単行のカナリア

感じて想する

THE BACK HORNの「性」と詩について語り尽くしたい


 みなさんの未来は発情していますか? 

 今回はTHE BACK HORNが歌いつづけてきた「生と死」、その「生と死」にまつわる要素のなかで欠かすことができない「性」について書きます。生と死と性と詩。彼らはデビュー作の「何処へ行く」から最新作の「情景泥棒」に至るまで生と死、そして性についても歌いつづけています。

 その表現はときにストレートに淫靡であったり、ときにレトリックを交えた優美なものだったり。また、口汚い卑語のような表現だったり、思春期男子の妄想のような表現だったりとその表現は多岐に渡ります。ただ、方向性が生々しいものが多く、スピッツのような微笑ましい下ネタというよりかは、性描写といったほうが相応しいかと。それらを「性描写がある歌詞」「二大巨頭エロい曲」「性描写と読める曲」「ダッチワイフエピソード」「カラスの×××について」に分けて見ていきます。想像以上に言及している曲が相当な分量になってしまいました。

 アンモラルな表現が多いのとアダルトPCゲームのせいで妙な語彙を使っています。一応、閲覧注意。

バックホーん

性描写がある歌詞

 ここでは直接的な性に関する描写を挙げていきます。

 もっともストレートでドギツイいのが、「ミスターワールド」の「排水溝に詰まった羽の折れた天使の死体に精液をぶちまける」。性と死が倒錯的に表現されていて、暗澹とした感情が写生されています。ちなみにブッカけられた羽の折れた天使に似た存在が「閃光」で「白いベッドで羽の折れた天使が眠ってる 最悪だったね 生きていて良かったよ」と登場。もし同一人物なら……確かに最悪だったね……。

 斜め上にぶっ飛んでいる表現が「墓石フィーバー」の「バカな女の乳房に振れてそそり立つのはハカイシばかり」「カメの頭にピンクのネオン」など。曲のテンションも相まって、地獄絵図の乱痴気騒ぎといったイメージ。かつて盆踊りが乱交パーティーであったことを踏まれば、墓石フィーバーの異様な世界はわりと世情を反映したものといえます。

 性的表現を巧みに歌詞に取り入れたのは「赤眼の路上」の「理解った顔したインポの路上よ」でしょう。挿入されたインポのワードによってカラオケで歌うときにためらわれると評判、一方で「隻眼の路上」に込められた発起心を表現するには欠かせない言葉。そのあとに「俺という存在が(略)突っ立っている」とあるように、「インポの路上」はいざというときに立ちあがれない意志の弱さをインポに例えているのかもしれません。立ちあがれ、死んでも譲れないものがある。

 最小の表現でありながらインパクトあるのが「孤独の路上」の「馬鹿が馬鹿騒ぎしている死んでる 顔面性器が笑っている」。まず日常生活で使用することがない罵倒語でしょう。これを口にされてもなんて言い返せば分からない。この言葉、調べてみたらいつの間にかセクシーの言い換えとして利用されているようで、あと10年後に聞き直されたときには誉め言葉になっているのかもしれません。


 近年の曲でも登場します。「がんじがらめ」の「モザイクかけとけ子供の股間に 危機管理の能力半端ないっすね」や、「情景泥棒」の「情景利用の自慰行為は回想法違反にあたるぜ」。似たようなのでは「超常現象」の「ネットに捕まり致命的な後悔、アイドルの画像で快楽」も。この一連のフレーズを聞いていたら、前にネットで見た「自慰をするときは優しい写真などを見てください。」を思いだしました。



 もっともスケールがデカいのが「神の悪戯」の「ペガサスみたいに腰を振って狂気と性器が歌いだせば聖なる宴は続いていく」。神々による神々のための淫蕩な饗宴の模様が描かれています。ペガサスの挿送、一突きごとに小さな町が滅びそうでもはや悪戯の領域ではありません。

 この時期にピッタリなのが「太陽の仕業」。曲そのものが欲望に蠕動しており、ようは「真夏のナンパ」について。かっこよく言い換えれば「太陽に浮かされて性欲亢進した人々がその欲求を解消するために生殖行動を希求する過程」についてでしょうか。太陽が眩しかったから殺人に至るのが「異邦人」で、太陽が眩しかったから情欲をかきたてられるのが「太陽の仕業」。この曲、結局は下半身の散弾銃の引き金は引かれずに終わってしまい、性欲は高まりつづけるものの不発によって狂気の領域に達している曲です。物は言いようの好例。

