのは、一生が一瞬で終わって後悔することを「おそらくそういったものだ」と予感の視点にとどまっていること。「そうなりたくない」と否定しているわけでもなく、ましてや「それが悪い」と批判しているではなくて、「きっとそうなってしまうんだろうな」と見えてしまっているだけ。もちろん、そこに一抹の悲しさはあるでしょうが、あくまで楽曲のうえでは表情を崩すことはなく、だからこそ「生きたいよ」の素直な祈りをこめたタイトルに感情を揺さぶられます。

 これらすべてを含めたのが「生きたいよ」で、緩急の美学が貫きとおされています。

 「生きたいよ」って言葉、「わざわざ口に出さずともみんなそうじゃん、当たり前じゃん」とかは言われそうだなとふと思ったけど、俺たちには当たり前ではなくて「死にたい」と「生きたいよ」の抗争の最中で生きているから、俺たちにとっては「生きたいよ」と言葉にするのはひとつの勇気ある表明なのだ。