単行のカナリア

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Syrup16gの曲レビューRe: 「イマジン」


 再Syrup16gの曲レビュー 「イマジン」。8年前に書いたレビューはこちらです。 2003年12月17日に発売されたシングル「My Song」に収録されています。
 
 「色褪せない名曲」という謳い文句があります。時代の経過によってもその価値が変わることなく輝きつづている曲を形容する言葉で、本題のSyrup16g「イマジン」は色褪せない名曲……ってだけではなくてさらに色濃くなっている名曲。

 8年前のレビューでは総評に「一般的な理想像が自分は叶えることができないと分かっていてもそれでも願ってしまう悲しさ」と書きました。令和になった2019年の現在、もはや「イマジン」で描かれている日常風景は「一般的」ではなくて「贅沢」と呼んでも差し支えありません。少しずつ時代はかなり確実に違っていく。人並みの幸せの景色が変わっていく、と。

将来は素敵な家とあと犬がいて
リフォーム好きな妻にせがまれて
観覧車に乗った娘は靴を脱いで

 
 いまの時代に照らし合わせてみると、「もはやすでに失われつつある理想だがかつて内面化してしまったせいで時代遅れになっても思い描いてしまう」と、理想と現実の距離は急加速で離れていっています。それで個人的な感傷のみではなく、時代そのものへの感傷すら思い抱くようになりました。このように感想が更新されるのはずっと聞きつづけてきたゆえで、「イマジン」は変わらないのに自分も環境もあまりに変わりすぎました。


 「イマジン」は、憂いを帯びたギターサウンドを軸にして、ミドルテンポで重いリズム隊と曲そのものはゆったりとしているのに、堰を切ったような感情の勢いを感じられる不思議な曲。当時はその理由は分からなかったのですが、今聞き直すと、サビとメロの間を開けずに間断なく歌い(叫び)つづけ、すぐに感傷風味のギターソロになだれ込む、と間を詰める構成によって「テンポはゆっくりなのに印象のスピードがはやい」印象が生じています。
 
 また、人にはよると思いますが、歌詞の感情移入度が尋常ではなくそれはもう初めて聞いたときは衝撃でした。よくある日常風景をスケッチした言葉が「手に入らないもの、もしくは手に入らなかったもの」の意味がプラスすることで、たちまち感傷まみれの鑑賞物となる。そして聞いた人たちを感傷に落としれます。
 

こんなんでいいんだろうか
そんな訳ないだろう俺
何でここで涙出る

 
 しかしながら「イマジン」に込められた感情の方向性はいまだ掴めないところがあります。 
 「何でここで涙出る」と歌われているように、当人すら割りきることができずに言葉にしそこねた感情があるわけで。しかも感情表現の詞は「それすらどうでもいい」「何でここで涙出る」「そんなの信じないね」で成り立っており、つまりは「よく分からない」ということで、それをこっちが名づけてまとめるのは難しい。分かりやすいスッキリできる答えはない。そもそもが「イマジン」はいまだ整理されていない生感情をパッケージしたような手ざわりがあり、その不明瞭さがかえって感傷を際立たせています。

 だからこそ「イマジン」を聞くと、私はどうしようもなくなるほど胸が締めつけられるのでしょう。この曲に関してはいろいろな解釈があると思うんですけど、とにかく「イマジン」には巨大な感情が込められているのは確かで、そのせいで聞いてるこっちの感情も呼応してしまう。それにそもそもがサビのメロディーがセンチメンタルさの化物で、そこにハイフレットのベース音的な効果音が変化を加え、さらに五十嵐隆絶唱が加わることで「イマジン」が完成し、私は何度も泣かされてしまうわけです。将来を岐路を前に立ち尽くしていた8年前とか特にね。


 この曲はおそらくはジョン・レノンの「Imagine」を意識している筈で、それを踏まえてSyrup16gの「イマジン」をさらに見ていきます。

 「Imagine」では「Imagine there's no Heaven(想像してみて、天国はないんだよ)」「Above us only sky(僕たちの上には ただ空があるだけ)」とあります。この箇所は「イマジン」と相違はありません。
 それで、「Imagine」では「Imagine no possessions (想像してみて、何も所有しないことを)」「No need for greed or hunger(欲張ったり渇望することもない)」とありますが、一方の「イマジン」では欲張りや渇望とはまでは言わないものの、理想像の欲求が鮮やかに描かれています。素敵な家と犬と嫁と娘と。

 両者に共通点はあるものの、想像することで平和を願う「Imagine」と想像してしまったことで心の平穏が崩れる「イマジン」とでは方向性がまるで違っています。また、想像力が及ぶスケールも世界と家庭(個人)と違っていますね。想像する、想像してしまう、同じイマジンでもこれほどの違いがあって、これがSyrup16g流のアンサーだと考えると最高ですね。


 私、「イマジン」を聞くたびにいつでも心がかき乱されるのがたまならくてどうしようもなく好きなんですよね。それもあって全曲レビューの1曲目に選びましたから。
 8年前に書いた記事にあった「そのまんまで美しい」って、自分の世界を受け止められたらいいなあ。何かがあるからという希望的観測からではなくて、今生きているこの現在をありのままに。ってのはどうも無理なようです。「こんなんでいいんだろうか そんな訳ないだろう俺」がずっと続いているのが8年後の私、そしておそらくは今後もずっと……って考えると、また8年後に「イマジン」再レビューしたいと思いました。まあ私が生きてかつこのブログがいればの話ですけど。

 来月のことさえ想像できないから数年後はもっと想像できない。そんな状況なのに、無理やり口に詰めこまれた幸せな家族の風景をイマジンしてしまったときは、そりゃあもう感情はぐちゃぐちゃになって訳分からないのに涙がでるって話ですよ。元号が変わったところで世間に根づいた理想像はそうすぐには更新されないし、僕らの生活は階段を毎日少しずつ登りながら落ちていくようなもので一生そこにはたどり着かないっぽいし、つまり時代によって色褪せずに色濃くなる名曲が「イマジン」であり、人並みの幸せが移ろうなかで届かないと分かっていても人は手を伸ばしてしまう。