 ファイティングマンブルースの「たまにゃヌいて息を抜け」では、この曲がライブ披露されたときにで山田将司の自慰の挙措が披露されて、その色気に男女問わず黄色い悲鳴を上げていた光景は思い出深い。山田将司はHORNとに色気を纏っています。


二大巨頭エロい曲「マテリア」「ディナー」

 ここまで歌詞をピックアップしてきましたが、THE BACK HORNには曲そのものが性をテーマにしたものがあります。しかも真正面からエロさを表現している曲。それは「プラトニックファズ」と「ディナー」。

 「プラトニックファズ」は全編が思春期男子の妄想オーバードライブみたいな曲。不器用な男女の初めての情事のシーンのようであり、右手が恋人と同じ意味でギターが恋人と見立てているとも捉えられます。「スカートの中を探検してゆく僕ら」、「おお 必死で擦れ合う僕達」と具体的なフレーズがある一方、「汚いファズが垂れてる」「オーバードライブじゃ物足りない毒蛇回路を怨にして続けよう」といったエフェクターで比喩しているフレーズが混在しているのがユニーク。ちなみに歌詞にある「毒蛇」は菅波栄純が使用していたエフェクターの名前。歪みすぎてビチャビチャしてる音が出るエフェクター

 「プラトニックファズ」は熟成されたような色気がほとばしっている曲で、それは山田将司の吐息交じりで歌われる「ゆらゆらゆらゆら」や「おお」の嬌声のようなフレーズの所以でしょう。歌声に秘められた色気がエフェクターの官能的なノイズと絡み合うことで、「プラトニックファズ」の退廃的かつ肉感的な世界に誘ってくれます。

 
 「ディナー」といえば「咥えておくれ びしょ濡れのマンジュシャゲ」というサビに耳を奪われます。マンジュシャゲ彼岸花のことでイメージそのものは健全なのですが、語感が妙に生々しい。というかはっきりいって語感がエロいわけですよ。耳朶に刺激的すぎる。ちなみにマンジュシュゲには毒があるから咥えてはいけません。だからこその背徳感があるとかないとか……。

 さらに「ああ白い蝶々 調教したい美少女」「ああ泣かないで小便臭いメスブタ」と蠱惑的なフレーズがつづきます。「ディナー」では、性癖に忠実すぎる願望が語られ、やや神秘めいたサウンドを背景に情感たっぷりに歌いあげるボーカルも相まって婀娜やかな雰囲気は随一でしょう。どんな言葉ですら性描写のように聞こえてしまう、そんな雰囲気。彼岸花というより栗の花の匂いが立ち込めています。
  
 そしてなによりこの曲のタイトルが「ディナー」であることに注目すべき。性欲と食欲を近接させることで背徳感を生じさせて、さらに描写の焦点を下半身ではなく顔面に当てて焦らすことでむしろ想像力に訴えかけてくる効果を生みだしています。しかも「足りない 足りない 骨までしゃぶりつく」と欲望に際限はなく、いずれ禁忌の領域に行きついてしまってもおかしくなく、彼らのエロさが凝縮されています。

性描写と読める曲

 おばけ 「バイオーグトリニティより」
  「ブラックホールバースディ」には一見すると、直接的な性的表現はありません。がしかし、この曲、ライブのパフォーマンス(以下のツイートで詳しく)から読み取れるように、性に関する意味も重ねられています。
   
 つまり、「ブラックホールバースディ」は魂を発火させる曲でもあり破瓜させる曲でもあるわけです。歌詞の「俺の未来が発情している 深く巨大なうねりの中」「どうか衝動よ あの子の暗闇を突き破れ」、ヒーローが暗闇で覚えている少女を照らす灯ともいえるし、性行為の暗喩とも読みとれる二面性がいい。どう聞くかは私たち聞き手に任されています。あとCメロの開放感がすばらしく賢者モードみたいなで深読みしてしまいます。


