単行のカナリア

感じて想する

Syrup16gの曲レビューRe:Re: 「イマジン」

 
 前回のSyrup16g「イマジン」のレビューを補足。というか掘り下げる。8年前にレビューを一度書き、昨日二度目のレビューを書いた曲について書き足りなかったのでさらに。


 
 Syrup16gで一番聞いた曲は「末期症状」とかつて書いた。おれは「末期症状」の「ちゃんとやんなきゃって素敵な未来なんてもんは初めからねえだろ」の言葉に居場所を見つけ、ことあるごとに「ねぇよ」と肯定してもらうために聞いてきた。ただこれは曲を聞くというより、精神安定剤のように意味を摂取したといったほうが正確で、曲を曲として聞いていたとは言いにくい。

 だったら一番聞いた曲はなにかといえば「イマジン」だ。イマジンは聞いていた。どこかのフレーズだけでなく全体で。音、歌声、そして歌詞(日常風景、心情吐露、人間賛歌の三つのパート)全体で聞いてこそ意味が生まれる曲だから。

 しかし8年前には書いていたのに、その8年後のいまに完全に見落としていたことがある。コメントをもらって気づいた。それまでまったく気づかなかった。

 それは「空の空のまんまで 人は人のまんまで美しい」に対する感想だ。ここの部分をコメントで「わざとらしいほどの人間賛歌」と表現されていて深く納得した。「イマジン」は人間賛歌で締め括られている。


 「ありのまま、そのままの自分」ってしつこいくらい耳にしてきた陳腐な言葉で、それだけ聞かされたらほんとにくだらないと思ってしまう。ただ五十嵐隆は「ありのまま」に対する眼差しは冷淡なほど鋭く、そこに嘘は欺瞞を認めようとはしないから、この場合の「ありのまま」はくだらなくない。

 要は、こうだ。
 「ありのまま」のなかから人間の憎悪や醜悪を疎外していないか、それらをひっくるめてありのままにしているかが問題なのだ。五十嵐隆は歌う。ありのままでそつなく死ぬからみんな負け犬、ありのままでお前の代わりはうなるほどいる、ありのままで君はいらない人、と。

 「ありのまま」という言葉はよく使われるけれど、そもそもがありのままなんて見るに堪えないものだろう。付け足さず装飾はせずに嘘を剥ぎとれば、歴史に問わなくてもテレビで流れているニュース眺めているだけで、ありのままが見苦しいことを理解するには事足りる。
 最近目にした「一人で死ね」の大合唱とかさ、あれ人間の素朴な感情によるナイフが飛びかっていて怖かったよね。みんな思ったことを素直に口にしただけで、いってみればありのままの感情でしょう。自分に向けられてないとは分かっていても、よくそう致命傷になりかねかい言葉出てくるなーって思ったくらい。(補足すれば、まあ被害者周辺に想像しながら加害者周辺も同時に想像するってのは難易度高すぎる。どっちか想像したらもう片方はないがしろになるのは人間の脳の限界的なとこある。共感はそもそも対象を限定するし排他的な感情だから遠くまでは届かない)

 もちろんそういうマイナスなことだけではない。先の話に付けくわえると「一人で死ねというのはやめましょう」という声明だってあったし。邪悪さこそが人間の本当の姿だっていえば、今後は露悪的になってありのままではなくなる。美しさだってあるわけだから、それは違う。自分の人生にはあまり縁がないにしても善や美だってある。

 
 「イマジン」では、それらすべてを踏まえて「空は空のまんまで 人は人のまんまで美しい」と締め括っている。そもそもが「イマジン」では理想や幸福のイメージしたいつかの話をしていて、当の本人は窓から差し込む光が朝か夕方かすら分からない生活を送っている状況で、イメージしている日常とありのままの日常の距離はあまりにも遠い。それこそ「ちゃんとやんなきゃって素敵な未来なんてもんは初めからねえだろ」と叫んでしまうくらい遠い。

 でも、それでも「空は空のまんまで 人は人のまんまで美しい」と歌い締め括るわけ。美しいと言ってしまうことが難しいと分かっているからこそ美しいと言っているわけで、そこには意志がある。「わざとらしいほどの人間賛歌」との表現を気に入っているのは「ほど」の部分で、わざとらしいほどではるが、だからといってわざとではない。わざとではなく本気で言ってるからこそわざとらしくなってしまう。 

 素敵な未来と、素敵ではない現実。ありのままは現実のほうで、そのありのままの人が美しい。矛盾はしていない。ただ評価の基準が異なるだけから。ただどうしても違和感はあってその違和感こそが「イマジン」を成り立たせているんだろう。美しいは感性の領域で、感性には理屈がない。美しいというのに理由も脈絡もなくてもいいのだ。

 「人は人のまんまで美しい」って主観的な意見なのか、客観的な事実なのか。そう感じたから言っているのか、そう信じたいから言っているのか。それは明かされることはない。各々が判断するしかない。だからこそ何度も聞いてしまう、というのはある。つい確かめてしまうのだ。

 で、だ。
 おれがなぜ前回のレビューで完全にスルーしてしまったかといえば、もう「空は空のまんまで人は人のまんまで美しい」ってことを受けいれられなくなったからだ。8年前はまだありのままを受け入れられたのだろう。親は自己実現の化物、下降行きが決定づけられた未来、精神は低値で不安定、コミュニケーション能力は壊滅的でそれに伴って人間関係は消滅しつづけていく、といった状況ではあったが、それでもまあそれも自分だしとぎりぎり納得できていた。
 
 でも今ではもう耐えることができない。3年前のおれがいまのおれに「どうして生きていられるの?」と聞いたらは、おれは「誤魔化すことが上手くなったから、そのための手段と方法が間に合っているから」と答えるしかない。ありとあらゆるものを手繰りよせてただ誤魔化しているのだ。「真空」でいうところの「最低のやり方」だろう。それしかないからそうしているだけで最低とは思ってはいないが、まあ説教好きな見知らぬおやじが知ったら「その最低な生き方をやめろ」くらいは言われるだろう。ついでに「それは生きているとは言わない」とか言われてみたい。

 まあ、それで最後の締めくくりの大事なフレーズをスルーしてしまった。それにコメントを貰って気づいたのだった。最後の言葉を聞き逃すわけがないのにあんだけ長文の記事で語らなかったっのは自分のことながらおもしろい。これ、レビュー書いてコメント貰わなかったら気づけなかったなんだーと思うと、書いててよかったなーと思いますね。

 おれは自覚厨なんで自覚しておきたいんですよ。ついうっかりありのままで生きてしまわないためにも、自覚して先に誤魔化さないとヤバそうなところは目星つけておきたいんでね。それにしてもおれが「こんなんでいいんだろうか」と悩んでたどり着いたのが、「こんなん」そのものを誤魔化すってのはオチがしょうもないよね。しかも、誤魔化すのにも金と限度があるって話で、いずれ「こんなんでいいんだろうか」ですらなく「こんなんはだめだろう」の領域に追いこまれるのでしょう。そんなことはどうでもよくて、歌詞のラスト3行のために書くことが止まらなくなるSyrup16g「イマジン」はマジで名曲。