いま、「さよならを教えて」という鬱ゲーとか電波ゲーとか呼ばれている作品をプレイしています。まだ全ルートはクリアしていませんが。そこで登場したロールシャッハ・テストについての描写が素晴らしかったので紹介したい。
ロールシャッハ・テストについては以下のリンクを参考に。
ざっくばらんに説明すれば、左右対称のインクの染みっぽい曖昧な図柄を見せてそれが何に見えるか被験者に答させる。その答えに無意識な心理が反映されるから検査する……ってもの。
ネタバレを避けて簡単に「さよならを教えて」を説明すると、"教育実習生"の主人公が狂ってもがにてさよならをする物語。まだクリアしていないから説明は正しくないかもしれませんがいまのところはそんな感じ。で、その主人公は天使や怪物を夢で見て、そして現実でもたびたび幻視をするのですが、今回は天使を幻視してしまったときの描写が今回紹介したいものです。
なにもない空間に、僕と天使だけが存在していた。
僕は意識で彼女を見ている。
(中略)
となえ(保健医)に何度も見せられた、左右対称の奇妙な図柄――それは結局、すべて天使か怪物の絵だったのだが――を思いださせる風景。
この「左右対称の奇妙な図柄」ってのは、ロールシャッハテストで使用される模様に他になりません。主人公はその模様を「それは結局、すべて天使か怪物の絵だったのだが」と断言しています。
「さよならを教えて」はほぼ主人公のモノローグから成り立っており、語り部が狂気(詳しくいうならば自己救済時の葛藤による心理的ストレスの高負荷によって脳神経バランスが完全にイカれてる)の真っただ中にいるので、当然のように本人は自身の狂気を理解していません。
そういった主人公の語り部としての性質や状況を「それは結局、すべて天使か怪物の絵だったのだが」とのセリフで表現しています。多くは語らずとも、この言葉に主人公の狂気が凝縮されています。ネタバレを避けるために詳しい言及は控えますが、このセリフによって主人公が置かれている状況すらも見えてきます。
引用したセリフは分からない人には分からないだろうけど、分かる人には分かるといった、省略と狂気の美学がつまったフレーズ。「そのように見えた」でもなく「そのように思えた」でもなく、確信をもって「天使か怪物の絵」となっているのが最高ですよね。しかも結局ってことは、これまでは曖昧なときもあったが最終的には確定した、というように事態が進行していることも察することができます。
「さよならを教えて」は狂気に関するすばらしい描写が多いです。個人的にはこの一連のフレーズが主人公が理解せずに読み手が理解させる形での狂気の表現が気に入っています。私はそれを語りかったのです。
補足。で、ロールシャッハテストについて補足すると、当の私も数年前にロールシャッハテストをやらされたことがあります。すべてにたいして「なんかの生き物っぽいですね」と答えて、「それはどういう感情を持っていると思う?」と聞かれて、「何も考えてないと思います」と返したことがあります。結局、私の無意識の何がそこに投影されていかは分からずじまいです。
ロールシャッハテストの妥当性については我らが林先生はこのようにおっしゃっています。
ただし、どんな検査にも限界というものがあります。それは、心理検査であっても、血液検査など体の検査であっても同じことです。検査をするということは、その検査の限界を認識したうえでするのは常識以前のことで、もし限界を認識せずに検査結果を鵜呑みにすれば、どんな検査結果の解釈も信頼できないものになります。
なるほど。今度ロールシャッハテストを受ける機会があったときは「天使か化物に見える」と答えたいものです。