 「白夜」の「君を想い 独りきりで何度この手を汚しただろう」は、罪を犯したという意味と、手淫をしたという意味に読むことができます。さらにその後に「きつくきつく赤い糸で俺の全てを縛ってくれ」では身も心も亀甲縛りを懇願。白夜で光に照らされつづけることで現実が地続きで、決別を誓ったのに身も心も寂しさにまみれて慰みを欲していく様が歌われています。

 「カオスダイバー」の「命はたくましく絶望なんてできやしない 真実を暴くほどに腰を振って」と、「ハナレバナレ」の「ドウセ他ノ誰カト腰振ッテルヨ」の腰を振るは、もちろん筋トレでもダンスでもありません。腰を振るは挿送表現のことに違いなく、真実を暴くために愛を表現するために誰も彼も腰を振るわけです。

 さらに「セレナーデ」では、「夏の張りついた音楽室で貴方はピアノなんて弾いてなかった」「長く美しい指が動いている 腐った猫の香り 声を殺して」と幻想的な自涜描写があります。一人では踊れぬワルツ、一人で奏でるセレナーデ、それを目にしてしまった者の心臓オーケストラと、自らを慰める行為にまつわる月明りに照らされた秘密が、音楽の物悲しい調べを背景に歌われています。



ダッチワイフのエピソード

ぬきたし
 現在、ラブコメについよく感想をツイートしている菅波栄純は、かつては「自宅にあるダッチワイフにメイド服を着せて名前(ちはるちゃん)をつけてる」といったエピソードがあります。そのダッチワイフは山田将司に捨てられてそして最後はゴミ収集車に連れていかれた、という涙なしでは語れないラブストーリー。
 
 そのエピソードを踏まえて「路地裏のメビウスリング」を聞いてみると、「メリーゴーランドみたいに純粋で ラブドールみたいに報われないなんて」「冗談じゃない君のこと 誰もわかっちゃいない」がいっそう切なく聞こえています。ダッチワイフのことを歌っていたとしてもこれもまた立派なラブソングであり、性愛と言葉があるように愛と性は隣接することがあります。

「カラス」の×××について

 かつては何のことかまったく分からなかった、ドロドロしてグチャグチャとしている男女の情事が歌われている「カラス」。最後にカラスの「その男×××だったはず ×××だったはずなのに やらしくて」の×××に何が当てはまるのか私なりの暫定的回答を。

 この×××に何が入るのかは気になって調べたことがあります。私の好みの言葉は「義父親」か「肉親」、また「インポ」を推しています。他には、放送禁止用語だから×××にしたという視点ならば既知外もありなのかもしれません。立場の意外性に注目して「カトリック教会の聖職者」や「中学校の校長先生」もありでしょうか。それぞれの想像力でやらしさを見いだしてほしい意図があり、だからこそずっと×××とモザイクがかかっているようなので、いずれにせよ答えは闇の中で言えないよってことなんでしょう。
 
 ×××に文字数制限がないのならば、私のベストの回答はひっくるめて「カトリック教会の聖職者で肉親(後期高齢者)でかつインポ」がファイナルアンサー。その属性があるならばNTR要素も入れてもいいかもしれません。

おわり

 一番エロいアルバムジャケットは「THE BACK HORN」だと思っています。そして一番エロいギターソロが聞けるのはそのアルバムに収録されている「舞姫」。嬌声のような悲鳴のようなギターの音色は年齢指定になってもおかしくありません。そして俺達は飲みこまれていく。どす黒い穴の向こう側へ……。

 彼らはインタビューで「10代で書いたエロい歌詞は、ほぼ妄想(笑)」と語っていました。今回挙げた曲はどちらかといえば初期に制作された楽曲に偏っており、彼らの妄想力(想像力とも呼ぶ)の底知れなさをあらためて体験しました。またその想像力が「情景泥棒」「情景泥棒~時空オデッセイ~」では未来に放射され名作が生まれています。なによりも、そういった妄想や想像を単なる脳内イメージで終わらせずに、肉感や色気までも曲に吹き込むその表現力に圧倒されます。特に、山田将司のボーカルはエロいし、色気がすごいし、セクシーだし、妖艶だし。声帯性器だし、エロい。

 最後に、以前のライブのMCで「THE BACK HORNは隠語だよな?」「男同士で後ろから角をこうアレして」と語ったこともあるようでつまりTHE BACK HORNはエロい。

 冒頭の画像は「心臓が止まるまでは」のPVのキャプチャ


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